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2008年 12/28 ああ、エイペック…今夜も 洞爺湖の町に エコが灯ります(その三)

史上初の政府現地対策本部活動の残したもの…

ここで、じ後の災害対処の先例として役だったと思われる活動内容を列挙してみる。


① 全体調整等会議と最高意志決定会議の切り分け

 全体調整等会議は、毎日午後6時に、
政府現地対策本部を構成する全組織が参加して、
情報と意思の共有を目的に行われた。

また、この冒頭をメディアに頭撮りさせ住民等への広報効果をあげた。

 その一方、災害対処等実行動上の重要な決定事項は、
全体会議とは別室で、内閣安全危機管理監と警察・消防・自衛隊の実動部隊
そして当該市町村長等で「トップ会談」として迅速に意志決定を行った。

 その一例として、JR線の早期運行開始要請に対する処置がある。
 当初の噴火後の迅速な復旧作業で、JRは数日で再開可能となった。

営業的に見れば当然直ちに列車を走らせたい。
そこで最高意志決定会議で、JR側に、本格噴火が起こったときの対策
…監視・緊急連絡・迅速な乗客の避難処置等々…
を訊ねた。

もともとこれらの対策は考えてないので、
早々に会議場から引き上げた。

 もしこの議題を全体会議で出せば、一気にニュースとなり、
収集がつかなくなっていただろう。


② 3実行部隊の統合力発揮のための指揮所活動

 警察、消防、自衛隊の各実行(動)部隊は、それぞれ特性があり、
有機的に組織化をすれば素晴らしい統合力を発揮する。

例えば、自衛隊は組織力と実行力に優れ、
警察は個々警職法の権限がありまた各人が携帯無線機を持っていて現地統制に適し、
消防は地元情報にたけている。

 避難生活の長期化に伴い、
危険地域内の家屋に安全かつ迅速に立ち入る必要が生じた。

この為、自衛隊のヘリに地震研究者を乗せて火口の直接監視にあたるとともに、
別室に設けた指揮所で自衛官が全般統制を行う。

警察官は、立ち入り住民を誘導し逐次無線で位置を通報する。
立ち入り終了後は、消防が最後の確認をして指揮所に報告する。

 この際、指揮所には、自衛隊・警察・消防の各無線機を
オペレーター付きで持ち込んでおく。

そうすると周波数が違っても統合した指揮活動ができる。
また、自衛隊の指揮所活動の要領で一つの地図の上に、
住民の現在位置等を符号や記号でタイムリーに表示する。

 こうして災害時における政府現地対策本部の指揮所活動のひな型ができた。

 後に、これは北方総監部で、
「札幌に震度6の直下型地震が起きた」という想定のもとに行われた
災害指揮所演習に活かされた。

同演習は、納富2佐がそれまで開発していた戦闘用シミュレーションソフトを
災害用に応用した独自のソフトで行われ、部内外から多大な評価を得、
ニュースでも大々的に取り上げられた。

そのときの演習現地政府現地対策本部や指揮所活動は、
すべて有珠山噴火災害派遣を再現したものであった。

こういう意味でも、有珠山噴火災害派遣は、
じ後の大規模災害対処の原型と言える。
  

③ メディアと一体化した救助活動

 有珠山噴火災害派遣と阪神淡路大震災派遣とのもっと大きな違いは、
マスメディアによる、広報活動特に情報提供に関する自衛隊評である。

かっては反自衛隊的な記事も多いことで有名だった地元有力紙の北海道新聞が
「変わりゆく自衛隊」「開けゆく自衛隊」と特集を組んだことでも
その一端を知ることができる。

 その評価に最も寄与したのが、
ヘリコプターによる映像の同時「配信」である。

 噴火活動の監視や救出活動の確認のため、
ヘリコプターによる映像を現地対策本部の自衛隊の島ではモニターしている。

そのモニターの映像をリアルタイムでメディアの部屋に提供した。
具体的には、島のモニター受信機
…と言っても正規の装置はないので隊員の居室の小型TVを借りてきていた…
から分配器を使ってケーブルを、
「モニターはそちらで準備して下さい」と
メディアのたまり場の部屋に引いたのである。

すると当時としては珍しい液晶画面の大型TVを記者たちが持ち込んで、
文字通り情報を「共有化」したのである。

 また、避難された方々にとっては、
家がどのようになっているのか日を追って不安が増す。

そこで、日中撮っておいた映像を、
NHKなどが深夜空いている時間帯に放映し、
避難所の大型モニターなどで見ていただいた。

情報の欲しい避難所の方々にとって直接的な映像情報であり、
不安感の除去に最大限寄与したと言える。

また自衛隊ひいては政府現地対策本部への信頼感の醸成に役立った。

 観点を変えれば、
メディアと自衛隊・政府現地対策本部との連携プレーであり、
災害派遣等非常時の行動に最も重要な、
「メディアを含んだ一体化した救助活動」の先例となったと思う。

 もっとも、噴火直後の火口付近の大被害を受けた家屋の映像の提供については、
被災者の心の準備ができるまで待つとともに、
長期化にともなって音楽隊の慰問演奏で心を癒す等、
「心のケア」に最大限留意しなければならない。


