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2010年 6/3 ついている!

ついている!


5月22日、土曜日。

初任採用事務官等課程、つまりこの春採用されたばかりの
フレッシュな社会人学生たちと高尾山に登ってきた。

その週初めの月曜日、教育当初、
彼らに4時間の訓話をしていた。

2年前着任したときは私の訓話も2時間だったが、
今ではどの課程でも4時間になってしまった。

話す私も4時間立ちっぱなしなので、
退官前10カ月を切った寄る年波のせいか、
さすがに足腰にくるが座って聞く学生もよく耐えていると思う^^。

授業の途中で、
「この訓話の修養徳目は、忍耐だよ」
            と冗談を言う。

高尾山登山は、彼らの担任教官であり、
私の空手道部の後輩でもあるN教官が、
遠くて週末家に帰れない学生のために計画してくれた。

私も久し振りの写真撮影がしたくて参加させてもらった。

 高尾山入口から頂上までは、いわゆる表参道を歩いた。
都心に近く手軽に自然が味わえるので、いまや人気スポットとなっており、
人人人で山の挨拶など一切する雰囲気もない混雑振りである。

山登りというより、様々な出店も多く、
まるで原宿の竹下通りを歩いているような感覚になった。

それでも拙い「ホーホケキョ」を聞きながら、

「若いオスのホトトギスが彼女を射止めることができるように
 一生懸命稽古しているね。石垣島に行ったときに島の男性は
 スナックに三線を持ってきて歌っていたよ。

 昔は、通い婚制だったから、
 気に入った彼女の部屋の前で三線を引きながら歌って、
 気に入ってもらえないと部屋に通してくれなかった。
 つまり、ホトトギストと同じで歌がうまくないと結婚もできなかったのだよ」

                などと、若い学生と楽しく話しながら登った。

 教室とは違って、大自然の中で、
全人格的な対話ができるのが嬉しい。

山頂もすごい人だったが、
階段の片隅にスペースを見つけて敷物を引いてのお弁当タイムも、
また授業にないこころ温まる交流の場となった。

私と同じく退官前のベテラン女性のK教官が、
朝早くから五升釜で炊いてつくったおにぎりや卵焼きなどを差し出す。

私も妻が作ってくれたデザートケーキを提供。
男子学生がK教官に卵焼きの作り方を聞いている。

N教官は若い頃仕事で使っていた双眼鏡をわざわざ持ってきており、
遠く霞んで肉眼ではわからない富士山を見せたりしながら、
教官と学生の心の一体感を味わう。

 帰りは、一番厳しいという登山道を降りる。
こちらはかなり険しい階段などもあり、登山客もまばらで、
行き交いながら山ほんらい、
というよりも日本社会の常識だった「こんにちは」「頑張って!」
などの挨拶とともに、新緑の大自然を満喫できた。

この春防衛省・自衛隊に初めて入り、
生まれて初めて家を離れて合宿教育を受けている若い事務官等にとっても、
よき思い出として残るであろう。


 高尾山から鳩ケ谷の自宅に帰るには、
いつも使う西国分寺駅で中央線から武蔵野線に乗り換え、
東川口駅でさらに地下鉄の南北線に乗り換える。
いつもの通勤経路だ。

ところが今回は、東川口駅を素通りして、三郷駅で降りた。

実はグランドのない武南高校が、部員9人に満たない三郷高校で、
グランドを借りて合同練習をしているのだ。

三郷高校野球部にとっても、
部員を借りて練習試合ができるので
野球の楽しさを味わうことができて助かる。


通常高校野球では、チームを「A選」と「B選」に分けて、
それぞれ別行動で練習試合を行う。

もちろん公式大会で背番号をもらってベンチ入りを果たすには、
A選に入っていなければならない。

この日は、三男・悠人たちB選が三郷高校で練習試合を行っていたのだ。


 中学時代のオール草加ボーイズで
1、2番を打ったチームメイトのセンター沼君は、
すでにA選に呼ばれている。

先の埼玉春季大会で武南高校はベスト16に入り、
夏の甲子園予選のシード権を確保した。

ところがその試合で先頭打者ホームランを打った1番・レフトで
リードオフマンである主将が、
左中間のボールを追ったときにセンターと交錯し足首を複雑骨折、
全治6カ月の重傷を負った。

