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2009年 11/29 卒業…そして多生の縁

卒  業
 …そして多生の縁
 
この週末、十数年ぶり、いやひょっとしたら数十年ぶりに
9度近い高熱を出してダウンした。

子どもにとっては初めての父親の発熱ダウンである。
もっとも我が家では、発熱では誰も騒がないが・・^^;

予兆はあった。2週間前に奥歯の歯茎が腫れて痛くなった。
睡眠不足等無理が重なった時の体からのシグナルである。

こういうときは、サプリメントのニュートリの食べるタイプのビタミンCとEを
腫れに接するかたちで保持して自然に口の中でとかせる。

つまり緊急外科的に炎症を押さえ込むわけだ。
今回もこうして強制期に腫れを抑えていた。

数日前に、今度は喉の声の調子がおかしくなった。
いわいるノド風邪の前兆である。

これも体からの休めと言うシグナルだったのかも知れないが、
この週は、仕事やあらゆることの総決算のこともあり、
4時間睡眠を続けてしまった。

そして、金曜日。
職場の送別宴会の帰宅後、発熱。

普段から「熱、くしゃみ、鼻汁など症状はありがたい、
感謝しよう」と指導していたが、
まさに自分がそれをはじめて実践することになった。

熱がでると、この夏痛めた肩の痛みが急にまた出てくる。
まあ、ヒトはこうして歳を重ねるものなのだろう。

この船(肉体)は、果たしてあとどのくらいもつのかな…。

金曜日夜に寝込んでから以降、口にしたのは、
水分とサプリメントのビタミン・ミネラルだけ。

水分は、GOPを二回煎じた2リットルと、
仕事で出かけた妻の代わりに真菜が作ってくれたストライブという
天然のビタミン・ミネラル入りのスポーツドリンク3回分1.5リットル、
併せて3.5リットル。

それに普段は朝のみ食べる固形のビタミン・ミネラル・ハーブの
サプリメント約10錠を寝ている間に4回ぐらい食べた。

このごろ帰宅時間等躾が厳しいとやや反抗的になっていた真菜(小6)だが、
こまめにドリンクを作ってくれた。

先ほどは2日ぶりの食事となった数種類の具の味付けのお茶漬けを
作ってくれたあと、友達と遊びに出て行った^^
 

*GOP…五井野プロシンジャー:2200年前に徐福が日本に来たときに
 作ったといわれる不老長寿の秘薬を五井野博士が史実に基づき完全に復活
 したもので、チェルノブイリ原発事故の放射能汚染で瀕死の白血病の
 子ども達を救い、世界が絶賛。ロシア、ドイツ等で特許をとるも、
 国柄上日本では全くその情報さえ流れない。
 見た目はお茶パックと同じで、1時間ぐらい煎じて飲む。
 数回エキスがでなくなるまで使える。
 私は、出がらしをさらに植木鉢に使っている。
 多生の縁で博士と知遇を得、数パック頂いていた。
 万一のために??、一袋本棚の隅に置いていた。


 木曜日には、事務官等上級管理課程52名の卒業式があった。
 全国の数百名の中から選ばれた52名に対して
管理者として必要な知識と資質を約5週間で教える。

私の下には5コの教官室があり、各教官室長のもとそれぞれの課程教育を行う。
そのため年間約900名の入校学生に、2~3時間の部長訓話をするのが
私の与えられた学生への直接教育の機会である。

