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2008年 5/25 鯉のぼり・・・その一

鯉 の ぼ り

 「今年は鯉のぼりどうする?」
 ゴールデンウィーク前日、
妻がさりげなく家事をしながら聞いてきた。

内心私もやった方がいいと思っていることを
そっと後押しするように聞いてくるのが妻の特徴である。

こういうときは積極的におこなった方がいい。
29年間一緒に暮らしてきた体験学習でもある。

 「うん、立てるよ!」

 最初の土日は、空手道の大会、三男の野球支援などがあり、
28日、月曜日朝、子供達が仕事や学校に出て行ったあと、
さっそくも物置の衣装ケースの中から鯉のぼりを取り出し、
ルーフバルコニーの木製の野外用ベンチに腰掛けて修繕に取りかかる。

 
 実は昨年収めるときに、
黒鯉のお腹がかなり傷んでいることを知った。

風にうまくなびかないのでおかしいと思っていたが、
大きなお腹の後ろ三分の一ほどがしっぽまで裂けていたのである。

鯉のぼりはよくできているもので、
竹の輪っかの口で風を取り込み筒状の胴体が風船のように膨れ、
そしてしっぽから空気を噴出しながら大空を雄大に泳ぐようになっている。

風を受けて膨らむぶん圧力も受けるわけで、
長年使っているうちに縫い合わせの糸が切れてほぐれたと思っていた。


 10年ほど前には、黒鯉(お父さん鯉)、緋鯉(お母さん鯉)、
青鯉(子供鯉)全ての鯉の口の輪っかのところが傷んで外れかけたので、
針と丈夫な糸でぐるぐる巻きに止め治ししていた。

今回は二回目の大修繕となる。

 じっくりお腹の傷口を診てみると、
なんと鯉の本体の布そのものが劣化して大きな裂け目となっていた。

それも一番上で豪快に泳ぐお父さん鯉だけほころんでいた。

それだけ最も風当たりの強い高いところで、
皆を喜ばせるため身体がボロボロになるまで、
家族のために働いてあんだなあ…と感慨深く傷口を眺めた。

そして妻に借りた針と糸で全ての裂け目を縫い合わせていった。
中学校の家庭科の授業以来の本格的な裁縫で、
縫い目は見た目はお世辞にも綺麗とは言えない。

それでもまるで自分自身のリハビリのような感覚で、
これまでの働きに感謝しながら整形治療していった。
 
 鯉のぼりは、大昔、大陸の黄河を鯉がさかのぼり、
やがてこの世で最も強い竜になったという中国の伝説が転じて、
男の子の元気な成長を祈る子供の日のお祝い行事として
広く日本に根付いたものである。


 我が家の鯉のぼりは、今年で25歳になる。

 生まれは、私と同じ四国愛媛の最南端の
人口約4千名の旧一本松町(現愛南町)広見。

コバルトブルーの宇和海の潮の香りが
微かに西風に乗って石段のみかん畑に漂う中、
四国山地が足摺岬の方に伸びきって最後の高まりを見せる
標高約1千メートルの霊峰篠山の緑多い麓の山々に囲まれた、
田んぼがほとんどの小さな盆地の農家の庭先の畑の中で産声を上げた。

 生みの親は我が父である。

 25年前、妻がこの家で長男を産んだ。

 生後すぐに母を亡くしている妻にとっても、
この広見の家が結婚以来共通の実家である。

 実は、私の父も母もこの家の生まれではない。
子供のいなかった祖父母のもとに、
まず母が養女として子供の頃隣の家からやってきた。

そして父が、海軍軍人として南方戦線に向かう前の
昭和15年に養子縁組として婚約。

シンガポールでの2年間の抑留生活も含め
7年振りに帰国・復員してやっと結婚、
二代目として農家の後を継いだ。

私の兄となったはずの長男が生後1ヶ月で病死する等、
様々なことがあって、戸籍上三男の私を跡取りとした。

 そして人口数百名の小さな石垣集落で有名な中泊で
祖母と二人暮らしで育った評判のいい娘を見つけ出した。

やがて当時私が勤務していた北海道に、
我が両親が実の娘のように一緒に連れてきて、
洞爺湖湖畔のホテルで婚約指輪を渡した。

 そして25年前、結婚3年目でやっと
父にとっても初めての内孫の誕生をみたわけである。
 

 ちなみにその洞爺湖湖畔で、
満点の星空にほのかに浮かぶ有珠山の陰影をキャンパスに、
湖上に上がる花火を妻と一緒に眺めたが、
その20年後、同じ場所で災害派遣の現地担当として
有珠山の火山噴火を見上げることになる。


 このようないきさつで、
内孫誕生の喜びは鯉のぼりの大きさに現れている。

黒鯉が7~8mはあると思われる。
これら親子三匹の鯉のぼりに吹き流し、
さらに家紋入りの幟(のぼり)旗など合わせて5本ほどを、
山から切ってきた竹竿を器用に細工して
家の庭先の畑に林立させたわけである。

だからというわけでもないが、
父母の生存中は、盆正月だけでなく、
ゴールデンウィークもほとんど家族で車で帰省したものだった。

鯉のぼりを珍しそうに見上げてはしゃぐ初孫を、
人生の様々な困難と喜びを一つ一つ皺として顔に刻んだ父の、
心から嬉しそうな笑顔が今でも瞼に浮かんでくる。


 父が他界して数年経ち、
長男の中学入学にあわせ自宅として現在のマンションを購入した時に、
田舎の母から鯉のぼりを託された。

さっそくその年の5月の連休から、
伸ばせば15mを超える伸縮性のアルミ竿を買ってきて
ルーフバルコニーに立てるようにした。

 でも、本来は土の庭の地面に突き刺した1mほどの鉄製の杭に
ポールの下を差し込んで、5段のアルミ製筒を逐次伸ばしながら
順にボルトとナットで止めるようになっている。

それをマンションの7階のコンクリートの
ルーフバルコニーに立てるわけである。

ルーフバルコニーの外柵の角を利用して立てたが、
説明書どおり、上部にボルト付けした滑車にロープを垂直に通し、
国旗掲揚の要領で鯉のぼりを取り付けたままにしていた。

すると不規則に変わる自然の風で、
鯉のぼりがポールやポールを支えるロープ等に絡まってどうしようもなくなり、
また立て直すこともあった。

1年に1度だけの試行錯誤を繰り返しながら、
最終的に、全て床に倒した状態でセットを完了してから、
棒高跳びのポールをつく要領で
根元を柵の角のコンクリートの基盤に当てて徐々に押し上げる。

しかもポールに絡まないように
斜めのロープに鯉のぼりを取り付けるようにする。

またポールを支えるロープも一切使わないという
現在の独自の「方式」を生み出した。

もちろん、吹き流しとか、風車とか飾り付けは一切しない。

この要領でここ数年は、
一人でも20分ぐらいで立てれるようになった。

今年で13回目の、つまり13年の積年の成果である。





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