現在大3の次男・聖人と同じく、
オール草加ボーイズでセンター1番だった沼君への期待が伝わる。

いずれにせよこれまでに1年からA選に4人が入っている。
取り残された悠人自身が一番悔しい思いをしている。

数日前妻に、
「俺、高校ではバスケットやりたかったんだ。
 親に言われて武南の野球部に入った」
   というようなことを言ったらしい。

そういえば、中3の野球を終えての受験時代に、
バスケット部の友人とよくバスケットをして夜遅く帰宅していた。

もっとも私の前では絶対に愚痴は吐かない。
前日の夜にスパイクを買いに一緒に行ったが、
「バスケット部の友人に、バスケット部なら
 すぐにレギュラーになれるよと言われたよ」
                と話してきた。

何気なく「人生、いろいろスポーツできる方がいいよ。
     バスケットの運動も野球につながるね」と答えた。

さらに家に着く直前、
「お父さんは、少年工科学校でレギュラーになったのは3年になってからだよ。
 それもずっとサードだったのに、急きょセカンドと交代させられた。
 神宮の全国大会の時はサードをやりたかったなあ」
             と、さりげなく話していた。


 三郷高校のグランドに着くと、
すでに9回の表の武南の攻撃中だった。

ベンチの方に行くと、2年生のご父兄が数名見えられていて、
「悠人君、よく打つようになって、飛ぶようになったと子供が言ってるよ」
と声をかけて下さる。

守備についている三郷ナインの中には、若い監督さんもショートに入っている。
今日はバイト等で7名しか来れず、監督・コーチが入っている。

それでも武南からメンバーを借りずに
三郷高校野球部として単独で試合をしている。

やがて最終回裏の守備に武南がつき、
悠人が新しい赤いグローブ、スパイクでサードを守るのを確認した。

三郷高校の攻撃はあっさり三人で終わりゲームセットとなったが、
すがすがしい高校野球の原点を見る感じがした。


 その後、守備練習のはじまったグランドをあとにして、
三郷駅から自宅に向かった。

さらに、急いで家でシャワーを浴びて着替え、
地下鉄南北線で駒込の北芝健さんの空手道場にボランティアの稽古指導に向かう。

空手道専門出版社チャンプの中地編集長が、
二週間前の取材を機に新たに入部して稽古に来ていることを知っていたのだ。

道場に着くとすでに稽古は始っていたが、
途中から私の稽古指導に切り替わった。

稽古終了後、中地編集長から
「明日にも取材記事の載った7月号が届きますよ」
と教えられたが、改めて人生における多生の縁を感じた。

というのはその1ヶ月半ほど前の4月中旬、
湯島天満宮の神職をしている少年工科学校の同期小野君から紹介を受けた、
古神道の菅家一比古さん宅の年1回の例祭に参加した。

霊性の高い素晴らしい人々と知遇を得たが、
その中にチャンプ社の井出社長が見えられていた。

その後わざわざ執務室まで中地編集長と面会に来られて、
栄養や歴史問題等も含め月刊「JKFan」への連載を依頼された。

現職の身での連載はできない旨をお伝えすると、
取材という形で掲載して、「マインドコントロール」を紹介してくださるという。
ありがたいことだ。

まさに、ついている!!

