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2008年 2/22 3連休の思い出・・・関わった全ての人に「ありがとう」(その一)

3連休の思い出
・・・関わった全ての人に「ありがとう」
 
 2月9日から11日までの3連休に、
次男聖人の武南高校野球部父兄会送別会出席のため、
久し振りに埼玉の家族のもとに帰ってくる。

 その十日ほど前、妻からメールが来た。
「防大空手から・・・2月9日13時から演武会、
18時から納会6000円の案内ハガキ来てる。
その日は武南の野球部の送る会だよ。」

 ただちに 
「武南送る会参加^^。当然、聖人優先!
それに、同窓会など進化につながらないものは出ても無駄^^。
スーツどれがいい?」と返事すると、

「ではハガキは欠席で出しておきます。お任せします☆ゝ(▽^※)」

 単身赴任中に、またとない家族への信頼貯金を黒字にするチャンス。
判断を誤ってはならない^^;
 
 さて、今回も往復に夜行バス「穂の国号」を使った。
深夜11時46分に豊川市役所前を出て、
翌朝5時過ぎに新宿に到着する。

片道4300円。2月中は、3300円のキャンペーン中。
往復で計2000円の割引はありがたい。

快適な新幹線の旅と違って、狭いイスのエコノミック症候群で、
寝不足・筋肉痛・疲労感は残るが、背に腹は代えられない。

 親はできうる限り我慢の生活をして経費を浮かし、
その分子供の養育費等に充てる。

親として、日々その実践を通じ、
今生を生きる真の目的である霊性・魂の成長を楽しく図りたい。

 9日朝7時に埼玉の家に着くと、
朝食を摂った後、早速オール草加ボーイズのグランドに行き、
いつも支援に来ているお父さん方に混ざりグランド整備を行う。

数日前の雪がグランドの片隅に残っている。
それがなくとも寒い時期は夜間地面が凍り付いて水分が蒸発せず、
昼間はぬかるむ。

少しでもグランドが使えるようにと親も一所懸命奉仕作業を行う。

 整備している間、
子供達は2kmほど北にある草加総合公園でのトレーニングに変更。

最後尾ながら悠人も駆け足で行っており、
動けるようになったことを安堵しつつ、
まだ作業を続けるお父さん方に断って昼過ぎに帰宅する。

 午後からは、グランド近くの公民館で
オール草加ボーイズの入団説明会が行われ、
会計をしている妻が行かなければならない。

妻に車をバトンタッチするとともに、
主夫から主婦に切り替わる。

真菜への食事準備…ただし下ごしらえは妻がほとんど実施^^、
食器洗い…これも今では真菜がほとんど実施^^;、
掃除機かけ、洗濯物干し、ハッピーの散歩・・・。

これらは家族への信頼貯金のうち、
もっとも重視しなければならない妻への信頼貯金を
大幅に黒字にするはずである。

 帰ってきた妻によると、
説明会には17名が来て、
7名が即入団届けを出したとのこと。

公式試合のベンチ入りは20名。
段階的に学年毎のチーム編成をとるオール草加ボーイズなので、
20名は欲しいところである。

 妻の顔が行く前よりも少し明るくなっている。
 
 実は、明日夕オール草加ボーイズの臨時父兄総会があり、
鈴木監督が会長とのごたごたで辞めるらしいとの噂話を、
今朝帰宅早々妻から聞いていたのだ。

悠人も、他の団員も皆、鈴木監督を慕って入団してきている。
会長が自分の息子であるコーチを監督にしたがっているという噂話は、
聖人の時代にも聞いていた。

またか…と思っていたのだ。

 改めて妻が持ってきた臨時総会の案内書を見ると、
「新代表の承認について」とのタイトルである。

10年間代表をされた方の強い辞意に基づき、
急遽安部副代表を代表として埼玉県連盟に届けたことへのじ後承認である。

もともと鈴木監督のもとでマネージャーをしてきた人で、
監督とも一心同体、聖人の時からその人となりもよく知っている。

 「監督辞任」の杞憂が晴れたわけである。

 ところがこれは思わぬ展開と役回りの
「体験」をさせていただくことになるが…。
それはこの時点では、まだ見ぬ明日のこと…。


 急いで着替えて、子供達に、
ご飯食べてお風呂入って寝ていなさいと声をかけて、
夕暮れの小雪のぬかるむ中、
久し振りに夫婦二人だけで武南野球部父兄会の送る会に向かう。

酒を飲まない私はアッシーとなる。
雪が積もりかけており、ハイヒールの妻が、
坂道などで私の腕にしがみつく。

腕を組むなんてここ数十年!忘れられており、
雪道もいいなあとほくそ笑む。
もっと降れ降れ~^^

 父兄の方の中には自分たちの結婚式にも使ったという素敵なホールで、
監督・コーチをゲストに迎え、
1・2年生のご父兄に3年父兄の送別の宴を催していただいたのである。

親だけであり、場所の雰囲気もいい。
司会の2年生のお父さんは、
競輪のプロ選手でもあり、
底抜けに朗らかでまたユニークな素晴らしい演出をする。

いい波動の場の中で、
久し振りに妻とデートしている感覚になるのは私だけであろうか?!

