ゴッホの愛した日本...日本のミッションはどこに?(その一)
ゴッホの愛した日本...日本のミッションはどこに?
今年も、もう立春である。
時の流れは速い。どんどん加速しているように感じるのは、私だけだろうか?
太陽系そのものが、銀河系の中心部から上下に吹き出ている巨大なプラズマ帯に入っているので、
様々な変化が起こっているのかも知れない。
喩えば、惑星が太陽を周回するスピードが仮に上がったとしても、
1日に変わりがないので、時計などで物理的に確認することはできないのかも知れない。
さて、もっとも気がかりであったニビルの影響も、うまくクリアしているようだ。
先日夜、家の近くの埼玉県南部で、隕石と思われる物体が落下したと報道されたが、
いよいよニビルの影響が出るのか、と妻と案じていたが、それ以上の隕石はいまのところない。
宇宙は謎に満ちている。
しかも一番情報を持っているNASAが、真実を隠すための活動をしているので、
情報源のない我々には本当の姿はうかがい知れない。
ある筋の情報によれば、一昨年の福島第1原発の3号機のプルトニム核爆発は、
本来はかなりの放射性物質を巻き上げたらしい。
ところが、上空に50基ぐらいUFOが現れ、その放射能を削減したとのことだ。
プルトニウムが鉛に変わるのに数万年以上かかるのを、
ニュートリノなどの照射で瞬間に安全な原子に転換したのかも知れない。
様々な宇宙情報から自分なりに判断して、この話は、「事実」と思っている。
だとすれば、ニビルの影響で一番問題となるであろう、小惑星群を突き飛ばして、
大気圏で燃え尽きないほどの大きさの破片が地球に落下することに関しても
、我々の伺い知れないところで、様々な「宇宙人」等がクリアしてくれているのかも知れない。
そうだとすれば、様々な問題を抱える人類であるが、
宇宙レベルで「期待」もされているに違いない。
一番の問題は、その期待される現代人類の「役割(ミッション)」を
しっかり自覚することである。
さて、アルジェリアで傷ましい事件が起こった。
日本人技術者多数が働くアルジェリア国営プラント企業が襲われ、
日本人10名が犠牲となった。
何よりもショックだったのは、「日本」そのものが攻撃の対象になったことである。
資源がなく、世界一の技術立国である日本からは、
経済発展に伴い地球のあらゆるところに企業や人が進出している。
これまで外国企業等がテロの対象となり、
日本人が巻き込まれたとしても日本人であることがわかれば、
危害が加えられることは少なかった。
日本人は、テロ側からも「恩人」扱いだったのだ。
ところが、今回は、ことさら「日本人」が標的にされている。何故なのだろう......。
希望の星・日本
かつての平成4年、
カンボジアに初めて陸上自衛隊を国際連合平和維持活動(PKO)で派遣した時のことである。
選挙監視というボランティア活動に応じた日本人の若者たちが、そのカンボジアにやってきた。
募集した外務省の説明では、「現地は安全」となっている。
もっとも、自衛隊の派遣そのものも、「安全地域」という政府の「説明」で派遣されたわけである。
ただし、本当に平和なら、わざわざ各国の「軍」がPKOで派遣されるはずもない。
自衛隊に付与された「道路・橋の改修」など、日本の民間企業に行わせた方が、
機材も新しく、日本社会への経済的効果もある。
危険で軍しか活動できないから、日本も人的貢献として国際社会にアピールするため、
自衛隊が派遣されたわけである。
こういう場合、いつもながら、現場の叡智で問題が解決されてきた。
中央からまともな指示がなくとも、現場がなんとかする。
まさに、「現場力」。日本人の智慧・特性である。
今回のフクシマ原発事故も、この「現場力」が、災害を最小限に留めてくれている。
さて、現地に来て実情を知れば、日本人ボランティアたちは、
自衛隊タケオ駐屯地から出ることができない。
さらに、彼らが選挙監視でカンボジアの各地域に行った場合、
ゲリラに襲撃された時に、どのように安全を確保するかが問題となった。
「邦人救出」の「任務」がない限り、自衛隊は動くことができない。
まともな国なら、すぐに首相から「邦人警護」の任務がくるだろう。
いや、普通の国であれば、軍を派遣しているということは、
部隊・個人にかかわらず、それぞれの状況判断で、所在する国民を守るのが世界常識である。
どこまでやれるかは、キチンと作戦規定で定められる。
ところが、日本の官僚等には一切その「軍事思考」自体ない。
手続きから見れば、再度国会審議で新たに任務付与してもらわなければならない。
しかも任務に付随する武器使用まで、細部決められる。
これは軍事常識でなく、国内の警察官の職務執行法の準用となる......。
要するに、現場には間に合わない。
そこで考えられたのが、「エスコート方式」である。
武装した自衛官が、しっかり24時間態勢で「同行」する。
但し、任務は、翌日の作業のための、防衛庁(当時)任務のひとつの「調査・研究」。
これなら「(国内)法規」に抵触することなく、ゲリラに襲われても、
「任務遂行のための武器使用」はできずとも、「正当防衛」「緊急避難」で対処できる。
もっとも、軍事で一番有利である「機先を制す」ことができず、
まず、「撃たれて」からの対処となるが......。
ところがこれらが杞憂であることがわかった。
反政府ゲリラ等が、「日本人には手を出すな」と厳命していたからである。
その理由に、世界の大多数の人々が「日本に望む役割」を感じた。
