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2007年 10/17 殉国七士の碑から歴史を読む・・・三ヶ根山・竹島・石巻山を訪ねて(その三)

初めて殉国七士の碑に接して、
このような感慨を抱きながら三ヶ根山スカイラインを下り、
海岸線沿いの国道23号を東に約10km走り、
蒲郡のシンボル的存在の「竹島」に行く。

竹島は、蒲郡市の三河湾に浮かぶ小島で、
三河湾国定公園の中核をなしている。

島の標高は22m、周囲約680mで、
面積は約1.9ヘクタール。
東京ドームの約1.5倍である。

基盤は花崗岩質で、
対岸とは約400m離れており、
コンクリート製の竹島橋によって結ばれている。

橋のたもとには大正・昭和初期に
文人達が多く利用した料理旅館「常磐館」があり、
菊池寛の「火華」をはじめ多くの作品に残されている。

現在、跡地には「海辺の文学記念館」があり、
その足跡を残している。

また現在「蒲郡プリンスホテル」として営業する旧蒲郡ホテルの建物は、
城郭風の外観にアールデコ様式の内装と独特の建設であり、
竹島を周回する遊歩道から写真を撮るときの遠景として絵になる。

竹島は対岸とは僅か400mしか離れていないが、
対岸の松林などとは植物相が全く違う。

しかも人為的に植えた植物は、
名前の由来の一つになっている2本の元竹以外一本もない。

自生の65科238種の暖地性植物が繁茂している。
このため国の天然記念物に指定されている。

また竹島は全域が竹島弁天(正式名称:八百富神社)の境内である。
竹島弁天は、市杵島姫命を祀る神社で、
養和元年(1181年)に藤原俊成が
琵琶湖の竹生島から勧請し創立された。

徳川家康も参詣し4石8斗を寄贈している。
安産、縁結びにご利益があると言われ、
若いカップルや家族連れがよく訪れている。

橋を渡って左の階段を登り、
八百富神社を抜けて海岸まで下りると整備された遊歩道に出る。

右回りに15分ほどでもとの橋のたもとに帰ってくる。
遊歩道の最後、蒲郡側から見ると右手にちょこんと飛び出した岩が見える。

上に常夜灯が設置されている。
実はこの一帯も以前は島の一部であったが、
名古屋城を建設したときに石垣として削りだした残りなのである。

切り出された石は海路名古屋に運ばれた。
名古屋城の石垣の中で白い花崗岩は竹島から運ばれたものと言われる。

竹島がどこから見てもドームのように丸い形をしているのは
名古屋城の建設と関係していたのである。

竹島から東に約3km、麓に三谷温泉のある弘法山の山頂に、
台座も含め高さ29.69mの東洋一の大きさで、
安産、子育て、子授かり、所願成就の子安弘法大師像が立っている。

前の広場に蒲郡市街や竹島、大島、小島を一望できる弘法山展望台がある。
その一角に愛の誓いができる新しいスポット、
ラーバーズヒル(恋人達の丘)が誕生している。

二人で愛の鐘を鳴らし、
ハート型の誓い板に願いを書いて鍵で柵につけるようになっている。

神社のおみくじの現代版である。
既にけっこう飾られていて、
覗いて見ると愛と幸せを祈る二人のメッセージで溢れていた。

真後ろから東洋一、ということは世界一の大きさの弘法様の御利益に支えられ、
愛を誓った二人の心がいつまでもその初心を忘れない限り、
幸せになること請け合いである。

眼下に広がる素晴らしい竹島と三河湾の眺望を見ながら、
7月最終週末に毎年上げられる蒲郡の花火大会の撮影ポイントとしても
最高の位置であることを確信した。

来年、もし恋人達の邪魔にならなければ是非ここから撮影したいものだ。


弘法山を下りてから、夕食までまだ時間があるということで、
車で一気に東に約30kmほど走り、
豊橋市の東北に位置する「石巻山」に向かう。

こういう時の自動車は誠に便利である。
ママチャリなら3回、つまり3日、
週末だけの日程にして3週間はかかる撮影紀行を
わずか一日で効率よくおこなえる。
改めて塩田さんに感謝した。