 ハイライトは、卒業生の親への感謝の言葉。

 あらかじめ「親への思い」を手紙として書いている。
読み上げられる子の親がステージの中央に立ち、
監督、部長、コーチが子供の代わりに朗読する。

監督が更にその子の印象に残ったことなどのコメントを付け加え、
タイミングを見はからって、
1・2年父兄の代表から記念CD・花一輪の入った小さな袋がプレゼントされる。

そして最後に親が最後のことばを述べる。

 この3年間だけでなく、
少年野球を始めてからの10年間以上にわたる早朝の弁当作りなど
感謝のことばを我が子から聞きながら、
親もアッという間に過ぎた楽しき日々を思い出し、
感動と、もう味わうことができない寂しさが入り交じり涙ぐむ。

 これは、子供を勉強で塾に通わせるだけの親では味わえない、まさに日々真剣に親子がぶつかった子育てでこそ味わえる子供との一体感、共感の振動、魂の成長体験である。
 
 特に印象的だったのが、
三塁手山崎君の手紙の最後のコメント。

 「僕は確実にタッチしました!!」

 そうだ!

あの三塁審判の意図的な世紀の大誤審さえなければ、
甲子園だって夢では無かった。

でも一番傷ついたのは、
タッチを審判に無視された山崎君だ。
試合後もかなり落ち込んでいたらしい。

それを周りの暖かい人間関係の中で立ち直り、
将来のよき野球指導者を目指し、
監督と同じ日体大に推薦入学することに決めた。

監督も嬉しそうにコメントする。
きっといい指導者になるだろう。

 私も27歳で防大の指導教官として母校の土を踏んだときに、
必ず関東学生空手道連盟の審判になると決意し、毎週火曜日夕、
横須賀市観音崎から都内北の丸の日本武道館の審判講習会に通って資格を取った。

 学生時代に母校があと一歩というところで
「審判」で勝てないことを毎年のように体験したからだ。

確かに連盟規約には各大学2名の審判員を出すこととしている。
しかしながら実際問題として、
空手道で推薦入学する私大と違って、
国公立では難しい。

結局、私が唯一の国公立出身の審判となった。

 こういう体験も踏まえて、山崎君には、
是非子供と心を通わせることのできる母校の指導者になって欲しい。
それが皆の尊敬する現新井監督への最大の恩返しになるだろう。

 ところで、悠人が勉強に対する熱意がまだでないと一人気を揉んでいる妻にも、
山崎君のお陰でいい「目標」ができたようだ。

悠人に、好きなスポーツが勉強となる「日体大」に目を向けさせようと
決めたようである…。

それがうまくいくかどうか、
5年後のこのエッセー「心のビタミン」をお楽しみに^^。
 

 もう一人は槙谷君だ。

 お父さんから、休みは常に親子でよりいい病院、整骨院などを
訪ね歩いた3年間だったと初めて聞いた。

 新井監督が、上尾高校の監督から、
お前のところは凄い選手をとったな、
ボーイズの埼玉代表のエースで4番が入ったじゃないか、
と言われてはじめて進学クラスで入学したことを知ったらしい。

実は先に武南を決めていた私がお父さんに、
一緒に武南で全国目指しましょうと薦めたのである。

 しかし腰骨のズレで1年間休部。
リハビリして3年最後の練習試合で投げたが、
高速スライダーと速球に往年の切れもなく連打を浴びた。

それを監督は、
「全国大会でも活躍した本人が、打たれて一番悔しかったと思います。
でも、最後まで野球部を辞めないで一所懸命復活目指し努力してくれた姿は、
本当にありがたかった」と最後のコメント。

かっての栄光の場にともにいて知っていただけに、
その死闘ともいえる3年間を思って思わず涙が滲んだ。

 高校野球には、
真剣に目指すからこそ
一人一人表に出ることも知られることもないドラマがある。

貴重な魂の体験である。

槙谷君のこれからの人生に幸あれ。
兄の果たせなかった夢は、
同じオール草加ボーイズから他高ながら
野球推薦で今春進学する弟がきっと果たしてくれるだろう。

 
 そして聖人は、小2の時から朝早く弁当を作ってくれたり、
どこにでも応援に来てくれたことへの感謝を述べた後、
「ケガに泣かされた野球生活でしたと」書いていた。

そして、法科で大学院まで行くことに決めているので
「もう少しだけ御世話になります。よろしくお願いします」と結んでいた。

 妻は、生後1歳半で救急車で病院に
担ぎ込まれるほど病弱に生まれた聖人がよく頑張ったこと、
思わぬ誤審で試合に負けた夜、
帰ってから自室で思いっきり泣くだけ泣いて、
翌朝は、意を決したように
図書館に行って勉強を開始したことに驚いたと紹介してくれた。

