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幸せの原点・・・その一

    幸せの原点

 今年の夏は、久し振りにふる里の愛媛県愛南町に家族とともに車で帰省しました。
父母が生きていた頃は、盆正月ごとに帰ったものですが、歳を重ねるとともに、遠のいてきました。

 何しろ、遠い。
私の実家のある旧・一本松町は愛媛の最南端の約4千人の農村。

北に松山に出ても上り、東に高知に出ても上り。
つまり、下りの無い町です。

四国八十八箇所巡りの「裏玄関」と言われる40番「観自在寺」が
同じ愛南町・旧御荘町にあります。

 実は、平成の合併の時に、南宇和郡全7個町村が合併しましたが、
人口が足らず愛南「町」止まりでした。

まあ、それでも妻の実家のあった旧・西海町も同じ愛南町となり、
同郷意識は強まりました^^。

いずれにせよ、埼玉の自宅から車で約1000km。
片道休憩等を含み20時間はかかるとみなくてはなりません。

 田舎には電車もバスもありませんから、足=車が不可欠です。
それに、車だと否応なく外部と遮断された「異次元空間」に、
長時間一緒に暮らすことになりますから、
普段それぞれの忙しい生活パターンではできない「団らん」のまたとない機会にもなります。

運転していると、助手席に座る人と一番会話が弾みます。
かっては、妻だけでしたが、やがて長男、次男、三男となりました。

高一の長女真菜は、まだ助手席には座りません。
次回の楽しみです。今回は長男・英人が運転して新たな会話パターンが楽しめました。
 
 是非、都会生活で失われがちな家族団らんを、車旅行で取り戻してください。
 
  
 ところで3年前は、家族6人全員で帰省しましたが、
今回は残念ながら次男聖人が仕事で帰れませんでした。

聖人は、我が家で一番運動能力も高かったのですが、
この2年間の仕事でその体型も崩れてきました。

週末も含め毎日深夜帰宅か職場に泊まる激務。
自衛官生活しか送ったことのない私にとっても、
現代の若者の仕事環境、特にベンチャー企業の厳しさを目の当たりに教えてくれています。

願わくば、健康を損なうことなく、待ってくれている彼女と幸せな家庭を築いて欲しい...。


 今回の帰省は、まず三男悠人と長女真菜連れの四人で、小淵沢の仲間に会って「合宿」。
夜遅く体育館で球技等も楽しみました。

翌日は、電磁波や水、サウンドヒーリングなどで有名な増川いづみ博士邸を皆で訪ねました。
ミニサウンドヒーリングも受け、癒されました。
三男、長女は、前夜の疲れか心地よく爆睡していました。

 その後、名古屋の長男のアパートに、
ハッピー(ミニチュアダックスフンド♀7才)を預け、ホテルで二泊目。

翌朝は、気合いを入れて5時に長男の運転で出発。
愛媛に入り石鎚SAで1時間ほど、愛媛講演の主催者等と調整。

結局愛南町には、午後8時過ぎに到着。
三日かけての帰省となりました。

 家族曰く...「田舎は遠いね~~」^^;


 ちなみに、復路は、土曜日の朝5時に出発。
翌日曜日に甲府講演が入っていたので、名古屋で長男をおろし、
食事等休憩を最小限にして、一気に18時間で帰宅しました。


 
 43年前、農家の次男であった私は、15才で自衛隊の道を選びました。
ところが、防衛大受験前に、急遽跡取りとなりました。

防大を卒業して初任地の北海道千歳から休暇で帰省し恩師である中学校の校長先生を訪ねた時、
「嫁こちらでさがそうか?」「お願いします!」となりました。

 そこで、千歳に帰ったあと、恩師に条件を手紙で書きました。

 1、健康で素直
 2、小さいときの不幸を克服

 学生時代に三浦綾子著の「塩狩峠」を読んで感動し、北海道に赴任したときに、
その主人公の殉職碑のある塩狩峠を訪ねていました。

この時から仕事柄、万一の時に主人公のように人のために命を捧げることができるだろうか...
と自問自答する契機を与えてくれました。

その一つの解答が、オウム事件の時に、妻に
「三日帰らない。連絡が無いときは、死んだと諦めて3人の子育てたのんだぞ」
と言い聞かせて上九一色村サティアンに向かった時でした。

 ちなみに、塩狩峠では、小さいときからの難病を主人公の助言で克服した札幌の彼女に、
結納を収めに行く列車の最後の一両が塩狩峠で離れて逆走。
それを止めるために主人公が、自ら車輪の「杭」となって殉職した地なのです。

