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2010年 7/28 先んずれば人を制す!

猛暑の候、皆様にはいかがお過ごしですか。
盆休暇あるいは夏休みが楽しみのことと思います。

今日は、ビックリニュースです。
空手道マガジンの「JKFAN」7月号に
「池田整治の空手道を貫く武士道精神」の
特集を載せていただきましたが、

なんとこれから12回連載で掲載されることになりました。
タイトルは「サムライの空手道」(仮称)

幼少期から中山空手道との出会い等が
逐次掲載される予定です。

先日、その第1回目の
「誕生~少年工科学校入校」までのインタビューを受けましたが、

語り尽くせなかった父とのエピソードなどを
簡単にまとめて、編集長に送りました。

そのショートエッセイをここに転記、紹介します。


****************************
(以下転載)

    先んずれば人を制す!

 ふるさと一本松を15歳で出て、もう40年が過ぎた。
それでも父母が健在の時は父との対話を楽しみに、盆正月はほとんど帰省した。

七年前に母を亡くしてからは、
父母があってこその故里なのだとしみじみ思う。

かってのふるさとには、失われた原日本風景の、
自然と一体化した家族・地域社会の絆があった。

 この世に生を受けてもの心つくころには、
夜明前から牛のえさの草を田んぼのあぜ道に刈り取りにいく父の後ろ姿を見て育った。

やがて私用の小さな「鎌」をもらって、
竹細工で槇の実・紙・水鉄砲などを作って遊んだ。

また、その鎌で削って作った50センチぐらいの木製の帆船を
家と隣接する大根池に浮かべて遊んだ。

 山まで歩いていけるようになると、
薙刀のような大鎌を体格にあわせて作ってもらい、
父母と一緒に植林の下草刈りを行った。

昼食時や休憩時に食べた母の手作りの弁当や、
家の前に植えている木から取っていった柿やミカン、琵琶の味が今でも懐かしい。

奥山の急斜面で踏ん張って大鎌を振り下ろしたり、
稲こきの藁を全身で放り投げたり、鍬を振りおろしたりする運動が、
自然とその後の野球や空手道の運動の、特に足腰の粘りに結びついていると思う。

 また相撲の名人だった父には、「大腰払い」を教えてもらった。

 当時春の節句には、岡駄馬常会約30軒が、
「山の神」という部落の鎮守様の山の中腹にこしらえた相撲場に
年一度のご馳走を重箱に詰めて集まって、子供たちが奉納相撲をおこなった。

勝てば5円、3連勝すれば50円の「大金」がもらえる。

 さらに夏になると年一度、5つの常会からなる広見部落の相撲大会が行われた。
勝てば賞品がもらえるが、感動を与えた「力士」には観衆から、
親の小遣いでは望めないぐらいの「ご祝儀」がもらえる。

ようするに貧しくとも強ければ稼げるわけだ。
その点私の大腰払いは、相手を完全に腰に乗せて投げ捨てる豪快な技なので、
結構受けて稼げた。

当時は水田の用水池に、
砕いたタニシをエサに「夜づけ」の仕掛けでウナギを釣って、
病院横の青果店に一匹百円ぐらいで買い取ってもらっていた。

それを貯めてグローブやバットを買っていたのだ。
それ故、確実に稼ぐ「手段」を教えてくれた父には非常に感謝した。
ちなみに小学校の相撲大会でも準優勝することができた。

 その父から教わったことに「先んずれば人を制す」がある。

 勉強でもスポーツでも、物事をなす場合に、
いち早く練習や稽古にとりかかれば、
必ず誰よりも上達するという教えである。

 ところで伊予・愛媛と言えば野球発祥の地である。
坂の上の雲にも描かれているように正岡子規がBaseballを野球と訳し、
秋山真之・好古兄弟などと草野球を始めた土地柄である。

私も小さい時から部落のお宮の境内や田んぼで草野球をして遊んだ。
もっとも今のように野球クラブがあるわけでないので、
小学はソフトボール、中学は軟式野球、高校で硬式野球と区分されていた。
正式な部活動は、中学に入ってからとなる。

中学に入れば野球をやりたいと思っていた私は、
小学6年の夏から父に言われた「先んずれば人を制す」を実行した。

つまり「走りこみ」と「壁投げ」を、
中学校入部前の日課としたのである。

 「走りこみ」は、家の隣の大根池を大きく回る2kmの周回コースを設定して、
タイムを計りグラフにした。

記録して日々書き込むことが継続の決め手となる。
そのためにストップウォッチが欲しいが、
そんな贅沢品は無理なことがわかっている。

そこで目覚まし時計を持ち出して使った。
ゴールとともに秒針を押さえて止めた^^。

グラフにつけると日々速くなるのがわかる。
走るのが楽しくなる。

この時養われた走力が、陸上部のない一本松中学校で、
選抜陸上大会や駅伝大会の選手に選ばれる要因となった。

また、宇和島市で行われた一泊の南予新人陸上競技大会の
男子四人女子二人の選手となり、
永遠の憧れのマドンナ狩野五十鈴さんを知るきっかけともなった…。

 ちなみにこの「記録」することが、
いい「クセづけ」となって、
大学1年時から始めた「読書ノート」が現在まで続いている。

年度の読書数を棒グラフで表し、折れ線グラフで生涯読書数を描く。
その上にその時の職名などを記録しているので、これまでの「自分史」となっている。

折れ線グラフの傾斜度が、心の成長度そのものの気がする。

 「壁投げ」は、走りこみのあと、大根池の干上がった場所で、
コンクリート壁に石をチョーク代わりに目標の円を描いて、
ストライク100球等、目標を決めて投げ込んだ。

やがて軟式ボールが、数週間で裂けるようになった。
慣れてくると、守備練習として壁と平行に走りながら壁とキャッチボールした。

そのお陰で強靭な肩となって、中学に入部直後、
センターから一気にサードに抜擢された。

その後50代になっても年甲斐もなく、
職場のソフトボール大会などで投手・4番を自ら名乗り出る原動力がここにある。

そして何よりも、父の「先んずれば人を制す」を実行しながら、
「継続は力なり」を学ぶことができた。

なにごとも最初はできなくとも、
とにかく日々継続して練習する。

歩みを止めない限り、継続する限り必ず目標に達することができる。

中学を卒業してふるさとを出た後も、
帰省した時には、この2キロの周回コースを確かめるように必ずジョギングする。

子供ができてからは子供も一緒に走った。

今思えば、わが人生の心のパワーの源泉といえるのかもしれない。

(以上転記終わり)
******************************

果たしてこの文章がJKFANでどのように編集されるか
お楽しみに^^





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