 狭いマンションに子供4人なので悠人と相部屋、
受験勉強も図書館に行くしかないのだなあと思ってしまった。

 そして私は、槙谷君と聖人が早実に蹴られた後、
暖かく迎えていただいた武南高校野球部そして新井監督にまずお礼を述べた。

次に、この送別父兄会のお陰で
単身赴任先から帰宅できたことへの感謝を伝えた。

 そして槙谷の腰、聖人の右太股筋肉断裂により
十分に力を発揮できなかったことをお詫びした。

ボーイズ中3夏の全国大会後、早実に入ることを前提とし
勉強だけの一切運動なしの半年間の生活指導が原因である。

しかし、これもきっといい体験をさせてくれたのに違いない。
聖人にとっては、野球を諦めて法律勉強への、踏ん切りになった。
 

 最後に父兄会会長である岡田君のお父さんがスピーチした。

岡田君もサードであったが、
最後はベンチからの応援となった。

でも手紙には、
ベンチから広角度で野球を見れた感謝のことばがあった。

 そして岡田さんは、坂本君のことを
一番感動し勉強させてもらったと語った。

 夏の大会前の父兄会による恒例の「カツ丼会」の席上、
1番から18番までの背番号が全部員及び父兄の前で監督から手渡される。

もらえない3年生にとっては、
グランドでの野球の終わりの宣告の瞬間でもある。

 坂本君は、一瞬のショックと深いかなしみを克服し、
ただちに臨時応援団長となって、自分でパフォーマンスを考え、
ベンチ入りできない部員を指導し、
アルプスの武南応援団全てをまとめ素晴らしい応援を繰り広げた。

野球を通じた人間教育という原点から見れば、
坂本君が一番成長したといえる。

 プロとは周りの人を幸せにする人。
そう、応援団長のプロであった。

 最後のスピーチで坂本君を選んだ岡田さんのこの視点も素晴らしい。
組織はトップで決まる。

今年の武南父兄会の雰囲気がいいと言われているのも、
この岡田さんの賜である。

 オール草加ボーイズの父兄の中でも武南の人気が高くなっている。


 ところで席に着く父兄のもとに、
山崎君のお母さんが小走りで何か届けている。

 私たちのところにもみえられた。
それは山崎さんが3年間撮った写真で、
各選手毎の手作りのアルバムを作ってプレゼントとして配られていたのだ。

 凄いなあと感動した。

 このお母さん、ご両親のもとで育った山崎君だからこそ、
見事立ち直り、素晴らしい人生の目標を見つけ出したのだなあと、
感謝しながらいただいたアルバムで聖人の3年間の歩みをじっくり見た。

 特に単身赴任で、
限られた帰宅時に一瞬の写真のような点しか見てない私にとって、
3年間の連続したフィルムとしての物語を見るようで嬉しかった。

 改めて武南高校野球部とともに歩めたことに深く感謝した。

 二次会のカラオケボックスで、
コーチの先生から、聖人が下級生の目標になっていることを聞かされる。

 進学クラスから野球部に入っている下級生が、
勉強と野球の板挟みで悩んでいるときに、
練習後も居残って自主トレーニングをする聖人を見てみろ、
と先生が言ってたらしい。

なんでも練習後に残って、
素振りやトレーニングなどを始めたのも聖人らしい。

もっとも本人は、オール草加ボーイズの上級生となってからは、
解散後も真っ暗な星空の下、
気のあった二人がペアとなってネットめがけて
ティーバッティングするのが常識だったから、
その延長でやったに過ぎないのであろうが。

オール草加ボーイズの豊富な練習量に比べ、
高校野球の練習量ではもの足りなかったのだ。

でも、確かにチームに甲子園を明確に意識させたことは
間違いないだろう。

上級生の父兄会長でさえ、
私たちは武南が甲子園を目指すなんて考えてもいません
と言っていたほどなのだ。

ある意味で、聖人達が「意識改革」の
波動の発信源になったのかも知れない。

 それに今年の進学クラスの成績は、
埼玉でも指折りのできでだとも聞く。
それだけに先生方の期待も高い。

 そういう意味でも、
是非大学で聖人には野球を続けて欲しいし、
それが進学クラスで野球を続ける後輩の
いい手本になる熱心に話していただく。

 基本は本人の気持ち次第だが…。
足のケガ以降、瞬発力が落ちたことを本人が一番よく自覚しているし、
また弟妹二人のこれからの学費等も心配している。

家の事情をよく考える繊細な心と思いやりのある子なのだ。

まあ、その前に、一つでも合格しなければならない。
こちらも厳しい道である。





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