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二つのラブレター

二つのラブレター

   ・・このエッセイを彼方(かなた)にいる五十鈴さんに捧げる・・


*2012年秋

 「女房、病気で死んじまったよ・・」

 「え~~!!」

 防衛大卒業以来、初めて出席した空手道部OB会で、
お世話になった出川先輩から開口一番言われたひとことに、
思わず息をのんで、しばらく言葉が出なかった。


 出川先輩とのお付き合いは、私が防衛大に入学したときにさかのぼる。
 
 防衛大の教育は、学業、校友会活動、
そして学生の自主運営による学生隊生活の3本柱からなる。

つまり全寮制による全人格的な教育である。
その学生隊生活の最小単位が、各学年2名づつ、計8人からなる部屋である。

この団体生活の中で、様々な体験を通じて人間的成長が促される。
出川先輩は、始めて防衛大に入った時の部屋長であった。

この時期の3歳違いは、人間的にも格段の差がある。
俗に、1年虫けら、2年平民、3年貴族、4年神様と言われるが、
4年生の部屋長を見て、その素晴らしい人格に憧れるとともに、
人間修養の具体的な目標となったものである。

因みに、私は4年時、約400名からなる4大隊の学生長を任されたが、
学生舎の玄関入口に「人間修養」と自書した額を掲げたものである。

もし、万一の時に身の危険も顧みず任務遂行する防衛大魂というものがあるとすれば、
このような団体生活を通じた感化が綿々と続き、
防大生、引いては自衛隊の伝統となっているのかもしれない。

いずれにせよ、出川部屋長に憧れ、校友会活動も出川先輩の空手道部を迷うことなく選んだ。
後でしばらく後悔したが・・・。

というのも防衛大で最も伝統があり、最も厳しいクラブであることがわかったからだ・・・^^;
因みに35名入部した同期生は、卒業時には10名になっていた。

 

 さて、話は入学から3年後になる。

 私も防衛大4年生になり、部屋長をやっているときである。
卒業式前、出川先輩の結婚式に呼ばれた。

そして純白のドレスに身を包んだ奥様に初めてお会いして、心から「美しい」と思った。

その一方で、女性に全く縁のなかった出川先輩が、
どうしてこのような素敵な女性とめぐり合ったのか不思議であった。

何故なら私も空手道部を続けており、
土日も稽古なので、女性と知り合う機会もない。

やがてその謎が解けた。
式の中で仲人さんが、二人の「なりそめ」を話し、会場に感動の輪が広がった...


出川先輩は、中学時代は卓球部で活躍していた。
奥様は、その時のチームメイトだった。

先輩は、密かに奥様に好意を抱きつつも、ずっと心に秘めていた。

そして防衛大卒業前に、彼女がまだ独身であることを確かめたうえで、
ラブレターを出したのである。

中学卒業以来、7年経っての突然の告白の手紙に、奥様も感激された。
そして、小隊長として職業的にも安定した3年後に、挙式を迎えた・・

その挙式の翌日。
防衛大の自習室で、じっと腕組みして黙想・・私も

『もう一度出してみよう・・!!』


*1970年春

 中学卒業後、15歳で自衛隊生徒の道を選んだ私は、遠く愛媛の郷里を離れて、
横須賀の少年工科学校のある武山駐屯地で暮らすようになっていた。

当時は、左翼系の反自衛隊デモ隊が赤旗で駐屯地を取り囲んだり、
制服で外出していると税金泥棒と罵られたりした。

今から思えば、いい心の肥やしになったが、
当時の少年のわれわれには暗い、つらい時代であった。

哀調を帯びた消灯ラッパを聞きながら、ベッドで人知れず涙を流すこともあった。

当時の藤圭子の歌に「15、16、17と私の人生暗かった」という歌詞があるが、
まさに我々の詩だと思ったものである。

そして、今のように携帯メールもなく、唯一の楽しみが家族等からの手紙であった。
こういう状況の中で、お互いが中学の卒業アルバムを見せ合って、
文通相手を紹介しあったものである。