実は、日本の軍隊がカンボジア、つまり仏領インドシナに進出するのは、
自衛隊が二度目であった。
最初は、大東亜戦争(太平洋戦争)の初期、旧陸軍が進出し、
植民地軍であるフランス軍、英国軍等を一気に駆逐し、
数百年に及ぶ白人による植民地支配からインドシナの人々を解放したのだ。
つまり、白人たちに虐げられた現地人にとって、
日本は奴隷状態からの解放の「希望の星」であったのだ。
最終的には、日本は白人等支配世界を相手に1国となっても戦い、敗戦し、
東南アジア等からも軍は引き上げることになった。
日本の敗戦とともに、かつて植民地支配していた白人たちが、
また支配のために軍を派遣して来た。
ところがこの時、本土には「戦死」と報告し、現地の解放軍となって、
現地人とともに独立解放戦争を戦った日本人軍人たちがいる。
インドネシアなどでは、連隊長以下部隊単位で、「現地人」に「生まれ変わった人」もいる。
ベトナム戦争でさえも、解放軍、政府軍双方に旧日本軍軍人がいて、
彼らが指揮する戦いは圧倒的に強かったと言われる。
海軍の先任兵曹長だった私の父も、シンガポールで英国軍に武器等引き渡しの交渉をしたが、
解放軍側から士官待遇での招請を受けていた。
但し、父の場合、我々が帰国すれば日本は蘇ると部下を説諭して、昭和22年日本に無事帰国した。
私が中学生の頃、その部下の方々が家族とともに、
愛媛の田舎の実家までお礼に訪ねて見えられたのを今でも思い出す。
また、真珠湾攻撃に成功したときに、奴隷待遇であった当のアメリカの黒人たちが、
日本の奇襲成功を祝ったと伝えられている。
要するに、日本は、この地球の現代史において、
白人によって虐げられていた人々の「希望の星」だったのである。
アフリカの現実と地に落ちた日本の評価
一方、もともと遊牧民等が国境もなく自然とともに暮らしてきていた
アフリカでの植民地支配は壮絶であった。
奴隷貿易など、黒人は動物扱いであった。
また、それは直線で区切られた国境線を見るだけでも想像がつく。
住民に関係なく、白人たちの身勝手さで国家が作られていったのだ。
特に、レアメタルや石油等の資源を収奪するために、「企業」が中心となって進出してきた。
膨大な利益の一部を王族や支配階級に配り、「分離支配」を強化する。
こうして、利益の配当のない一般国民との極端な貧富の差が固定化されていった。
この構図が続く限り、ジャスミン革命や暴動、そしてテロ活動は無くなることはない。
そして怨嗟の対象は、植民地支配の象徴である外国企業にやがて向けられる。
問題は、何故日本人が、その攻撃の対象になってきたか、と言うことである。
実は、9.11テロから一連の米国による「対テロ戦争」の中で、
ブッシュが国連等の国際社会の意向を無視して、
イラクに「侵略」した時から悲劇が始まったのである。
当時の日本の「自公政権」は、ブレア英国とともに、
ブッシュのアメリカに追随して、自衛隊も派遣してしまった。
この時から、日本も植民地解放の星から、
「武力で資源を奪う側」と見られるようになったのである。
もっとも、おもてなし精神で地元民と交流する自衛隊は、
他国軍と違い、現地に受け容れられて歓迎された。
この日本方式は、やがて他の国の模範とされるようになった。
ここでも日本の「現場力」が発揮されたと言える。
英国ではウィリアム王子の挙式が大々的に祝われたが、
その会場にブレア元首相は呼ばれなかった。
ブッシュに追随して無辜(むこ)の英国青年を戦死させたと、
国民からもっとも嫌われているからである。
もっとも、完璧な米国のメディア洗脳下にある日本社会では、
こういう情報も流れず、相変わらず今回も「対テロ重視」と「米国一辺倒」の姿勢が変わらない。
さらに、資源の枯渇が叫ばれ、ますます資源獲得のための闘争が激しくなっている。
アルジェリアの隣のマリでは、旧宗主国のフランスが経済破綻したアメリカの代わりに
新たな資源獲得のための軍事介入さえ始まっている。
この観点から見れば、日本及び日本人は、
かつてのインドシナでの白人たち既得権益グループと同様に、
やっかいな「邪魔者」に映るかもしれない。
何故なら、彼らと日本人との、現地人たちに対する「意識」「思い」が正反対であるからだ。
欧米人は、植民地支配500年の歴史が語るように、彼らのお金儲けのための資源獲得の進出である。
邪魔な場合、動物と同じように現地人を抹殺する。
彼らの「信じている」キリスト教は便利なモノで、
キリストを信じないものは、川の向こうの人々、
つまり動物と同じでいくらでも殺すことができる。
もっとも、このキリスト教自体が、本来のキリストが述べた教えとは違っているが......。
一方、日本人の場合、万物に神が宿る潜在意識のもと、
「おもてなし精神」で、その国、地域の人のために誠実に支援する。
ともに「働くこと」も教える。
心からかれらの経済的な自立を目指した活動をする。
今回の日揮の現地での活動も、地元民から祝福されていた。
ところが、こういう活動で、日本人と現地人とが力を合わせるようになると、
一番困るのが、白人型の植民地支配体制側である。
今回の襲撃者たちが、アルジェリア国内からでなく、マリから国境を越えてきたことを考えると、
欧米支配者たちの日本への警告ではないかと、考えてしまう。
これが杞憂でないことを祈る。
こういう意味でも、「日本の役割」と「対テロ」を、
「日本の視点」で再考しなければならないだろう。






