2008年 10/27 キャッチボール・・・悠人地区大会ベスト4の裏で(その一)
キャッチボール
…悠人地区大会ベスト4進出の陰で
10月12日、日曜日。
所沢航空記念公園野球場でおこなわれた
三男悠人・中2の所属するオール草加ボーイズの
埼玉地区秋期大会第2・第3戦の応援に、
妻と次男聖人・大1の3人で行く。
小5になった長女真菜は、
野球には興味がなくなり、
友達と遊ぶために家で留守番。
代わりに次男が悠人のボーイズでの試合の応援に初めて来た。
今や社会人となり、
妻から見ると迷惑な食客として我が家に居候を決めこんでいる
長男の大学時代と同じく、
家の近くの量販店のドン・キーで深夜バイトしている。
よって朝6時出発に間に合うようにちゃんと起きるのかと思っていたが、
武南高校時代に使ったキャッチャーミットに
中学のオール草加ボーイズ時代のオールマイティグラブ、
それに硬球一つを持って一緒に車に乗り込んできた。
実はこの日は、前日に引き続き高輪プリンスホテルで、
「船井幸雄オープンワールド2008」が開かれていた。
船井幸雄さん自ら選んだ日本を代表する21名のその道の第一人者のナマの声を、
3カ所の会場で二日連続集中して聴くことができる。
私も昨日は、オープニングの船井さんの講演から夕方まで
3人を選んでバッチリ本物情報に接した。
今日も船井さんのクロージングの講演がある。
最後に聴衆のチャクラを開くため“エイ!”と気を発せられるので、
人間度(悟り)の低い私としては是非参加したかった。
人生は、「選択」による体験の積み重ねである。
今回はオープンワールドの二日券を購入していたが、
今日は家族への信頼貯金を黒字にする方を選んだわけである。
オール草加ボーイズの悠人達新2年生チームは、
先週、地区大会の初戦を23-0の3回コールド勝ちで飾った。
夏以降チームの看板を、卒団した3年から譲り受けた時は、
入団時から期待されていた年代にもかかわらず、
新人戦や練習試合でタイムリーが出ない。
声も小さく元気がない。
ムードメーカー的に引っ張るキャラ、
つまり主将タイプの子がいない。
これで大丈夫か?!と親たちが心配していた。
でも、鈴木監督が直接指導するようになって日に日に成長してきた。
やはり何事も組織はトップ/指導者で決まると改めて思った。
ちなみに強豪で有名なある中学校野球部の監督は、
中学時代に軟式でやるなら自分の学校で、
硬式ならオール草加ボーイズの鈴木監督のもとでやりなさい
と指導しているそうである。
ところで悠人達2年生は16名しかいない。
もっとも練習試合も含んで、
全ての練習はチームの伝統である機会均等主義なので、
30名近くいた3年生とは違って30人/16人=1.9、
つまり約2倍の練習ができるわけである。
しかも鈴木監督の全国レベルの濃密な練習が続く。
5年前の聖人達の時も17名と少数だった。
しかもオール草加ボーイズ35年の歴史の中で最弱小と
先輩ご父兄達から揶揄されたが、
鈴木監督の徹底したキャッチボール・塁間ボール回し等の
厳しい指導とオール草加名物の冬期特別体力増強トレーニングで、
3年春以降は埼玉県で負けなし、
関東ベスト4・全国ベスト16という、
揶揄した先輩達の年代を大きく凌ぐ成果を収めて卒団した。
悠人達は先週の緒戦で早くもその成果が現れたのだ。
もっとも相手チームは同じ草加市近辺を基盤にするチームである。
中学で硬式野球をしたいが、
オール草加ボーイズでは無理と諦めた子供達が入っているので、
戦う前から意識の差があったのかも知れない。
試合場に到着すると、さっそく次男は鈴木監督のもとに挨拶に行く。
卒団して約4年。わずか4年だが、されど4年。
この間聖人にも様々な自らの「選択」があった。
早稲田実業の野球推薦入試に落ちた後、
監督から埼玉の名門春日部共栄への勧めがあった。
しかし全寮を嫌った聖人は、
地元の武南高校野球部と進学クラスを選んだ。
いい高校で指導者も素晴らしい先生であったが、
肝心のグランドがない。
しかも2年の夏の県予選大会をレフトで出場して敗退した後、
チーム事情で急遽キャッチャーにコンバートされた。
小2で本格的に野球を初めて以来、初めての捕手である。
後から聞けば、この時から野球でこれ以上進むことを諦めたとのことだ。
その気持ちを反映するように、打順も1番から8番へ下降定着した。
ただ、親としては、キャッチャーミットを「チーム事情なので…」と言うことで、
学校からいただいたのには助かったが^^;。
それでも3年最後の夏の大会前に、
「早稲田の斉藤投手と対戦してみたいなあ」
「(お金)出してくれるなら6大学で野球やってもいいなあ」と
1回だけ言ったことがある。
6大学で野球となればバイトどころではない。
授業料、野球活動費等、4年間で一千万はかかると聞いた。
聖人だけなら借金してでも出すことはできても、
我が家には下にまだ二人いる。
長男と同じく、学費だけ出して、
後は自らのバイトで稼いでもらうほかない。
結局、将来司法試験を受けたいと大学では法科を選択した。
ずっと夏大会終了まで野球をやってきたので、
浦和学院でサッカーをやった長男のように一浪すれば
もっと上位の大学に入れたかも知れないが、
家庭の事情で最後に受かった明治学院大の法律科に現役入学した。
大学では、サークル活動のテニス部を選んだ。
小2から野球漬けだったので、
女子学生の多いテニスサークルは、
入った瞬間からたのしくはじけた。
髪も長い茶髪となり、4月は毎日のように練習後のコンパで、
妻が「アル中になるよ!」と注意したほどだ。
ある時、深夜に帰宅して生意気な口を聞いたので、
思わず私も襟口を掴んで締め上げた。
もし、それ以上反抗的になっていたら、
一発殴っていたかも知れない。
その翌日、妻が、「昨夜聖人とお父さん凄かったよ」、
と悠人に話すと、
悠人は「もともと気が合わないだけじゃん」と
いたって平静に答えたのには思わず苦笑いした。
多分、一見楽しそうに学園生活をはじめていても、
諸事情で野球をやめた悔しい思いが心に鬱積していて、
ついアルコールが入ったときに、
反抗的態度として出たのだろう。
その後は、私が早朝家を出るし、
聖人は深夜バイトをしているので、
まともに会うこともなかった。
ただそのバイトも長男のように闇雲に!?稼いで、
扶養限度額を2回も超えて親を慌てさせるようなこともなく、
翌日の授業などを考えて働いているようだ。
そして、「ドイツに留学したい」と言い出した。
学部で提携している大学がドイツにあるらしい。
もっとも私も仕事でドイツに行った時は、
その自然と共生する未来永劫型の国造りに感動し、
特にニュールンベルグの旧市街ではデジャブ観まで味わい、
是非家族を連れてきたいと思ったものだった。
やがて誘われると必ず行っていたテニス後のコンパにもほとんど行かなくなり、
落ち着いてきたなと思っていたら、急に先週の日曜日夜、
「来週の悠人の試合見に行こうかなあ」となったわけである。
まあ、このようなわけで5年ぶりに野球のふるさとに帰るようなものだろう。