石巻山は、愛知県東部を南北に流れる弓張山脈から
西の豊川方向に張り出した標高356mの小さな山である。

豊橋市から見ると三角形の美しい形をしており、
市のシンボル的な存在である。

古(いにしえ)から人々に親しまれ、
また信仰の場とされてきた。

山頂からの360度のパノラマの眺めが素晴らしく、
晴れた日には豊橋市街から三河湾が見渡せ、
西浦、知多半島まで望める。

山頂付近に見える石灰岩は、
その昔の珊瑚礁の面影を残し、
かっての海底が隆起した山であることがわかる。

そのためか珍しい陸貝も生息しており、
「石巻山石灰岩地植物群」として
昭和27年(1952年)国の天然記念物に指定されている。

少し西を東北から南西に流れる豊川周辺が中央構造線の変成火成岩なので、
これと直交する弓張山脈の地質上の複雑な形成を見ることが、
列島誕生の秘密を明かしてくれるのかも知れない。

またこの辺り一帯は、
「石巻山多米県立公園」として散策路もよく整備されている。

石巻山の中腹には石巻温泉があり、
この駐車場まで車で一気に上がれる。

ここから山頂まで40分ほどで登れる。
やはり確かに車は便利だ。

駐車場から旅館を通り過ぎ、
鳥居をくぐり階段を登りきると石巻神社の社殿に出る。

石巻神社は、この上の宮と、
西麓にある下の宮の二社で構成されている。

第6代孝安天皇(即位紀元前393年)創建とも言われるが
細部は不詳である。

日本六国史の一つで平安時代に書かれた「日本文徳天皇実録」に、
現在使われている文字の記録としては一番古い、
仁壽元年(851年)10月7日従五位下を授けられたという記録がある。

祭神は奈良の三輪神社と同じ大己貴命(オオムチナ)、
つまり大国主(おおくにのぬし)の別名である。

東三河では「スサノオ」を祭る神社は多いが、
同じ三輪系でもオオムチナを祭る神社は数少ない。

山の上と麓の二宮で一社を構成するのは、
豊川を挟んだ本宮山の砥鹿神社と同じである。

古来から地元と密着した神社が山頂に祭られていて、
大和王朝成立時に中央とつながりの深い神社を麓に建て、
合体することによりうまく政治的にも統合したに違いない。

和をもって尊しとする典型的な日本的統治の原型といえよう。
戦前の台湾、朝鮮半島の日本化の原点はここにあるのかも知れない。

さらに山道を登ると「ダイダラボッチの足跡」がある。
民話によると、石巻山と本宮山をまたいで
小便をして豊川ができたとのことである。

実際は、石灰岩が風化水蝕されたものであるが、
同じように神様のお使いの大蛇が住んでいたという「蛇穴」もある。

また中腹には、「このしろ池」という泉がある。
海から山に変わったときに、
逃げ遅れたコノシロが泳いでいたという微笑ましい言い伝えもある。

山頂近くになると10mほどの岩場となり、
クサリ場や鉄ハシゴを登ると、
一気に岩の上に飛び出る。

南面はロッククライミング場としても有名なほどで、
山頂の岩場に立つと足元が怖い感じもするが、
その分360度の大パノラマが味わえる。

特に西は、豊川、豊橋の街並みが眼下に見下ろせ、
遠くに三河湾が霞んで見えた。

山頂の岩の上では、30代の若者が
一人瞑想をするかのように静かに本を読んでいた。

実は、石巻山は強い「気」が流れ出る場所としても有名で、
この自然の気を体感するために登山する人も多い。

地元の古い言い伝えによると、
この地方にはかって本宮山を中心とする古代文明があった。

「本宮山」を北の頂点にして、
西に「御津山」、東に「石巻山」、
南に「蔵王山」でダイヤモンドを構成し、
本宮山に気を集中させていたらしい。

また特殊な光通信網を構成していたとも伝えられている。

はからずも今回石巻山に登って、
古代伝説の残る四山全てを訪れることができたわけである。

それぞれの山頂は、
かっての祭壇かあるいは特別な意味のある大きな岩がある。

また伝承不詳の古い神社がある。
その神社の向きが、
通常の神社のように東西南北でなく、
全て本宮山に向いている。

やはり、ここには現代伝えられている公の歴史にはないが、
消された文明があったに違いないと直感的に確信した。

日本の歴史書には、
日本書紀、続日本書紀など6つの国史がある。
当然ながら日本語で書かれている。

しかしながらもともと使われていた話し言葉に、
大陸からやってきた民族のうち
漢字を使う特定の民族が主導権を握るようになって、
表記されるようになったものである。

それ故、じ後本来の日本人にあうように
ひらがなやカタカナが独自に作られ、
漢字自体も訓読み音読みに加え文字として簡単に使えるように工夫され、
世界でもユニークな一国一文明の独自の日本語文明圏を築いてきた。

