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2008年 5/26 鯉のぼり・・・その二

立て終えた後、
連休間を利用して夕陽に映える鯉のぼりの写真を撮った。


 マンションは、江戸時代には日光御成街道の宿場町として栄え、
蕨に次いで日本で2番目に小さい鳩ヶ谷市の
小高い丘の南の傾斜地に建っている。

かっては江戸の平野部から武蔵野の台地にさしかかる
最初の河岸段丘だったと思われる。

今では赤羽から国道122号を東北自動車道方向に進んで、
見沼用水路の河岸段丘を緩く右に曲がりながら登る坂の中腹の左にある。

それ故、国道から左折して入るマンションの玄関は3階となる。
これとは別に、見沼用水路方向からの1階入口、
さらに丘の頂上部から入れる5階の入口もある。

丘の南側傾斜地にくの字の形で建っているわけである。
 

 この辺りはかっては「諏訪山」と呼ばれ、
戦後暫くまで、小さな畑の周りを昔ながらの
武蔵野の面影を残す広葉樹林が生い茂り、
小さな鎮守様の祠のある緑豊かな典型的な「里山」であった。

 やがて戦後の経済成長とともに、
頂上部の畑の代わりに2階建ての公営団地が建ち並ぶとともに、
オリンピックを機に上下合わせて4車線の国道122号が抜けて
一気に宅地化が進んだ。

 でもまさか斜面にマンションが建つとは、
地元の人も驚いたことであろう。

本来はもっと高い計画だったが、
地元対策で現在の9階建てになったと、入居してから知った。

それでも、地元の方々が暖かくマンションの新住民を迎え入れてくれ、
我が子も地区の少年野球チームで楽しむとともに、
私も公団の方との様々な会合に、
くじ引きで当たってしまったマンションの管理組合の理事長として参加した。

いずれにせよそこにもともと住んでいたように
諏訪山に自然にとけ込んでいった。

特に子供にとっては今では完全に生まれ故郷になっている。
 

 7階の角地にある我が家からは、
都内のビル群の街灯り越しに富士山に入る夕陽を眺めることができる。

特に鯉のぼりを立てているルーフバルコニーは、
バーベキューや子供の野球のトレーニングもできるので気に入り、
くじ運良く購入することができた。

小さいときから不思議とクジ運が良かったが、
もしこの時外れていたら、じ後の我々の生活ばかりか、
子供にとっては人生そものものが違うものになったということだ。

全て意味があり、必然・必要・ベストのことが起こるのだ。

 マンションの間と丘の縁までの斜面の残りの細長い逆三角形の部分に、
里山時代からの広葉樹が生い茂り、
特にマンションの5階入口の、
その緑の逆三角形の伸びきった頂点には諏訪山の祠と、
それを護る傘の形をした大きな広葉樹が一本あった。

マンション入口のキャッチボールもできる
コンクリートの広場までその樹影が覆い、
夏の暑い時など日陰を求めて憩うこともあった。

はじめて鯉のぼりを立てた時に見た、
手の届くような位置にあるこれらの広葉樹林の
新緑の輝きが今でも忘れられない。  

 入居後暫くして、単身先の北海道間を往復するうちに、
その逆三角形の斜面が宅地に造成され、
変形的な二階建ての住宅が数戸立ち並んだのには驚いた。

それでも祠と鎮守の神木は、
里山の最後の遺産として象徴的に残っていた。

 そして、新設の埼玉アリーナと都心をつなぐ地下鉄として
南北線が赤羽から延長され、
国道122号の地下沿いに
我がマンションを接するように抜けていくと、
鳩ヶ谷でも高層マンションが林立するようになった。

