2007年 7/27 武南まさかの3回戦敗退・・・11年間楽しませてくれてありがとう
武南高まさかの3回戦敗退
・・11年間楽しませてくれてありがとう!
目の前で起こったことがいまだ信じられない。
対深谷商業の3回戦、
8回裏に6-5と見事再逆転して迎えた9回表の最後の守備。
同点とされ、
さらに二死満塁の大ピンチを猪俣君が踏ん張って三塁ゴロに討ちとり、
三塁手が走ってきた走者にタッチ。
チェンジで、さあ次はサヨナラ勝ちだ!
とスタンドの誰もが思った瞬間、
三塁審判が「セーフ」のジェスチャー!。
武南の応援席が一瞬凍った。
当然、武南ベンチから抗議にいくものと思ったが、
高校野球では審判の判定は絶対なのかそのまま試合は続けられ、
気落ちしたのか次打者にライト前にクリーンヒットを打たれた。
ライトの橋本君が、
バックホームに前に出ようとしたが
ぬかるんだ芝生に足を滑らせ後ろにそらせて万事休す。
武南の敗退が決まった。
実は試合前のネット裏で、
あの先輩が塁審だ、
絶対有利だよという、
嫌な会話も聞いていた。
信じたくはないが、
特に強豪高に有利な判定があったと聞く場合が多い。
同じようなことが、
空手道の世界でもある。
そもそも私が学連の審判をめざしたのは、
学生時代の体験から強豪校に勝つためには、
OBが審判となって支援しなければならないと
痛切に感じたからである。
でも、まさか、
高校野球の公式戦で
このようなことが白昼堂々行われるとは…。
今回の場合、三塁塁審は、
レフトの線審も兼ねているので
ベースのかなり後ろからプレーを見ていた。
確かに三塁手が素直に1塁に投げれば簡単にチェンジとなるが、
目の前に2塁からランナーが走って来たので、
腕を伸ばしてタッチし、
アピールした。
塁審は角度的に絶対にタッチを見れていない。
しかし、流れから見て三塁手がアピールしたところで
アウトを宣言すべきである。
試合後、武南のお母さん方が、
あの審判を殺してやりたい、
と言っていたが、
私も全く同じ思いである。
試合は、初回に武南が2点を先制するなど有利に展開していた。
猪俣、聖人のバッテリーも気合い十分で
誰もが勝ちを信じていた。
ただプロ野球のように、
捕手の聖人を8番、
投手の猪俣を9番に置いたのには、
ちょっと引っ掛かるものがあった。
あいにくの梅雨の長雨の影響も
武南ナインにはおおきなマイナス要因となった。
学校に野球グランドがないジプシー練習なので、
雨の生の芝生上での外野守備がなされていない。
このため、この試合でなんと外野手全員、
外野フライが上がった瞬間に足を滑らせて転倒、
外野まで球をそらせ、相手に点を与えてしまった。
逆に相手外野手は、打球に瞬時に反応して好捕した。
もし、晴天に試合が行われていたら
試合の展開もまったく違ったものになっていただろう。
また妻が、聖人に7番を打たせていたら
もっと点が取れていたのに、
という言葉にいろいろな思いがこみ上げて来た。
確かに初回に2点を取ったあともランナーが二人いて、
7番が凡退してチェンジとなったが、
次の回の打席で聖人は右中間にクリーンヒットを打っている。
またその次の時は、一死満塁で7番がスクイズに失敗。
二死満塁で聖人が右中間に大きなフライを打った。
相手センターの見事な背走でアウトになったが、
もし聖人が7番だったら確実に1点が入っている。
次の時もランナー2、3塁で同じような場面があった。
中学時代、1番の聖人と、
名門春日部共栄高校にいった3番ショート秋元君の二人のバッティング、
そして投手槇谷君の高速スライダーで
オール草加ボーイズが埼玉代表となり全国大会に行った。
聖人は、武南高2年まではレフトで試合に出て、
一番なども打っていた。
チーム事情で捕手となったが、
もし他の高校にいっていれば
好きな外野でのびのびと成長したかも知れない。
実は早実の推薦受験が決まったときに、
落ちたときの場合にオール草加の鈴木監督から
秋元君と同じように春日部共栄高はどうかと言われていた。
ところが周囲の早実に確実に入れるという声に
親として万一の準備を怠り、早実の合否発表日以降、
急遽、大学進学、地元を考慮し、
武南の特進科を受験させた。
そして同じ境遇の槇谷君も誘った。
武南にとって、予想外の二人が入部したわけである。
親として、もっと事前に様々な高校を
調べてやるべきではなかったか…。
せめて、好きな外野でのびのびと自分の能力を
最大限発揮させてやりたかった。
大会の始まる前に、大学で野球はやるのか、と聞いてみた。
以前、早大の斉藤投手と対戦してみたいと言っていたからだ。
聖人は、夏の大会でどこかの大学に誘われたら
大学で野球をやるかも知れないと答えていた。
その野球に対する聖人の夢もこの一戦で潰えた。
この春に聞いた武南新井監督の、
池田君も違った野球の道を歩んでいたら、
展開も大きく違ったのでしょうね、
という言葉が思い出された。
しかしながら、猪俣、聖人で行くと言った新井監督は、
相手高が4人の投手をつぎ込んで必死に防戦したにもかかわらず、
最後までバッテリーを代えることはなかった。
それだけ信頼して使っていただいた監督に深く感謝した。
ちなみに、甲子園常連校の春日部共栄高も今回は初戦敗退した。
野球で全寮制に子供を進ませた秋元君のご両親のことを思うと、
自分のことのように心が痛む。
奇しくも9回裏の最後のバッターは聖人だった。
ショートゴロに、全力で走り、
一塁ベースに果敢にヘッドスライングする聖人を、
これが最後だなと真後ろからしっかり見届け瞼に焼き付けた。
小2の里緑が丘パワーズから11年間。
本当に楽しませてもらった。
単身赴任先への帰路につく前、
「11年間本当にありがとう。いろいろ楽しませてもらった。
これからが聖人の人生、好きな道を思い切り歩みなさい」
とメッセージを添えた封筒に三千円を入れて、
聖人の勉強机の上に置いてきた。
実は、オリンピックの射撃の名コーチの松尾さんから
プラス発想の体験の一つに、
自分の子供の受験時代に
1番を取ったら1万円お祝いということをして成果があったと伺い、
聖人にもおなじように約束していた。
学年1番なら1万、5番なら五千、10番なら三千円と。
大会前のテストで11番だった聖人が妻に、
おやじもお金ないから今回はお祝いないだろうなあ、
と言っていたらしい。
そこで、子供への感謝も込めて三千円奮発した次第である。
豊川に帰った翌日、妻に、
元気?とメールすると、
「気力が死んでる。
でも、聖人はいっぱい泣いてすっきりしてる。
勉強開始したよ」
人生、負けたときにこそ大きな成長の糧がある
聖人のこれからの人生に乾杯。






