池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

2009年 2/27 忘れ得ぬ人々…袖振れ合うも多生の縁

忘れ得ぬ人たち
   …袖振れ合うも多生の縁

 先日、東三河の豊川勤務時代に知遇を得た、
東海警備グループの創設者でありCEOである
佐々木義祐(よしさち)氏から一冊の本が贈られてきた。

 本のタイトルは、「嵐劈(つんざ)く…佐々木義祐とその時代」
(平田超人著:丸善名古屋出版サービスセンター)。

表紙を開くと水彩画のバラの絵のある素敵なメモ用紙が挟んであり、

「池田整治様 主人はパーキンソン病のため字が次第に書きにくくなっていまして
 汚い字で申し訳ございません。 佐々木義祐内」と書かれていた。

 その次のページに、確かに殴り書きのように
「贈池田整治様 佐々木義祐」と書かれていた。

 『そうか、そうだったんだ…』。全てが一瞬のうちにわかった。
 
あれは、昨年の夏のことだった。
仕事で上京する時にいつも使っているというホテルの寿司屋さんで、
急遽あうことになった。

豊川時代に、上京の時はまた会いましょうと約束していた。
ところが約束の時間になっても現れない。

すると携帯電話で、
「ちょっと薬を飲んでいきますから遅れます。先にご馳走になっていてください」
と連絡がきた。

 風邪を引いて熱でもあるのかなと心配したが、
やがて笑顔で表れて、何事もないように歓談した。

心持ち疲れているように見えたので、
企業経営で大変なのだろうと思っていた。

今から思えば、かなり無理して饗応してくれていたに違いない。
改めて、さすが土佐の「いごっそう」と、心から敬服した。

 
「嵐劈く」は一気に読みあげた。

土佐の小学校の同級生で、京都大学総長になった小池和夫氏と、
佐々木氏が第2の人生のふる里として生涯を捧げている
蒲郡の旧常磐館で再会した場面がプロローグとして始まる。

そして、人間尊重の経営で国内の東海・関西のみならず、台湾に進出。
さらに、関連会社の日本研修センターを通じ、
ホノルル、ロサンゼルス、マニラ、台北、上海など
海外各地でトップセミナーを開催して、
業界の発展に貢献する東海警備グループの創立者にしてCEOの
佐々木氏の波瀾万丈の半世紀が活き活きと描かれている。

特に、ふるさと(土佐と蒲郡)への熱い思い、
家族愛、そして氏の恐るべき前向きの人生の源泉である、
自ら選んだ仕事への「愛」と「誇り」に、
本全体がみごとに彩られ輝いている。

また、今では佐々木ご夫妻しか知り得ない
土井晩翠と滝廉太郎のコンビで生まれた名曲
「荒城の月」誕生のエピソードなど、
時代の検証としても貴重な資料である。

ここで、その章の見出しを書き出してみよう。

プロローグ
第一章 佐々木義祐の青春
第二章 父と母
第三章 人間尊重の経営
第四章 忘れ得ぬ人たち
第五章 「花も嵐も」
エピローグ


読むうちにビックリしたのは、
6人との交友記が綴られている第四章で、
その最後の六番目に「陸上自衛隊」の項目があり、
私のことが書かれているのである。

本当に有り難いことである。
御礼と紹介も兼ねて、今回その項の全文を書き出してみたい。

******************************

六 陸上自衛隊

 陸上自衛隊の各駐屯地は、みずからの存在が、
地域社会との信頼関係によって成り立つことを、強く意識している。

 平成20年1月28日、三河地区でも、
「三河自衛隊連合協力会」が開催された。
政官財各界の有志が出席した。

その席で、佐々木が知り合ったのが、
第49普通科連隊長の池田整治1佐(一等陸佐、旧軍の大佐相当)。
防衛大学出身のエリート将校である。

 池田は、国の平和と安全を守る気概を強く抱きながら、
一方で、地域と自然を愛する教養人でもある。
 
 山紫水明の奥三河、波静かな三河湾、風光明媚な浜名湖。
東三河の山河を池田はすっかり気に入った。

 多忙な公務の間隙を縫って、大小の旅に出る。
愛用のカメラを携えて、大小の旅に出る。

すでに相当量の写真作品と、旅行随筆がある。
自然を愛する優しさと、祖国への赤誠は、その作品に溢れている。

佐々木はその一部の贈呈を受けて驚嘆した。

 愛媛県(南宇和郡一本松町・現愛南町)出身、
防衛大学校(国際)卒のエリートは、空手道7段で、
全日本実業団空手道連盟副理事長や、
全自衛隊空手道連盟理事長などを務めている。