 ところが今回は、事務官等教官室長が膝の手術のため、
教育の当初2週間入院していた。

そのため、(運良く^^)私が彼の代わりに教壇に立つことになった。
また朝夕の二人づつ行う3分間スピーチも直接指導した。

前後の名前入りの挨拶と、本題では一つのエピソード一つの笑い一つの感動を
入れるように徹底して指導した。

学番の最後から行うので、課程修了近くの一桁台の学生たちは、
指導の積み重ねで完成したスピーチになることも要望した。

 これから管理者として自己紹介するときや、ブリーフィングするとき、
あるいは講話をするときなども、この3分間スピーチの要領が活かせるからだ。

卒業式前夜のお好み焼き屋での卒業謝恩会では、
「部長に50時間も教えていただきました!」とのコメントも出るほど、
私も力を入れて教育に臨んだ。
 

その卒業謝恩会で、一番印象に残っていたI学生(40代男性)が、
まさに膝を突き詰めて私に話しにきた…。
 
 彼らに最初に話をしたときに、飯田史彦氏著の
「生きがいの創造」を紹介していた。

数日後二回目の授業にいったときに、
「感動しました!」とI君がその本を持ちあげて見せてくれた。

その後のグループ研究でも彼は積極的に発言してとりまとめも行っていた。
また、髪を私と同じように坊主にしたことも驚きだった。

私は年齢上、頭頂がなくなってきたので、
みっともないので?!ばっさり一番短い坊主刈りだが、
背広が仕事着の事務官の坊主姿は珍しい。

 …「入校間、飯田先生の本を3冊読みました。
         感動で全て涙を流しながら読みました。」

「実は、私の父は、母と私と妹を捨てて、女と駆け落ちし、あげくは自殺しました。
私はずっとその父が赦せなくて、父への憤怒をもって今日まで生きてきました。
でも、今回のこの教育、本のお陰で初めて父を赦すことができました。
深く感謝します…」

 その魂からの話しかけに、
私もそれまで誰にも話さなかった身内話をした。

「一番かわいがっていた身内の女の子が、
弱い女のいきがかりで男を殺してしまった。
入所間、ずっと長い手紙の交換を通じ、僕は彼女が立ち直り、
幸せな人生を送ると信じている。
ヒトは、様々な体験を通じ、成長するために、この世にやってくる。」


 翌日の卒業式。
 最後に皆で校歌を歌う。私は最後の次の歌詞が大好きだ。
 
『…寒風肌を刺すときも 樹はその中に芽を宿す…』

 卒業式後、玄関前に職員が一列に並び、
学生が選んだ曲が流れる中、学生を見送る。

私は卒業生一人一人と最後の握手を交わす。
手の感触でその人の人生も見えるようだ。

 I君と握手しながら「これからも本を読めよ!」と声をかけると、
彼の全身から大きな白いオーラが広がり、その中の彼の目が輝いていた。

きっと私にとっても忘れ得ぬ今生のワンシーンの一つとして
魂のアルバムに綴じられることだろう。


 その卒業式の夜からは、山形の伝統染織家のAさんが
いよいよ夜行バスで北富士の原野に染料の材料の「ムラサキ」の採集のため
夜行バスで出発した。

 10年ほど前に、北富士の訓練センター準備室長をしていたときに、
大学の同期から「染料の材料で今では北富士の原野しかないらしい」とのことで
依頼された。

われわれにとっては単なる雑草の一つであるので、
喜んでAさんに持ってかえっていただいていた。

その数年後に、綺麗に染めた着物の絵葉書のお礼状をいただいていた。

 その後、銀座のデパートの山形物産展で上京された時にお話を伺う機会があり、
化学物質を一切使わない日本伝統の染色の貴重さを知るとともに、
肝心の天然のムラサキが今では北富士でしか自生しておらず、
10年前採取したムラサキも里に植えたためかずっと根付かなかった。

だから、今度は北富士の自生地と同じような環境の山形の山間で再度挑戦して、
本当のムラサキを染めて天皇家などにも献上したいとのことだった。

 江戸時代で花開いた世界に誇れる「自然と共生の文明」の神髄を再生することが、
混迷のこの世を救う有効な方法と理解してからは、
Aさんにも是非伝統のムラサキ染色を再興してもらいたい。

このため、現センター長にAさんを紹介していた。
 
 翌、金曜日。
朝から体がきつい。

 実は、水曜日に定期健康検査の胃ガン検診でバリウムを飲んでいたが、
それが十分に排出されてない。

このためお腹に膨張感もある。
定期健康診断は、レントゲンの放射線などでかえって体に負担をかけるので、
受けたくはないが、有事即応の役目柄、職業上毎年受けなければならないのだ。

 幸い金曜日は授業や会議もなかったので、執務室でゆっくりしていると、
同僚の黒木君から昼休みにメールが入った。

「五井野博士と船井会長のトップ会談、大成功だったそうです!
ザ・フナイ編集長の高岡さんから連絡がありました。」

 思わず私も高岡編集長にトップ会談の司会の労をねぎらうメールをすると、
「ご連絡が遅れて申し訳ありません。五井野博士も池田さんに
              感謝の言葉を述べられてました。」
 
黒木君は、同じ小平学校で研究科長をしているが、五井野博士を生涯の師として、
博士の再興した歌川門人会のロシア展などでも主催側の一人として貢献している。

彼から五井野博士を紹介していただき、また講演会等にも参加して、
日本でこれだけの天才でなおかつ社会・世界に貢献している人が
日本のメディア等ではなぜ一切でないのか改めて日本の異常さを知った。