私の郷里の愛媛の最南端の一本松町(現愛南町)にも、
同期の友人が、私の紹介した文通相手に休暇を利用して会いに来たこともある。

この時、私は思い切って一つ下の五十鈴さんに、文通を求める手紙を出した。

生涯初めてのラブレターである。

私が五十鈴さんをはじめて知ったのは、中2の春。

愛媛は東予、中予、南予の3つに区分されるが、
そのもっとも田舎の南予地区中学陸上新人戦に一泊2日の日程で宇和島に行ったときである。

一本松中学校から男子4人、女子2人が選ばれた。
田舎の中学校には、陸上部などはなく、男子はリレー選手4人として、
サッカー部3人と野球部の私が選ばれた。

そして女子は砲丸投げの同級生と、
100メート走に1年の五十鈴さんが選ばれたわけである。

会った瞬間からドキ!となった。
いわゆる一目ぼれである。

もっともそれ以来、心の中で思っていただけであるが...。


彼女の家は、町の鎮守様の神社である。
中学校を見下ろす位置にもある。

それ以降、正門をくぐりながら、彼女の家を右手上に見て、
会えたらいいなあとドキドキしていたものである。

そのうち、同じ町に住む同級生がいろいろ彼女のことを教えてくれた。

「今のお母さんは、病院の婦長さんをしていた。亡くなったお母さんはやさしかった」
 

その婦長さんは、私が小さい時に麻疹に罹った時に、
医師とともに往診で見えられていて、美しくかつキビキビした仕事ぶりに、
子供ながらよく覚えていた。

『ああ、あの時の看護婦さんが、五十鈴さんのお母さんになったんだ・・』


 五十鈴さんと最初で最後に二人きりで話したのは、
私が中3の夏の大会前の野球の練習の時。

グランドの外まで飛んだ行ったボールを探しに行くと、
偶然彼女が通りかかっていてボールを拾ってくれていた。

手渡されながら・・

「ありがとう!」。

まあ、話したというよりも、ひとこと声をかけたといった方が正確ではあるが、
今でもこの時の情景と彼女の笑顔は、しっかり脳裏に残っている。

もっとも、これが今生での彼女にかけた最後の言葉にもなった。

 それから想いを秘めながら中学を卒業、郷里を離れ横須賀から、
思い切って手紙を出したわけである。

しかし、返事は来なかった・・・。

 それ以降、休暇で愛媛の実家に帰省した時は、夕方になると、
「トレーニングしてくる」と中学校のグランドによく行ったものである。

 『ひょっとして、彼女に会えないかなあ・・』

 そうして7年がたち、防衛大卒業前に、
2回目のラブレターを思い切って出したわけである。

もっとも、残念ながら返事は来なかった。

 そして、さすがの私もあきらめた・・


 *1991年夏

 それから14年の歳月が過ぎた。
 
 末期を迎えた父の入院先である地元の病院に行くと、
彼女が薬剤師として働いていることを知った。

素敵なお医者さんと結婚し、子供にも恵まれ幸せな人生を歩んでいた。
廊下から薬剤室で働いている彼女の横顔を見かけたが、挨拶もせず、そのまま帰った。


その翌年。

彼女が自殺したことを、田舎の母から聞いてビックリした。

血のつながったお父さんは既にこの世を去っていた。
家庭問題等で悩んだすえ、実家のお母さんに相談に行ったが、
「しっかりしなさい」と門前払いのような形になったようだ。

それが、彼女のやさしい心には耐えられなかったのだろうか・・・。


 

*2001年夏

 北海道で単身赴任中の私は、急きょ札幌の救急病院に運ばれていた。

 有珠山噴火災害派遣の現地運用責任者として日本初の政府現地対策本部を立ち上げて
一人の死傷者も出さずに無事災害派遣を終え、
引き続き陸上自衛隊初のコンピューターを活用した師団対抗指揮所訓練も責任者として無事終え、
札幌すすきので打ち上げをしているときに、
急に偏頭痛とともに体が動かなくなった。

 救急車で病院に運ばれながら、肉体の意識が薄れる中で、
魂レベルで不思議な体験をしていた...


 暗いトンネルを過ぎると、きれいな花畑が現れてきた。
気持ちも清々しく、まるで懐かしい故郷に帰った感じである。

やがて多数の人が出迎えにきていることがわかった。
死んだはずの祖父母や父が若いはつらつとした姿でいる。

これまでの人生で様々にかかわった人がにっこりと迎えに来てくれているのだ。

 その中に五十鈴さんもいた。

 ボールを手渡してもらった時の、美少女の姿である。
 
 すると、やおら彼女が前に出てきて、
私の手を取ると来た道に私を引き返しながら...

「あなたは、まだここに来てはダメ。あなたはまだ向こうの世界でやるべきことがあります。

 私は、あなたのラブレターを2度とも受け取っていません。

 何故そうなったのかは、ここにきてわかりました。
 いずれにせよ、時が来たら、今度はゆっくり話しましょう・・」
 


 まぶしい中で目をあけるとMRIの中だった。
 やがて、主治医が
「池田さん、意識戻りましたね。血管は切れていません。過労でしょう。無理しないでください」


*2012年秋

あの時の不思議な体験を思い出しながら、目の前の出川先輩に、

「今度、奥様のお墓詣りさせてください」

    と感謝を込めて、同窓会場をあとにした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 公式HP: http://ikedaseiji.info/
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