大難を小難に...阪神淡路大震災を顧みて
大難を小難に
...阪神淡路大震災を顧みて
あの日から20年の歳月が過ぎました。
1995年1月17日5時46分、
淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として、
マグネチュード7.3、震度7の阪神・淡路大震災が発生し、
6434名の尊い命が亡くなりました。
そして、その2ヶ月後の3月20日には、地下鉄サリン事件も起こりました。
まさに1995年は、日本の危機管理上のターニングポイントになった年でした。
当事私は陸幕の運用第1班、通称運1の作戦幕僚として現場で対応し、
様々な教訓を得ました。
その一つが部外関係機関等との関係、大きく見ればこの国の危機管理体制の確立です。
知事の要請なき出動の真相
さて、現地の部隊からは、
「1月17日10時に知事から派遣要請を受けた」と運1の方へ報告がありました。
未曾有の震災で、地震突発以降全てのインフラも壊れ、電話も不通のはずです。
自衛隊そのものも「非常呼集」の連絡さえできなかったのです。
しかしながら、隊員たちは、すぐに倒れたタンスから戦闘服を取り出して着替えると、
家族に「後は頼んだぞ!」と自主的に出勤して来たのです。
私の運1の先輩で被災地区を担当する第3師団の3(作戦)部長大塚1佐は、
執務室の倒れた書類ボックスの上の瓦礫を片づけ、蝋燭の灯りで、
「派遣命令」を起案、師団長の「事後決裁」で部隊に発令したほどです。
しかも当時は、神戸の街等を自衛隊が徒歩訓練で歩いただけで苦情の電話が来る雰囲気です。
普段からの自治体との連携も全くできていないこともわかっています。
にもかかわらず、どんな手段で、要請が来たのでしょうか。
要請があったか、無かったのかで、後々責任問題にも発展しかねません。
実情を知るには、自ら現場に立つことが原則です。
このようなわけで、阪神淡路大震災発生の4日後に、
現地部隊の支援と、「密かに」真相解明のために、陸幕連絡班を編成して、
運用責任者として被災地にヘリコプターで駆けつけました。
因みに被災地をヘリで上空から見ても、なんら建物の損壊は確認できません。
地上に降りて初めて一階部分が全て潰れているのが分かります。
いかに早く現場に立つのが大切か、これだけでも分かると思います。
その際、移動にライトバン等車は役に立ちません。
渋滞で一切動かなくなります。オートバイや自転車が最適です。
現場での確認の結果、知事からの出動要請はなかったものの、
「双方の都合」で10時に要請があった事にしたと理解しました。
知事にとっては、自衛隊に要請をしなかったとなると、間違いなく次の選挙で落ちます。
政治家生命の問題です。
自衛隊としても、勝手に出動したとなると、後々問題になる畏れもあります。
当時の、自衛隊の置かれている社会的立場は、それほど弱かったのです。
実際問題、すでに朝6時の時点で、
倒壊した伊丹駅に地元の36普通科連隊が自主的に救出に出ています。
総監涙の記者会見の実相
当時、総監の涙の会見、がありました。
阪神淡路大震災災害派遣の自衛隊責任者として、中部方面総監の松島陸将が、
自ら約二時間の記者会見を行ったのです。
災害対処における現場処置から国の処置までを諄々に説き、
その中で自衛隊がどのように行動したかをわかりやすく説明した素晴らしい内容でした。
最後に、これだけやったが、6000名を超える被災者が出てしまい、
哀悼の意を捧げると、涙を流されました。
総監の真後ろで聴いていた私も感動しました。
ところが、ニュースを見て愕然としました。
2時間のうち、最後の涙のシーンしか流されません。
ニュースもコマーシャルと同じで、15秒、30秒、1分等、枠組みでつくられます。
要は、見ている視聴者に何を「信じさせるか」の方針のもと、
数秒単位の映像を集めて一つの流れに編集し、
これにコメントで「マインドコントロール」するわけです。
もっとも当時は、そのような「からくり」など、知るよしもありません。
この時の教訓から自衛隊も「広報」の重要性を認識し、
幹部教育等にも組み込まれるようになったわけです。
後に、私も陸上自衛隊小平学校で渉外広報教官室長に就任し、
この体験を幹部教育に活かしました。
その総監の記者会見のニュースを再現すると、
先ず、知事の記者会見が流れます。
「自衛隊が遅かったようで・・」と口を濁らせています。
次に、被災地域の状況と、自衛隊の活動シーンが流れ、
最後に総監の涙顔のアップで終わります。
アナウンサーが「自衛隊が遅れたようです」とコメントしてニュースは終わりました。
知事は、総監の前では「お世話になっております」と平身低頭でした。
メディアによるマインドコントロールの実体を味わったいい体験となりました。
その翌日の、総監部の夜の作戦会議の後、総監と私だけが残っていました。
総監が私に向かって言われた言葉が今でも思い出されます。
「政治家は二枚舌だなあ。俺はいつかあいつをやったる!!」
自衛隊の活動の原点は「現場力」
確かに、阪神淡路大震災では、陸、海、空の現地連絡事務所が、
県庁の中で別々の部屋に設けられ、統一されていなかったのも事実です。
それにもまして、国としてほとんど努力の結集ができなかった事が、最大の教訓となりました。
村山首相自身が、発災後もそれまで通りのスケジュールを