つまり、2週間前の北芝道場での稽古風景を取材にきた中地編集長が、
そのまま弟子入りというかたちになっていたのである。


翌23日、日曜日夜。

悠人の練習試合から帰宅して郵便受けをみると、
中地編集長から送られてきた「JKFan7月号」が届いていた。
 
さっそく読んでみると・・・
 
*****************************
(以下転載)

池田整治の
空手道を貫く武士道精神

PROFILE
池田整治
Seiji Ikeda
陸上自衛隊小平学校・人事教育部長(1等陸佐)
1955年、愛媛県生まれ。防衛大学校国際関係論卒業。
全自衛隊空手道7段。全日本実業団空手道連盟理事長。
陸上自衛隊第49普通科連隊長を経、現在、小平学校にて、人事行政に
携わる幹部等の養成にあたっている。
著書に『マインドコントロール』(ビジネス社)、
『心の旅路』(新風舎)がある。

 実業団の大会で、独特の光を放つ自衛隊。
精神性の高さと底力という点では、群を抜いている。

職業柄、平素の錬成度が違うといえばそれまでだが、
自衛隊の空手道には特別なものを感じる。

伝統ある防衛大学空手道部に身を置き、
卒業後は、全自衛隊空手道連盟に所属し、
自衛隊の空手道を現在あるものに導いてきた一人が、
現在、全日本実業団空手道連盟理事長を務めている池田整治氏である。


【陸上自衛隊少年工科学校入学】

 池田氏は、愛媛県の最南端の小さな町一本松町(現愛南町)で、
農家の三人兄弟(兄・姉)の次男として生まれた。

当時の農家といえば小さな子どもも働き手として重要であり、
池田氏も小学生の頃から耕運機を使って家業の農作業を手伝っていたという。

 兄は高校の農業科、姉は家政科に進学。
池田氏も高校にいくなら農業科ということで、
普通科に行くという選択肢がなかった。

あるいは、「大工になるか」と言われていた。
氏の中学での技術家庭の腕前を見た父親の言葉であった。

しかし、池田少年は、小・中学校時代は野球少年で、
高校でも野球をやりたいという夢を持ち、プロ野球に憧れる少年でもあった。

 中学3年の時に、隣の町に横須賀の陸上自衛隊少年工科学校に
入っている人がいるというのを知った。

その人から話を聞く機会があり、少年工科学校に興味を持った。
池田氏の父親が元海軍の軍人であったということも大いに影響しただろう。

 池田氏の父は、「自分だけが儲けるのはよくない。皆が儲けるのがよい」
という考えを持った人であり、そのような影響もあり、
氏も中学生ながら「少しでも世の中のためになること」
という視点で物事を考えていたという。

丁度そのような折、先の少年工科学校に出会ったというわけだ。

 話を聞いて、自分も少年工科学校に入り、
自衛官になれば、少しでも社会のためになるのではないかと考えたという。

しかし、少年工科学校というのは、かなり狭き門であった。
農業の手伝いをし、野球を続けながら猛勉強で、その狭き門を突破したのである。


【自己否定を受け苦しむ】

 入学したのは1970年、米ソ冷戦時代であった。
入学してみると、週末には学校がデモ隊に取り囲まれてしまうという環境だった。

「少しでも社会に役に立つのでは」と考えていた
池田少年にとってはショックだったという。

親共産主義の人たちにとっては、自衛隊が最大の敵。
そのような時代だったのだ。

 さらにショックだったのは、初めて外出したときだという。
当時、外出には制服着用が義務づけられており、
初めてのワンマンバスで「どうしたらいいのかな」としばらく戸惑っていると、
バスの運転手に「税金泥棒!!」と言われた。

15歳の少年がそのようなことを言われ、
それは自分の存在を完全に否定されたと同じだったのだ。

その夜は消灯後に布団をかぶって声を出さずに泣いたという。

 やがて「学校をやめたい」と本気で思うようになった。
しかし、愛媛から出る時、家族や親戚、学校の友達などから盛大に見送られ、
いまさら帰るに帰れない。


【暗い環境からの脱出】

 池田少年は、この暗い環境から合法的に脱出する方法を考えた。
それは、防衛大学に入って大学卒業の資格を取り、
松山市の職員として愛媛に帰るというアイデアであった。

 昼間の自衛隊生徒としての勉強の他に、
夜はベッドで毛布をかぶり、懐中電灯を頼りに大学入学資格検定試験、
防衛大学の受験勉強をした。

三年後、二人の仲間とみごと防大合格。

 少年工科学校時代は野球部に一応所属したが、
定時制・通信制の軟式野球大会しか出られなかった。

しかし、防大は同じクラブ活動でも、
大学連盟主催の大会に学生として出られる。

だが、大好きだった野球はやめて空手道部を選んだ。
今でも防衛大学の空手道部は厳しいが、
当時の空手道部はクラブ活動の中でも最も厳しく、
余程でなければ入部しない部だった。

