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2010年 8/15 キャッチボール、パートⅢ…我がふる里、一本松町にいだかれて

キャッチボール、パートⅢ
      …我がふる里、一本松町にいだかれて・・・
  
ビシッ!
「悠人、ナイスピッチング!!俺より球(たま)速くなったなあ!」

 目の前に伏している亡き母の弟である潔叔父越えに、
奥の明るい障子の窓の外から次男・聖人の楽しそうな驚きの声が聞こえてきた。 

 私の後ろのテレビからは、夏の甲子園の熱戦が伝わってくる。
 
 平成21年8月12日、久し振りに四国愛媛の最南端、
旧一本松町の無人の実家に家族6人揃って車で帰省した。

6年前の4月、鳩ヶ谷のマンションから
母の遺骨ともに帰宅して以来だ。

 その一ヵ月前、田舎の病院に緊急入院した母を
松山空港からタクシーで迎えに来て以来、
主のいなくなった実家の鍵は、
母の出里でもある隣家の潔叔父宅に預かってもらっている。

 東名高速道路など1都2府10県をつなぐ
距離約1050kmのふるさとへの道のりを約16時間で走行して、
自宅の門前に止めて、潔叔父宅に鍵を受け取りにいく。

 約30年前に結婚した時は、
私一人の運転だったので適時休養して20時間以上もかかっていた。

今回は妻と長男・英人が交代で運転、ノンストップで走れた。
それに瀬戸内海に本土との連絡橋も3本架かり、
四国内の高速道路も宇和島近くまで延びた。

子供4人を授かったことと共に、
30年の環境の変化を肌で感じる。

 叔父が住んでいる玄関わきの離れに入る。
この盆休み時期はいつもNHKの高校野球を見ていたお茶の間に、
今回は叔母しかいない。

叔父はその奥の座敷に横になって休んでいるという。
驚いて玄関をあがり奥の部屋に入ると、
喉頭ガンの手術をしたということで、
静養しながら野球放送を見ていた。

背にテレビから聞こえる甲子園の熱狂の歓声を受けて、
目の前に横たわる叔父と四方山(よもやま)話をしていると、
叔父との思い出が走馬灯のようによみがえってきた。


 自身も野球少年だった叔父は、野球が大好きで、
一本松中学校のPTA会長をしていたときなどは、
学校にくるとよくグランドに足を運んで、
自らアンパイヤをやりながら指導してくれた。

私にも松山商業など野球での進学を期待していたと思う。
しかし家庭の事情もあり、地元の高校での野球の道を断念した。

 すると陸自・少年工科学校への門出の直前、
同じく中学から大阪への集団就職が決まっていた母屋筋の同級生のI子さんとを、
そろって食事に招いて激励してくれた。

 叔父は畜産業が天職である。
丹精込めて育てた和牛の品評会で農林大臣賞を受賞したこともある。

その自慢の和牛肉で皿よりも大きいビフテキをふるまってくれた。
それまでフォークとかナイフなど一度も使ったことも、見たこともない。

箸でつまんで、生まれて始めてビフテキにかじりついたが、
あのときのとろけるような肉の感触が、
叔父の暖かい思いやりの心とともに蘇ってきた。

 きっとI子さんも苦しいときに、ふるさとと共にあの味を思い出しながら、
いまこの空のどこかで新たな家庭を築いていることだろう。


 そうしているうちに、鍵を取りにいった私が遅いので、
大学2年生となった次男と中3の次男、
さらに社会人3年目の英人が車からミット等を取り出して、
農道の三叉路、つまり我が家の玄関前であり、
叔父宅の離れの目の前のところでキャッチボールを始めたようだ。

私も、叔父へゆっくり静養するよう労りの言葉をかけて、
子供たちのところへ戻った。

 狭い車の空間に16時間閉じこめられて、
その息抜きでもするかのように男兄弟三人がそれぞれの役を演じている。

投手の悠人は裸足で投げている。
それを捕手の聖人が受け、バッターボックスでは英人が構えている。

 聖人の後ろには、小六の長女真菜と、
叔父の5人娘、つまり私の従姉妹の誰かの女の子供たち数人が一緒に、
「わあ、速い!」と言いながら見ている。


 盆の帰省は本当に久しぶりだ。
夏は、次男・三男の野球大会の時期と重なり、帰郷できなかったのだ。
 思えば、長いようで短い13年だった…


 この7月、全国少年野球(ボーイズ)大会埼玉県予選で、
悠人たちオール草加ボーイズはまさかの初戦敗退を喫した。

その前年秋の新チームでの県大会、
さらに年明けの新春の県大会でも準優勝し、
聖人たちから5年ぶりに夏の全国大会を目指していた。

 悠人たち3年生の部員数は少ないものの、少数精鋭で期待され、
関東一と言っても過言でないハードな練習をこなし、
練習試合も関東内の全国レベルの強豪チームと行ってきた。

 ところが好事魔多し。
その強豪チームとの練習試合で、
チームのリードオフマンのトップバッターである沼君と、
サード兼投手の松岡君がデッドボールを受けて、
それぞれ足の小指と手の小指を骨折してしまった。

まさかスパイクの上からの死球で沼君まで骨折しているとはわからず、
彼はそのまま試合に出場していた。

 全国予選でもテーピングして1番バッターを務めたが、
センターの守備でのヒット性の打球を追う時の瞬発力や、
バッティングの踏ん張りに力が入らなかったのだと思う。

それでも全国レベルに通用するという意味で、
ほぼ9人野球で行っていたチーム事情では、代わりがいなかったのだ…。

 土日に集中して試合を行うボーイズリーグでは、公式戦は一日2試合だ。
投手は規定で、一日7回しか投球できない。

それ故、最低二人のエースが必要となる。
延長戦ともなれば3人以上必要だ。

 こういう状況のもと、夏の県予選第1回戦ではこれまで通り、
沼君は1番センター、わが悠人は2番セカンドで出場。

投手は、悠人と小学校時代からのチームメイトの左のエース廣橋君が、
一人で7回を投げ抜いた。
 
そして試合内容では押しながらも、2-3の1点差で負けていた7回の最終回、
1死1・2塁で打順が沼君にまわってきた。

ここで相手は3人目の投手を投入してきた。
次の試合のことなど考えず、オール草加との一戦に、
もてる投手力全力で挑んできたわけである。

この3人目の一番球の速い投手に対し、
足の踏ん張りの利かない沼君はボテボテのファーストゴロ。

それでも2死2・3塁と逆転の夢をつないで、悠人に打順が回ってきた。
しかしいい当たりで打ち返すも、ワンバンドで投手ゴロ…ゲームセット!!

 野球は、ある意味確率の試合。
決定的なチャンスに1本ヒットが出るか、出ないかで勝敗が決まる。

その2年前、武南高校3年最後の夏の県予選での最後のバッターが、
実は兄聖人だった。
これも何かの縁だろうか。


 実は、この夏の県予選の前、
子供達に大人のエゴでいやな思いをさせた。

 週末に使っているオール草加ボーイズの専用グランドの入り口に、
「使用禁止・地主」という看板が二度にわたり立てられた。

ささいなことだと思うが、
全国大会へ向かおうとする子供達の心を重くしたことには間違いない。

 こういうわけで、聖人が小2で東京の官舎から引っ越してきて、
やがて子供達にとってのふる里となる里緑が丘パワーズ少年野球チームに入団以来、
13年間にわたって続いた土日の野球支援が、
あっさり「一時中断」することになった。

次の再開は、来春悠人が高校野球に入ってからだ。
それで急遽、家族6人揃って盆の里帰りとなったわけである。





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