池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

2010年 11/19 多生の縁・・・連載4回目

空手道月刊誌JKFan12月号に掲載される
「私と空手道」の連載4回目をお届けします。

なお、輪廻転生の実例から人生の意味を説く
光明氏との共著「役割を知れば生き方が楽なる」(仮題・ビジネス社)は
2週間前に脱稿、もうすぐ形となって現れます。

また、処女本「心の旅路」も大幅改訂して再出版します。
これは1月早々出版予定です。

また、マインドコントロールの第2弾
「真実を知れば生き方が変わる」
       ・・・嘘はもうやめよう!
は、現在、1/3を執筆中・・・・^^;

お楽しみにお待ちください。
そのため、このエッセイの発行が遅れます。
ご了承ください。

******************************

    多生の縁

 人生は、出会いの連続だとつくづく思う。
この世に生を受けて父母と出会って以来、
幼友達、学友、恩師、同僚、上司、部下、
さらに配偶者、子供、孫等々。

必要なときに必要な人と縁ができる。

ひとはそれぞれ我が道を築きながら歩んでいるが、
自分の「思い」が様々な道を呼んで「交差」する。

それらの出会いを「漫然」とやり過ごすか、
「一期一会」と見るか、それとも「多生の縁」を深く感じるか。

同じ出会いでも、こちらの「心の有り様・思い」が
そのまま人との関わりに反映される。

 私には、人生の師が3人いる。

 文書の師である少年工科学校時代の国語の櫻井功輝先生。
櫻井先生には今でも私の文章の句読点などの「通信添削」をして頂いている。

 船井幸雄先生は、まさに人生そのものの師である。
趣味のエッセイも、船井先生担当の課目「人生」の、
「単位取得のためのレポート提出」の感じで書いて、これまで見て頂いてきた。

この年末年始には、「卒業論文」としての本を数冊出したい。
これから現代文明史上、決定的に重要なアセンションの時を迎えるが、
宇宙文明に繋がる「弥勒の世」実現に導く「有意な人」の輪を拡げるため、
船井先生のもとで「百匹目の猿現象」を起こしたい。

 そして近代空手道中興の祖にして日本空手協会創設者・初代主席師範の
今は亡き中山正敏先生。

今思えば、幼い頃、田舎の山の祠の前で防衛大学校入学を祈ったのは、
まさに防大空手道いや中山空手道・中山先生と出会うための
多生の縁の導きであったと確信している。

 故中山先生には、「男の生き様」を教えていただいた。
41年間の「事に望んでは身の危険を顧みない」自衛官生活の中でも、
唯一、本当に「殉職」を妻に覚悟させて特捜刑事に同行し、
オウム上九一色村でテロリストと対峙したとき、
正規の任務も権限に基づく武器携行もない丸腰の私には、
中山先生の教えであった死中に活路を見る「出会いの逆突き」の
「心の構え」しかなかった。

今改めて思うことは、中山先生の教えが日本を救ったのである。
この事件に関しては、日本の実相とあり様を知っていただくために、
新たな著作に書くとともに、この連載の中でやがて取り上げて述べたい。

少年工科学校(現高等工科学校)と防衛大学校は
直線距離なら10kmも離れていない。

同じ三浦半島の、少工が相模湾沿いの武山駐屯地、
防大が東京湾を見下ろす景勝地小原台にある。

距離は僅か10km足らずだが、
当時は、そこで生活する生徒たちの「思い」は果てしなく異なっていた。

いや違って当然の環境格差だった。
例えば同じクラブ活動一つとっても、
少工は定時制・通信制大会しか出場できない。

先生も防衛庁教官つまり少工の職員が教えているにも関わらず、
対外試合では一切母校の名前は出せない。

制度上の母校である湘南高校としか名乗れない。
一方、おなじ防衛庁(現防衛省)でありながら防大は、
あらゆる大学連盟の大会に出場できる。

防大が光り輝く太陽なら少工は闇の月である。
もっとも二つを体験している我々だからこそ、
その体験を通じて言えるのかも知れない。

少工出身者の私にとって防大は、まさにこの世の「パラダイス」に感じた。
ところが同じ1年生でも、普通高校出身者にとっては、
それまでの個室の自由気ままな生活から初の規則正しい団体生活で、
当初はかなり辛く感じたようだ。