少年工科学校時代の暗い想い出や自己否定された記憶を払拭したい
という気持ちがあった。

「いざというときに自分ひとりでも自己防衛できる最小限の精神性と
 技術を身に付けたかった」と池田氏は語っている。
 

【空手道を貫く武士道精神】

 防衛大学空手道部の師範は、
創部から日本空手協会創立者・中山正敏主席師範が亡くなられるまで務めた。

中山先生は日本の将来を憂い、防大空手道部創部にかかわり、
生涯こよなく愛し続けた。

 池田氏が入部した時、中山主席師範は還暦を迎えていた。
池田氏は4年間師の薫陶を受けることになる。

4年時ともなれば、土曜日の午後、
中山先生の恵比寿の私邸に併設された道場で稽古をつけてもらい、
稽古が終ると道場で焼肉をごちそうしてくれたという。

「池田君、空手道は人格の陶冶だよと諭されたお声が
 いまだに心の耳奥に響いております」と池田氏は述懐する。
 
 中山空手道の「極意」は、
生死を賭けた武道の究極ともいえる「極め」にあるという。

その「極め」を持つもの同志が一切の防具を着けず、
素面で対戦することで、恐怖を克服するための「心の修養」が不可欠となる。

「日本人の本来の姿というのは、究極の〝誠の道?、
 すなわち武士道の精神そのものだと思います」と語る池田氏。

中山先生から受け継いだ「空手道」。
それこそが、正に武士道精神に裏打ちされた空手道である。

「武士道精神を持つ人は、お金も名誉も、地位も、命さえも何もいらない。
 そして自分の大義、信じるもののために全力で尽くします。

 この際、西欧の戦いが相手を単に物理的に破壊することを目的とするのに対し、
 日本武士道の戦いは相手の心・意識を対象とします。

 つまり相手の悪心・敵がい心を無くすれば物理的破壊は不要です。
 これこそが究極の無刀とり、戈・たたかいを止める道、武道です。

 敵さえも味方にする将棋の極意です。
 これが伝統的な武士道です。
 これが日本人の〝誠の道?だと思いますね。

 それを体現したのが、江戸時代の侍だったり、
 時代は違うけれども、特攻隊で亡くなった若者たちかもしれません。

 そういう意味で自衛官というのは、
     人のために命をかけて尽くすことを使命としていますから、
           武士道の精神が残っていると言えると思います」。
 
 池田氏は、平成19年3月から全日本実業団空手道連盟の理事長に就任し、現在に至る。

「究極のボランティア活動です。これも中山先生への最後のご恩返しと思って
 勤めさせていただいています」と述べられた。


池田整治 著書紹介

 池田整治氏の著書である。昨年12月に上梓し、版を重ね4刷りとなっている。
 オウム真理教事件、上九一色村のサティアン突入で、
池田氏が唯一の自衛官として警察のアドバイザーとして同行した顛末他、
20年にわたる独自の体験、情報とその分析を真の情報書として発刊。

 GHQによる日本人への自虐史観の刷り込み、宗教を隠れ蓑とした謀略、
塩素による水道水消毒の恐怖、添加物(化学物質)で汚染された食卓、
インフルエンザ等のウィルス兵器の真実といった情報が明らかにされた。

 大和王朝成立から江戸時代の真の歴史、
江戸文化の優秀性の分析などには、
日本人として大いなる喜びを感じさせられる。

マインドコントロール
日本人を騙し続ける支配者の真実
価格:¥1,680
ビジネス社

(以上転載おわり)