 また、迅速な広報活動という観点からは、
現場の活動状況をタイムリーに情報提供するため、
インターネット配信できるパソコンと要員を「島」に増派してもらった。

ああエイペック…

 このような成果を生みつつ、活動の最大の焦点は、
いつ、どこから本格的噴火が起こるかを早期に予測することであった。

その判断に必要不可欠なのが、
火口付近の兆候のタイムリーな情報入手である。

偵察隊は24時間監視しているが目視であり、
かつ山の麓に展開して見上げるため、
火口付近の機微な監視は望めない。

ヘリは基本的に航続時間が2時間であり、
また雪の多い北海道では観測機会が非常に限られる。

この為、装甲車で危険を犯して立ち入り禁止区域に入り、
地形のずれを観測するためのGPSの設置などもおこなったが、
どうしても確実な火口の観測点が欲しい。
 
この時に、定置観測地点として浮上したのがエイペックホテルである。

 エイペックは、地形的に洞爺湖を挟んで反対側のやや南の位置にそびえ立ち、
有珠山の火口付近を望遠レンズや赤外線レンズで常時監視するのに最適である。

当時は不況のためホテルは営業してなかったが、
新たな経営母体ができるまで、
管理会社によってきれいに管理されていた。

 ただちにその管理会社と調整したが、
なんと観測に適する屋上や部屋は、
既にマスメディアの各カメラ等が個別に契約して占領していた!

さすがに日本のメディアは目の付け所がよく、
処置も早いと感心したが、数十社あるメディア社と交渉するのは、
あまりに時間がかかる。

しかも、彼らの本社はほとんど札幌にある。
まさか有事ではないので、強制的な「土地等使用」などはできない。

もっとも非常時であっても、
現地対策本部にはそのような権限は、今もないであろう。

 この時、政府現地対策本部の中で、
「私に調整させてください!」と名乗り出たのが、
道庁の島に立ち上げ当初から勤務していた知事秘書室のT事務官である。
 

思い出してみると、政府現地対策本部のような非日常的な勤務では、
普段の階級・職位などはあまり意味をなさなくなる。

その島で一番話が通じる「人物」を相手に仕事が回ることになる。
例えば、道庁の島のトップには副知事、
伊達市は市長そのもの、
地元虻田町は町長が入っていたが、
道関連はT事務官、
地元関連では虻田町長に話を持っていくようになっていた。

もっとも、非常時に活躍する人物が、
日常の恒常的な仕事等で目立つわけではないだろう。

人間誰しもDNAに無限大に近い能力情報を持っているが、
たぶんこれらの人々は、非常時の環境に即応して、
その対処情報のDNAを瞬時に「オン」することのできる人たちであり、
言い換えれば、こういう有事即応できる人を「運用マインド」を持つ人たちと
呼んでいいのかもかもしれない。

運用マインドを持つ人物が多いほど、
いざというときに、その組織が力を発揮する。

 いずれにせよ、現地政府対策本部の中で、
道関連の調整事項があればT事務官に持っていくようになっていた。


 T事務官は、さっそくメディアの部屋に行って全関係者を集め、
エイペックに、自衛隊の観測点が必要なことを訴えた。

さすがに地元札幌で実務者として長年勤務しているだけあって顔も利くのか、
あるいはその至誠溢れる熱情に感動の輪が広まり、
各人の非常時のDNAが連鎖してオンになったのか、
部屋全体が「是非提供したい!」という雰囲気になった。

そして、ただちにT事務官、方面通信群担当、メディア担当等関係者が
エイペックに向かい、現場で即調整。

こうしてベストの位置に観測点を立ち上げることができた。
 

その最初に送られてきた映像が、
うす紫色にかすむ洞爺湖畔越えに、
真っ白い噴煙を勢いよく噴出する有珠山の姿であった。

奇しくも、武蔵野線の電車の中のポスターと同じ構図であり、
見つめる内に意識がタイムトリップしていたのである。


平成20年7月…

『東川口駅~、東川口駅~、次の停車駅は東川口駅になります』

 いつの間にか、30分が経過していた。
そのエイペックの写真とも別れる時がきた。

 あの時の道庁のT事務官は今頃どうしているかなあ。
岡田教授はまだお元気だろうか?
誰が第2の岡田教授になっているのかな…。
 

 ところで、こうした完璧ともいえる
関係者一同の一体化した活動が功を奏したのか、
その後のほぼ3ヵ月の噴火活動により、
溜まっていたマグマの圧力が徐々に低下、
「本格的噴火」を迎えることなく、
有珠山噴火は終焉を迎えた。


その後、エイペックの管理会社から、
自衛隊の使用した場所には一点の汚れもなかったと伺った。

玄関から階段、使った部屋の絨毯等すべてに地図用ビニールを敷いて使ったらしい。
こういうちょっとした心遣いが、
日本人本来の「誠」として、
その後の国内外の活動で信頼、
感謝につながっているのかもしれない。


やがて訪れる関東・東海大震災、
あるいは始まってしまった資本主義崩壊時代に、
後輩達がT事務官のごとく、運用マインドを十分に発現させて、
獅子奮迅の活躍をしてくれることを祈りつつ
…武蔵野線の電車を降りてホームにたった。

そして大都会のゾンビの一人として流れの中に入っていった…。
 

老兵は静かに去るのみ…


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