「若い時は金を出してでも苦労せよ」という言葉もあるが、
これは少工出身者の境遇を的確に言い当てている。

見方を変えれば、武道と同じで、
若い頃に厳しい修業を日々積み重ねることにより技が磨かれるのに似ている。

つまり、武道の究極の目的である「人間修養の道」そのものである。
防衛大学校は、言うまでもなく国家防衛を担う自衛隊の将校養成学校である。

その人間形成の三本柱として、
「学問」「学生隊(全寮)生活」「交友会(クラブ)活動」がある。

その中で、全学生が5個(現在は4個)の大隊に振り分けられ、
4年間全寮生活を送る。

また各大隊は4個中隊からなり、
その中隊は当初3個小隊、じご2個小隊編成となる。

前期は団体生活に慣れない一学年のみで第3小隊を編成する。
もちろん小隊学生長は4年生である。

つまり4階建ての一つの寮に1年から4年が混成で入り、
4学年の大隊学生長のもと、4名の中隊学生長、
8または12名の小隊学生長の指導下、自主自立で運営される。

部屋も当時は、各学年2名づつの8名編成で、
4年の部屋長と副部屋長が家庭における父母の役割で、
それぞれの部屋を運営していた。

さらに、3年生以下は、それぞれの学生長付が任命され
団体生活の運営の一端を担うことになる。

要は、生活面における学級委員長と思っていただければ理解が容易かも知れない。

私は、入学早々、この513小隊の学生長付きに任命された。
要は、第5大隊の第1中隊の一学年小隊の学級委員長を任されたのである。

高校出身者が初めての寮生活に慣れていないために、
3年間少年自衛官として団体生活に長じている私に白羽の矢が当たったわけである。

人は仕事・役割・立場で変わり、成長する。
大学資格さえ取れば、田舎に帰るとの「邪心」で入学したが、
嫌がうえでも「リーダーシップ」を発揮しなければならない。

実は着校当日から、
こちらは華の大学生活でわくわくドキドキ楽しくて仕方ないのに、
第3小隊学生つまり同期の仲間は沈みこんでいる。

自由気ままな高校生活からいきなり6時起床。
寸刻を争ってベットの毛布をキチンと畳み、
上半身裸で舎前に飛び出して整列。

大声で号令調整しながら乾布摩擦、点呼、間稽古、清掃と続く。
ホっとできるのは教室での授業中で、つい居眠りも出る。

但し、2科目6単位落とせば留年、二回目の留年はなく即退校処分。
しかも日々上級生の指導下での生活である。

ちなみに、4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷。
学年を現す袖の☆が1年にはない。

2年になって初めて1コ付き、一人前の防大生と認められるということだ。
こういう環境下で、ホームシックも重なり奴隷の仲間は表情も暗くなる。

環境の激変についていけない者が退学していく…。
だれかが牽引車役…「行き足」をつけなくてはならない。

学生長付きになっこともあり、
『皆が自分で進み出すまでおれが引っ張ろう!』と一人心に誓った。

もともと4年間終われば田舎に帰って跡をとり、
市の職員との兼業農家をするつもりなので、
自由な自分の時間は小原台での4年間しかない。

それ故、二度とない貴重な時間を日々大切に使いたい。
これを突き詰めれば、「今」・「ここに」全力をかけるという生き方になる。

蛇足ながら、この「行き足」が最期まで続いてしまい、
4学年時に大隊学生長を任された。

そして大隊(寮)の統率方針に「人間修養」を掲げた。
ここに至るまでには、中山先生との出会いがある。

つまり校友会は、
防大で一番厳しくかつ伝統のある空手道部を躊躇することなく選んだ。

いよいよ次回は、中山先生との出会いを語ることができる。





池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

フィード