 また、15才で「反戦」「反自衛隊」のデモに取り囲まれて、
自己の存在を否定された哀しさ、悔しさで、消灯後にベットの中で涙しました。
その逆境をバネに防衛大の受験勉強をはじめて、現在に至っています。

 そのような「思い」「体験」が「不幸を克服」と条件にしたのです。
 
 
 そして、紹介されたのが、今の妻です。 

 妻の母は、妻を産んだ四日後に産褥熱で死んでいます。
ほどなく父が再婚したため、石垣で有名な中泊という人口500人ほどの
半農半漁の集落で一人暮らししていた祖母が、13番目の子供として育ててくれました。

5月の連休を利用して「お見合い」で帰省した私は、まず、その祖母を訪ねました。
「この子は、将来よその家に嫁ぐので、厳しく育てました」。

村の相談役となっている祖母のこの言葉で、間違いない!と判断し、
少女の意志に関係なく、会う前に即結婚を決めました。
妻19才、私23才の春でした。

 ただし、婚約期間を1年持ち、相互理解のために大学ノートでの交換日誌を行ないました。
今のように携帯電話もありませんから、交換日誌は2冊で「循環速度」を倍にしました。

最初のデートでは、宇和島の本屋で、
私の原点である「塩狩峠」と山本周五郎の「婦人道」をプレゼントしました。


 そして35年前、妻のお母さんの墓前で、
「あなたの遺してくれた大事な人を幸せにします」
と誓いました。

 妻と祖母の思い出の実家はやがて取り壊されて更地となりましたが、
墓参りのあとで必ず訪ね、
「おばあさん、天国から貴子は幸せに見えますか?」
と問う私の心の「聖地」ともなっています。

 私の実家には、私の祖父母の写真の横に、妻のお母さんの遺影があります。
たった1枚しか残っていない貴重な写真です。

きっとお葬式で使われたに違いありません。
今では妻よりも若いお母さんの遺影。

妻が長男を無事出産したとき、妻がお母さんの享年を超えたとき、
心の中で「安堵」したものです。

そしてつくづく思います。
父母の愛情を知らずに育っても女性は立派な母親になれる、素晴らしい、と。

今回、改めて携帯電話にお母さんの写真を収めてきました。
妻は知りません^^。


 その実家も、母亡き後、9年間誰も住んでいないので、通常なら廃屋になっています。
ところがグリーンオーナー倶楽部(GOP)の大下代表、菅原事務局長が、
実家をそのまま活用して完全自然農の米作りを、跡取りの私の代わりに行って頂いております。

それ故、家も朽ちず、帰省でも活用できるのです。
改めて、この場で、大下代表、菅原事務局長、
そしてグ全国のリーンオーナー倶楽部の皆さんに感謝の言葉を述べさせて頂きます。


 あれからもう35年が過ぎました。
子供も4人生まれました。

もっとも自衛官生活の後半は、単身赴任なので、家のこと、子育ては全て妻任せでした。
2年前に退官しましたが、下二人がまだまだ学生にもかかわらず、
再就職もせず(できず?!)、好きな言論活動をしています。

「幸せ」どころか、経済的には「苦労」のかけっぱなし??^^;
いずれにせよ、幸せにする努力だけは、精一杯行いたいと思います。


 人には、それぞれ、生まれてきた意味と役割があります。
さらに、その人の集合体である家庭、社会、日本、そして地球にも存在の意義・役割があります。

その役割をどこまで自覚して生きていくか、いまそこが問われていると思います。


 ちなみに私は、文筆活動を3分野で行っています。
「マインドコントロール」に代表される「社会の真実」、
「転生会議」に代表される「宇宙・人生の真相」、
そして「家族愛・自然との共生」をテーマにした具体的なエッセイ。

このうち、一番世に出したい山歩き等を通じた自然との一体感のエッセイなどは、
出版会社から「キムタクでないと売れません」と断られています。

 本来は、このコーナーでも、この様なエッセイを出したいのですが、
世の真実を出すことが緊急課題の時代になってきました。

なかなかエッセイを出せない代わりに、是非、その代表作であり、
万一の時の子供への遺言代わりとして渡した「心の旅路」(新風舎・新日本文芸社)と、
池田整治公式HPの「池田文庫」をご笑覧下さい。

HPには、13年間のエッセイと写真があります。
写真は日本一になった夕陽も含み、自由にお使い下さい。

万一、奇特な出版社と機会があれば、その中から本を出したいものです。





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