何も無かったごとくこなしていた状態です。
その不備をカバーしたのが、自衛隊隊員の「現場力」。
命をかけた救出活動だったと思います。
ハイテク装備をもった消防等のレスキュー隊員は、
余震の続く中、壊れたビルの瓦礫の中には入っていけません。
レスキュー活動で、自分たちが命を落とす二次災害は許されません。
命は、地球よりも重いのです。
しかし、自衛隊は、その命よりも重いものを背負って活動します。
それは、「任務・使命」であり「国・日の丸」です。
消防がだめなときは、後ろを見て警察に頼みます。
その警察がだめなときは、後ろの自衛隊に任せます。
その自衛隊の後ろには誰もいません。
自衛隊ができないときは、日本の終わりを意味します。
それ故、自衛隊は、隊員が「戦死」つまり「自己犠牲」しても
救助できれば、レスキューは成功なのです。
自衛官は、そのために、
「ことにのぞんでは、身をもって国民の負託にこたえます」
と全員が宣誓しているのです。
さて、被災者は、早朝寝たままの状態で埋もれています。
しかし、消防等のレスキューは道路に面した部分だけ救助活動すると、
「まだ中にいます!」という家族の声を尻目に、次に行きます。
やがて自衛隊がきます。
20年も使っている古いトラックから降りてくる隊員が持っているのはシャベルだけ。
それでも、中に被災者がいるとわかれば、穴をこじ開けて、班長がまず腹這いで突入し
、次々に隊員が続きます。
そして、先頭の班長が、「引け!」の号令のもと、前のものの足を両手で握り、
外にいるものが、足を引いて「ごぼう抜き」で救出します。
班長の腕には、しっかり被災者の手が握られています。
この間、手を合わせて、「大きな余震が来ませんように...」と祈っていた家族が、
ありがとうございます!!と涙でお礼を言います。
行動して評価される自衛隊へ脱皮
そのような救出活動が被災地一帯で繰り広げられる中、
「チラシ」を配っている若い元気な女性たちがいます。
チラシをもらってみると
「自衛隊は憲法違反です。自衛隊からはご飯をもらわないでがんばりましょう!」
と書かれています。
代表は辻元清美女史でした。
もっとも自衛官はこのような活動家の存在など目にも止めていません。
彼女たちの家族をも、区別することなく救助します。
当然のことで、書くまでもないことですが。
これが利に基づく覇道の米軍と違った、
被災者のために命を賭けて誠を尽くす武士道の自衛隊の災害派遣です。
やがて、このような自衛隊の活動が続くと、
チラシの裏に「自衛隊さんありがとう」と書かれ、
王子動物園に展開する自衛隊の宿泊地「拠点」の電信柱に、
貼られるようになりました。
まさに、現場の自衛官の命をかけた活動によって、
「存在を認知してもらう自衛隊」から「行動して評価される自衛隊」に進化した瞬間でした。
日本の危機管理体制の完成
さて、人生で起こることは、絶妙です。
やり残した課題は必ず果たすまでやってきます。
阪神淡路大震災の課題は、国家としての努力の集中、
「危機管理体制」ができていなかったことです。
その為、政府も災害基本法を改正し、大震災の時は、現地に「政府現地対策本部」を設置し、
国家として「現場指揮」することが規定されました。
しかも国、地方自治体、自衛隊・警察・消防の3実行部隊
そしてメディアの4者が同じ建家で一体となって行動するのです。
阪神淡路大震災から5年が経過した平成12年(2000年)3月31日、
23年ぶりに北海道洞爺湖湖畔の有珠山が噴火しました。
奇しくも私は、北部方面隊総監部の訓練班長に前年の4月着任していました。
北海道を担任する方面隊の作戦幕僚となっていたわけです。
有珠山は、火山学者の岡田教授がずっと研究していて、噴火を予測し、
三日前から伊達市役所の4階の大部屋に「伊達政府現地対策本部」を設定することも決まりました。
設置が決まったものの、運営要領等は一切決まっていません。
日本初のことで、誰も分かりません。
自衛隊を代表して、総監部からも誰かが行かなければなりません。
この時、「私が行きます!」と手を挙げたのです。
密かに『この役目はオレにしかできない』との自負心を抱いて...。
そして、メディアと一体化した総合的活動が功を奏し、
1万5千人の緊急避難で一人のけが人も出すことく救助。
その後のほぼ3ヵ月の噴火活動により、溜まっていたマグマの圧力が徐々に低下、
「本格的噴火」を迎えることなく、有珠山噴火は終焉を迎えることができました。
日本を守る自然の神様が、日本の危機管理体制はこれでできあがった、
もう大丈夫と確信して、98%のマグマをそっともとの位置にもどしたのかも知れません。
事後、中越地震等大震災で「政府現地対策本部」を立ち上げる時は、
この有珠山の成果が最大限活用されました。
阪神淡路大震災時からやり残した課題であった「国家の危機管理体制」が果たせたのです。
私も、人生の一つの課題がここで成就した、と思いました。
また、これから起こるであろう南海トラフ型地震や東京直下型地震も、もう大丈夫と思っていました...
3.11フクシマが起こるまでは...
追伸・・・なぜフクシマで政府現地対策本部が設立されなかったのか、、
新著で明確にその理由を分析しました。
是非、ご笑覧ください。
2月6日発売開始、現在アマゾン等で予約受付中です。
「離間工作の罠」(ビジネス社)