しかしながら主導権を握る上で邪魔となる以前の文明や文字などは
一切記録から抹殺された。

この意味で文字を制する意義は果てしなく大きい。
100%情報を制し、使われる文字文明にやがて同化されることになる。

ただし、中央の文字による歴史の「捏造」も、
地方、住民レベルでは「神話」「言い伝え」の形に変えて後世に残される。

例えば、ダイダラボッチが本宮山と石巻山とをまたいで
小便をして豊川ができたということは、
現在まで続く大和王朝とは違う、
本宮山と石巻山などを繋ぐ古代先進文明のもとに
豊川つまり豊かな穂の国が栄えていたということを
伝えているのかも知れない。

文字を使った心への工作は、
現代ではメディアを使った情報によるマインドコントロールで行われる。

敗戦によるGHQの占領政策は、
まさに日本人の心を彼らの利益にあうように
コントロールすることにあった。

今回、初めに三ヶ根山の殉国7士の碑を参拝して、
最後に太古の歴史を抹殺された石巻山を訪れて、
自分なりに歴史の流れを読むことができた。


その流れから予想されるものは・・・

アメリカは現アメリカ型資本主義を維持する限り、
つまり影の政府が健在な限り、
ドル市場の拡大を追求する。

次の狙いは世界最大の安価な労働資本のある中国のドル市場化である。
具体的には、共産党体制の崩壊が目標になる。

これは同時に、世界最大のウラン鉱のある北朝鮮のドル市場化、
具体的には金正日独裁体制の崩壊となる。

しかしながらこれらのドル市場の拡大が行くところまでいくと
有限の地球上では止まらざるを得ない。

その時に残るものは、

 ・天文学的な借金を持ち、
   実体経済、生産手段のない空洞国家・アメリカ
 ・天文学的な外貨準備資金(ドル)を持ち、
   世界一の品質を誇る世界の工場・ 日本
となる。

この時もし現在の人類文明が続くならば、
第二次世界大戦後基軸通貨がポンドからドルに代わったように、
世界の基軸通貨はドルから円に代わらざるをえなくなる。

まさにパラダイムシフトである。

この時こそ、私利私欲、エゴのアメリカ型資本主義から
思いやり・分かち合いの共生主義の時代になる。

ならなければ、現代人類文明自体が崩壊する。

また共生時代に見合う人間性、
つまり波動が高くならない人間は、
進化した地球上では生きていけなくなるであろう。

これが2012年12月21日に起こるといわれる
アセンションの意味なのかも知れない。

1923年11月、憧れの日本の地を踏んだアインシュタインは、

「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。
 一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。
 
 私はこのような尊い国が
  世界に一カ所ぐらいなくてはならないと考えていた。
 
 世界の未来は進むだけ進み、
 その間幾度か戦いは繰り返され
 最後の戦いに疲れる時が来る。
 
 その時人類は真の平和を求めて
 世界的な盟主を上げなくてはならない。

 この世界の盟主となるのは、
 武力でも金力でもなく
 あらゆる国の歴史を抜き越えた
 最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。

 世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
 それはアジアの最高峰日本に立ち戻らねばならない。

 我々は神に感謝する。
 我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを」

と予言した。

アインシュタインの予言が成就するとき、
A級戦犯の名誉も回復されるであろう。

ただし、「最後の戦い」が
人類史上かってない悲惨な状況になることは、
地球温暖化など人類の「欲望」により
自らの命の元である地球自身を崩壊させつつあることからも十分予想される。

少しでもその悲惨さを軽減するために、
まず日本人にかけられたマインドコントロールを自ら解いてほしい。

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