 写真集や、エッセイからは、郷里を愛し、
自然を愛する男の熱情が伝わってくる。

佐々木にとってとりわけ印象的だったのは、
三河湾を見晴るかす景勝の地に建つ「列国七士の碑」についてであった。

池田整治の専門は国際関係史である。
専門家としての鋭い考察の中に、憂国の至情が迸るのを感じ、
佐々木は思わず襟を正した。

七士の碑は、昭和35年8月16日に、
三河湾国定公園三ヶ根山頂に建立された。

また同地には、フィリピン方面で散華した25万の英霊を供養するために、
聖観音菩薩像が建立されている。

戦車第二師団(撃師団)が母体となっているが、
今日では、各部隊の遺族と戦友によって、
八十基を超える慰霊碑が建てられている。

 自虐史観にまみれた時代の趨勢を跳ね返して、
殉国の碑が三ヶ根山に立ち、はるかに三河湾を眺望していることは、
郷土を愛する者にとっての誇りではないだろうか。
佐々木にはそう思えた。

 池田の、三河への視線は、穏やかでやさしい。
佐々木は土佐、池田は伊予、同じ四国からの縁あって三河にやってきた。

二人は、再会を約した。
第二の郷里となった東三河の山河の美しさを、
どんなにでもゆっくりと語り合うつもりでいる。

 佐々木は、池田の歴史認識の折り目の正しさに敬服している。
一席の宴ではあったが、二人は肝胆相照らす仲となった。

東三河はまことに得難い人を迎えることができたといえる。

 自衛隊豊川駐屯地駐屯地の博物館には、
「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文が展示されている。

 山本五十六海軍大将は、米国とでは戦にならないと考えており、
ワシントンでの日米交渉に最後の望みをかけていた。

昭和16年秋、すでに南雲忠一海軍中将の率いる機動部隊は、
極秘裏に千島単冠湾を発進し、北太平洋の荒波を蹴ってハワイに向かっていた。

山本は、日米交渉が妥結したら、
直ちに引き返せと、南雲に厳命していた。

しかし米国のハル長官には、
新興の有色人種に譲歩するつもりは全くなかった。交渉は決裂した。

 「東亜安定に関する帝国積年の努力は悉く水泡に帰し
     帝国の存立亦正に危殆に瀕せり
   事既に此に至る帝国は今や自存自衛の為蹶然起って
          一切の障碍を破砕するの外なきなり」
           (宣戦の詔書より、原文カタカナ)

 御前会議での決定を受けて、連合艦隊司令長官山本五十六は、
南雲機動部隊に決戦を指示した。

それが「ニイタカヤマノボレ」である。

新高山は、台湾一の山であり、当時の日本の最高峰であった。
海軍中佐淵田美津雄は、機動部隊全航空隊の指揮官として、
12月8日、旗艦赤城の艦上を未明に発進した。

海兵同期の参謀源田実海軍中佐が、唇を噛み締めて手を振った。
奇襲は成功した。
淵田が打電した「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)もまた戦史に著名である。

 東海グループの社章は、星に錨である。(暗示的には、旧軍の陸と海)。
池田が官(かん)にあって、佐々木は民(みん)にあって、
立場は異なるが、国と社会の平和と安寧を護る気概において、志は同じである。