*******************************


 日本人に対する闇の権力者の支配を終わらせ、
意識革命の百匹目の猿現象を起こそうと、
いわば命を賭して「マインドコントロール」を世に出して半年が過ぎた。

同じ波は引きあうというが、
「ついてる」ことが「ついてる」ことを呼ぶようになった。


翌々日の24日、週初めの月曜日7時25分。

登庁すると、いつも事務室にいる部の先任曹長が、
いの一番に部屋に入ってきて、
「ありがとうございます!『ついてます』のおかげです!!」
                        と報告する。

聞けば、日曜日に全国道場対抗剣道大会の埼玉県予選があり、
息子さんの所属する道場が小学・中学の両部門で初めて優勝し、
夏休みの全国大会への切符を手に入れたという。

実は、初任採用事務官等課程への訓話に使った小冊子を、
事務室の職員に回覧していた。

教官たちは、学生への私の訓話時、
教室の後ろで年何回も否が応でも聞くことになるが、
事務室の職員への訓話の機会は限られる。

そこで訓話時に使った、
特に健康とメンタルに関する資料などを回覧するようにしている。

今回は、訓話の中の「3.生きていく上での基本的事項」の中の、
「意識革命…心がけより言葉かけ ・ありがとう ・感謝します ・ついてる!
 ・汚い言葉、怒りの言葉を発しない」の種本ともいえる五日市剛さん著の
「ツキをよぶ魔法の言葉」を回覧していた。

この小冊子の中に、「ついています」の言葉だけで、
成功を収めた部下の挿話がある。

うだつのあがらない一回りも歳上の係長を部下にすることにした五日市課長は、
朝夕更衣室のロッカーですれ違う時に、
「ついていますか?」と聞くので、「ついています!」と答えることのみを命じた。

するとやがてその係長の実験データが世界的なすごいものになって
製品化され大成功したというエピソードである。


このエピソードを知った先任曹長は、
道場での最後の稽古後、試合会場に出発する前全員を集めて、
「いいか、今日は今から『ついてるか?』と聞くから
           『ついてます!!』のみ答えろ」と指導したらしい。

中学の部の決勝では、先鋒から大将まで5人全員が引き分け。
代表決定戦の「面一本」で優勝したとのことである。

まさしく全員で、ついてる!!


特に、この「つき」の一環で、
職員教育にボランティアの無償講師として来てくださる方々に感謝したい。

・4月 七尾あいかキャスター

・5月 光田秀エドガーケイシー日本会長

(以下予定)

・6月 秋山佳胤:真の健康とは何か、ホメオパシージャパン顧問弁護士

・7月 キリロラ:クリアボイスセミナー、縄文の癒しの歌姫

 翌火曜日朝、先任曹長から再び満面の笑顔で報告を受ける。
「ついてます! 知事に呼ばれ、全員で記念写真も撮ることになりました!」

 
6月2日、水曜日。

 初任採用事務官等課程36名が巣立っていった。
卒業式のあと、彼らの選んだいきものがかりの「エール」の曲が流れる中、
玄関前に一列に並んだ職員の前を、
学番順に挨拶しながら去る一人一人とガッチリ握手をしながら、
最後の声をかけて見送る。

全員が目に涙を溜めていた。
頬まで涙を流す女性学生もいる。

涙はこころの奥からの感動。
美しい。

きっと素晴らしい事務官となり、
幸せな人生を送るだろう。

『この国の守りは君たちに任せたよ』

執務室に帰ると、修業所見が机に置かれていた。
全員の感謝の気持ちがあふれている。

その中に「部長は理想の上司」という言葉があった。

自衛官生活40年目、最後の年。
退官前10カ月。

まさしく、ついている!!


*今回は、写メールで撮った高尾山登山の写真を
アルバム「ついている!」に載せました。ご笑覧ください。

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「マインドコントロール」(ビジネス社)
「心の旅路」(新風舎)
メルマガ:心のビタミン(エッセー) http://www.emaga.com/info/heart21.html
新心のビタミン写真 http://cid-7ee92fe6821f38ad.profile.live.com/
最新アルバム http://cid-aba6ea878c935265.skydrive.live.com/albums.aspx
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