そういう意味では私の人生の師である船井幸雄会長も、
本物情報を流す故か、日本のメディア界には全く無視されている。

おりしも間違いなく分水嶺にさしかかり、
残された時間のない現代文明の末期において、
次元アップのために船井会長が「有意な人」による
百匹目の猿現象を提唱されている。

そこで、黒木君の発案で、五井野博士に船井会長主宰の人間クラブ全国大会で
5000人の前で講演してもらい、究極の悟りを述べれば、
おおきな転換点になるとのことで、私がお二人を引き合わせる形となった。

その結果、月刊ザ・フナイの来年新年号のトップ対談に五井野博士が選ばれ、
今週収録が行われていたのだ。

その対談が非常にうまくいったことを知り、
まさに私の肩から重荷が取れる思いだった。


実は、来月16日発売開始で、
ビジネス社から「マインドコントロール」を出版する。

オームサティアンに警察指揮官のアドバイザーとして突入した体験等から、
幕末以降から日本にかけられらたマインドコントロールを解くべく、
思い切ってこの世に出すことにした。

その終章には、マインドコントロールを解く生きた証として五位野博士を
紹介した。

現役の制服が出版することは、何かと制約があると思われがちだ。
しかし、手続きさえしっかりしていれば、職業上のことでなければ、
言論の自由はどこでも同じである。
その手続きも今週一気に行った。

 4年前に、新風舎から自費出版で「心の旅路」を自費出版したときは、
職業上万一のことも考えて、4人の子ども達に遺言のつもりで出版した。

船井幸雄会長が紹介すると、アマゾンの中古市場で150円で流通していたものが、
なんと一気に9500円の値止まりのままで在庫がなくなった^^;

 マインドコントロールは、どれだけの人に読まれるかわからないが、
今回は、今できる私の最大限の百匹目の猿現象だ。

是非、一人でも多くの人に読んで、考えてもらいたい。


 また発熱の5日前には、私が理事長になって初めての、
全日本実業団空手道選手権大会を日本武道館で行った。

感染はこの前後である。
その前日の会議等を含め、初めての実行委員長で
緊張とストレスがたまっていたのかも知れない。

 その大会も団体組手で東日本実業団代表の一つの警視庁が数年ぶりに優勝して、
すばらしい盛り上がりで終えた。

全自衛隊の理事長の時は、当然ながら自衛隊のチームの応援をしていたが、
今回は、大会が円滑にしかも感動で終わることを念じ、
最初の挨拶も武道空手道の感動を見せてもらいたいと挨拶していた。

 閉会式後、2年前のザ・フナイでトップ会談した、
警視庁空手道部創始者の宮崎忠先生がわざわざ本部席の私のもとに
挨拶にきてくださった。

「優勝おめでとうございます!」と握手したが、
宮崎先生の手は、非常に柔らかく、
先生の人間性溢れるすばらしいお人柄を瞬間で感じた。

思えば、この時のトップ会談以来、
急速に私の周りでも多生の縁が広がっている。


 日曜日の朝になると体調もほぼ完全に元通りになった。
 最後のきわめつけは…(ちょっと汚い話で恐縮であるが^^;)…日曜日の早朝、
トイレで出したバリウムによって固まった最後の「塊」である。

必死で踏ん張ってだしながら、こんなものお腹で作られて、
健康なはずない!と心で叫んでいた^^;

 夕方の現在、鼻汁も出なくなった。
白血球由来のナチュラル・キラー細胞やT細胞、マクロファージ達、
体内の正義の騎士の戦死者である鼻汁が出なくなったということは、
侵入者達を全てやっつけてくれたわけだ。

 これでまた自然治癒力とその学習能力をパワーアップすることができた。
薬に頼れば絶対に体得できない貴重な体内医者団のパワーである。


 そして改めてこの週末に届いたメールを読んでみると、
Aさんも予想以上の成果でムラサキを収集できたとのこと。

またあらかじめ持っていた「種」を撒いてきたとのことである。
種も本来の自生地に帰り、人知れず未来に花咲かせることであろう。

 またAさんは、その足で帰途、徐福につながるという独自の薬草から作った秘薬を
船井会長に届けるとのこと。

対談の翌日には、五井野博士の紹介でマッサージの達人である
株式会社アートメディアの社長広野さんも会長の治療に伺ったとのこと。
 
 すべてが彩なす錦絵のように多生の縁でつながっている。
 今この瞬間に、いつこの世を卒業してもいいように、
日々最高の瞬間(とき)を過ごしたい。

 袖 振 れ 合 う も 多 生 の 縁





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