 池田のよき理解者であった駐屯地司令の藤田第10特科連隊長が、
平成8年の3月で、三重地方協力本部長に異動され豊川を去ることになった。

豊川は、歴代の駐屯地司令に恵まれている。
藤田氏も、「開かれた自衛隊」のリーダーとして、親しまれた人である。

後任には、市ヶ谷駐屯地の陸幕から、権藤三千蔵氏が4月1日に着任された。

********************************


 そして先日、東海警備グループの本部秘書室から
『童謡「新茶のひとりごと」発表記念夕食会』の案内状が届いた。

実は、著書とともに「新茶のひとりごと」のCDも届いていた。
改めてじっくり聴いてみた。

 三河の奥の鳳来寺川合の里の「さっちゃん」家からのお茶がやってきて、
情感やみがたい佐々木氏の詩情となって、
みごとにその詩(うた)として開花している。

 その案内文を転記したい。

********************************

    「新茶のひとりごと」
      作詞 峰 海遥(佐々木義祐)
      作曲 中岡春風(中岡俊夫)
      編曲 森下松彦
 
 佐々木義祐は、神戸に生まれ、土佐で育った。
縁あって蒲郡に会社を設立し、地域社会の平和と安全に貢献してきた。

 東三河は彼にとって第二の故郷となった。
波静かな三河湾・蒲郡、清冽に流れる豊川、
雄大な伊良湖岬、青く連なるやまなみ、東三河の山河は多彩である。

山河美しい東三河への佐々木の情感は、素朴にして豊かである。

 「さっちゃん」からのお茶が、三河の奥からやってきて、
情感やみがたい佐々木の詩情が、開花した。

 佐々木の詞に、中学時代の恩師 中岡春風が作曲し、
やさしく軽快なリズムが、すぐ子供達にも受け入れられた。

 すでに合唱コンクールで、優秀な実績を収めている地元の中央小学校合唱部が、
平成20年12月初演した。

 東三河の山河なつかしく、各地が巧みに歌いこまれている。
しみじみとした慕情が心を包む。

 およそ、私たちにとって、ふるさとは「いのち」である。
お茶がきた歓びが、素直に歌われ、ふるさとの遠い日の追憶を呼び覚まされ、
生きている歓びがリズムに刻まれる。

 東三河は佐々木義祐の詩情を得て、
その山紫水明を広く世に問うことができる。

 豊川・国府出身、山口保治の「かわいい魚やさん」、
静岡・富士出身、加藤省吾の「みかんの花咲く丘」に続いて、
我らが佐々木義祐の「新茶のひとりごと」が広く歌われ、
人々の心に残り、永く愛唱されるとなれば、これに過ぎる歓びはない。

                    雑誌「果樹園」同人 平田超人

*******************************


 CDには、「新茶のひとりごと」のほか、
「千の風になって」「故郷(ふるさと)」「蒲郡市立中央小学校校歌」の曲が、
中央小学校合唱部の歌入りで入っている。

 これらをPCで聞き終えると、
いつの間にか寝るために部屋に入ってきた真菜・長女小5が、
もう一度聞かせてと声をかけてきた。

 マンションに子供4人、6人家族で生活しているため、
真菜は、勉強机は長男の部屋、寝るときは私の部屋となっている。

私は、さだまさし等フォークソングが好きでよくそのCDを聞く。
私にとっては青春時代そのものの歌だが、
真菜にとっては「おとうさん演歌はやめて」となるため、
通常はPCにイヤホンをして、安眠妨害にならないようにしている。

ところが、この「新茶のひとりごと」は、真菜の感性にうったえたらしい。
布団の上で本を読みながら12時近くまで聞いていた。

残念ながら空手道の理事長としてのボランティア活動があり、
発表記念夕食会には出席できなかったが、
盛大な夕食会になることを遠く武蔵野の地から祈りった。

 人生は一期一会、
  そして、袖振れ合うも多生の縁。

深く佐々木義祐氏に感謝を捧げるとともに、
いつまでもご健康であることを祈る。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
メルマガ:心のビタミン(エッセー) http://www.emaga.com/info/heart21.html
新心のビタミン写真 http://cid-7ee92fe6821f38ad.profile.live.com/
北海道の四季(写真) http://seiji0322.multiply.com/ 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

フィード