すると古い二階建てのアパート型の公団群が
新しい高層型に建て替えられた。

用地の北側半分にマンション型の2棟が建ち、
南側半分、つまりわがマンション側は野球場のように造成されたまま、
緑の芝生の種が植えられている。

かって我々マンションの新住民を温かく迎え入れていただいた
老夫婦達はどこにいかれたのだろうか…。

 それになんと諏訪山の鎮守様の祠も神木も見事に!?
ゴミのように取り払われ、切られてしまった。

今は猫の額のようなところに、
組み立て式の物置が三つと
軽乗用車用の駐車場にとって替わられている。

鎮守様はいずこにいかれたのだろうか…?。
そのうち夢の中でも答えてくれるだろうか。


 鯉のぼりは、毎年ゴールデンウィークの時だけ
ルーフバルコニーでひるがえりながら、
この変化をジッと眺めてきたわけである。


 マンションの人々の間では、南側の造成地は、
やがて公園になるという噂がたっていた。

このまま子供達の野球場にしてくれればいいのに…と思いつつも、
公園ができれば環境が良くなると期待していた。

子供達にとっても、もともと小さいながら旧公団には公園があって、
我が子供達も大変お世話になっていた。

 先日、その造成地の柵の周りを真菜とともに
ハッピーを連れて散歩したときに、
柵の入口に掲げられている小さな看板を見た。

なんと「ミキハウス株式会社所有地」と書かれていた。
マンションの管理人さんに伺うと、
市の財政がパンク状態で旧公団の敷地半分は売りに出されたとのことである。

 やがてここには、一戸建ての高級分譲住宅が建ち並ぶことになる。

妻にそのことを告げると、
「住めたらいいねえ~」と言いつつ、
経済的可能性からすぐにメンタルチェックで
頭の中に情報としてインプットしなかった。

その新住民の人達には、
まさかここがかっては漫画のトトロのような諏訪山という
里山であったということなど話題にさえならずに住むことであろう。

 
 子供の日は、久し振りに快晴で、
早朝からの三男悠人の野球の試合の支援の後、
今年最後の夕陽に浮かぶ鯉のぼりを撮ることができた。

 階段の踊り場で撮影していると、
ちょうど通りかかった10年大修理委員会の責任者の方が
「いいですねえ」と声をかけて下さる。

マンション内で本格的な鯉のぼりを立てるところがほかに無く、
位置的にもちょうどマンションを代表して立っている感じになる。
 
 実は私も理事長をやった経緯から大修理委員会のメンバーになっていて、
この連休間の会合で、委託業者などがやっと決まったのだ。

 近代的な建物も、新築した時からコンクリートの劣化が始まり、
逐次修繕しなければならない。

ちなみに108戸の我がマンションの10年修理には
約1億5千万円の予算が計上されている。

コンクリート建設は50年が限界ではないだろうか。
マンションのいたるところの傷みが目立ってきている。

 それでも鉄筋コンクリートの方が
分譲住宅よりも持つような気がしている。

 ところが世界最古の木造建築は、
奈良の法隆寺で、現在築1300年である。

後1000年は持つと言われている。
2000年ものの檜を使っていて、
檜の特性として伐採後2000年以上持つのである。

木の特性として、伐採後キチンと建設材として乾燥処理すれば、
伐採後30年は徐々に30%強度が上がる。

コンクリートがすぐに劣化するのと対照的である。

 日本本来の木造家屋は、
家の東西南北の部位にあわせて、
山の東西南北に生えた木材を使用していた。

だから春夏秋冬の日本の気象条件にマッチして長持ちできたのである。
そういう日本の智恵を忘れた欧米型の現代の家屋は
コンクリートにせよ一戸建てによ、
二代、三代と持つことはないのであろう。

もっとも3代100年持てば、
製造販売会社がやっていけないというのが本当の事情であろう。
 

 翌6日夕、今年の役目を終えた鯉のぼりを取り込む。

 低気圧が近づき風が強まってきたので、
ちょうど早めに野球の練習から帰ってきた悠人に手伝ってもらう。

ポールをルーフバルコニーの床に倒すまでが要注意である。

特に、垂直に立ったまま、
柵にくくりつけているロープを全て外さなければらない。
外すうちに風で倒れて柵の外に落とせば一大事である。

風が強くなったので、
悠人にしっかり押さえてもらっていたが、
ロープを緩めた途端に、ポールが外に倒れそうになった!!

 後で思えば、なんら考えるところなく
柵よりも高い位置で悠人に押さえさせていたので、
ロープがゆるむとともにテコの作用で
ポールが外に傾きだしたのである。

咄嗟に悠人をポールの根元に乗せて
体重で外にそれ以上傾かないようにして、
急いでロープを完全に解いて、
ポールを引きずりながら床に降ろした。

倒してしまえば10分で収縮収納できる。

 悠人もビックリしたようだが、
「鯉のぼりあげるって重くて大変なんだね」と
しみじみと感想を漏らせた。

かえっていい体験となったに違いない。
 
 かって田舎で自然とともに生きていた頃、
生活に必要なものはほとんど自分たちでつくっていた。

私の父の代には、家も自分で建てることができた。
その家がまだ広見に残っている。

私も牛の角を削るために作られた小さな「鎌(かま)」を私専用にもらって、
竹細工で原始的な空気銃といえる槙の実鉄砲や水鉄砲などを作って遊んでいた。

しかし私達の世代以降は家を自分で建てることはできない。

 さらに都会生活の子供達は、
自分でおもちゃを作ることができない。

万一サバイバル時代が来たときに、
果たして都市化した人達は子孫を残せるのであろうか。

 先祖からの智恵の継承が無くなったのだ。
そういう意味で、今回鯉のぼりの撤収を印象的に悠人と行えたのはよかった。

もっとも本格的な鯉のぼりの建て方は、私も知らない。
頭の中に、父が立てた影像として残っているだけである。

 それでもきっと三男の悠人が大人になり、
家庭を持ち、男の子ができたときには、
この時を思い出しながら、
この日本のどこかで鯉のぼりを揚げるであろう。

その時を楽しみに待っていよう。

 その前に、ポールを支えさせるときは、
柵より下の部位を、という新たな教訓を加えて、
桜の花が冬の間に新芽を膨らませるように、
来年の心の準備は完了した。
 
 来年の鯉のぼりの目には、
  何が新しく飛び込んでくるだろうか。


 と言うわけで今回は、
夕陽になびく鯉のぼりを
「北海道の四季(写真)パート3」に掲載しました。

ご笑覧下さい。

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北海道の四季(写真)パート3 http://groups.msn.com/hearthul2008
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