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2007年 5/11早春の佐奈川…そして悠人へ遺す言葉(推敲後)その一

心のビタミンの読者の皆さんこんにちは。
いつも読んでいただきありがとうございます^^

さて、先日配信した「早春の佐奈川」を今回、再送します。
先回、取り急ぎ書いて送ったのですが、
文章があまりにお粗末なので、
今回、推敲したものを送らせていただきます。

また、メール配信ですので一度では長いと思いますので
2回に分けてお送りします。

私は、通常、推敲した文章に、写真を入れ完成したエッセーとして
パソコン内に蓄えております。

もし、これまでのエッセーで、
写真入りエッセーをご希望されるかたは、
メール添付という形でプレゼント致します。
なお、文章は「一太郎」ですのでご了承下さい。
(問い合わせフォームからご連絡ください)

では、これからも、皆様の「心のビタミン」になるようなエッセーの
創作に努めます。

明日は、半年ばかり計画を心に温めていた
東三河の山々の縦走撮影の第1回目にいよいよ行ってきます。
どのような文章として表れるかご期待下さい。

では、「早春の佐奈川」再送致します。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


早春の佐奈川
…そして悠人へ遺す言葉(その一)

2月17日、土曜日、雨上がりの陽気に誘われて、
佐奈川の散策に行く。

佐奈川は、東三河の名峰本宮山系を源に、
豊川市つまり穂の国の中央を北から南に走り、
さらに豊橋市を抜けて三河湾に注ぐ全長約15kmほどの、
よく整備された県の管理する、
いわゆる2級河川である。

今では旧海軍工廠跡地、現豊川自衛隊駐屯地付近の
両岸の桜並木と河川敷の菜の花の名所として有名である。

二月の中旬だというのに、佐奈川の河川敷にはもう菜の花が咲き始め、
水仙や名前も知らない小さな青い花、黄色い花、白い花、紫の花、タンポポなども
早春の訪れを告げ、ヒヨドリも気持ちよさそうに日向ぼっこしていて、
久し振りに我が手に戻ったインスタントデジカメで接写を楽しんだ。

以前ライアル・ワトソンの「シークレット・ライフ」を読んで、
物にも心があることを知った。
波動原理からも頭の中で理解していたが、
今回愛用していたデジカメの「紛失騒ぎ」で良く納得できた。


「紛失騒ぎ」というのはこうである。
私は、いつでも感動的な風景等を撮れるように、
バックにインスタントデジカメを入れて持ち運んでいる。

もっともそのカメラも妻用に買ったものだが、
妻がPCに取り込めない事をいいことに「永久貸借」しているが…。

ただし、妻には、写真コンテストの副賞でゲットした
フィルム用コンパクト型カメラを、とりあえずはプレゼントしている。

普段撮影に行くときは、
今ではもう生産していないフイルム用のEOS1vHSを使っている。

だが、フイルムの現像代に加え、
その場ですぐに確認できること、
撮影可能枚数の圧倒的な多さなどから
セカンドカメラとして一眼のデジカメが欲しいと思いだした。

同じEOS1vHSのデジカメタイプだと、
レンズを交換して使用できる。

ただし、本体だけで49万5千円もする。そこで、いきつけの豊川市内の
カメラのキタムラ店にフィルムの現像を出すついでに、
「中古品」コーナーをちょくちょく覗くようになった。

そんな折、いつの間にかあるはずのデジカメが、バックから消えていた!?

気が付いて職場、単身赴任先官舎、埼玉の自宅等を何回も探したが、
この半年ばかり出てこない。

可愛がっていた愛犬が、主人の心変わりを感じて去るのと同じか…!?
と思っていた。

しかし、4人の子供の成長に伴い増大する学費、
予算削減に伴い減少する給料などから、
経済的に新たなデジカメの購入は諦めて、
心からそのコンパクトデジカメの「復活」を待ち望んでいた。

そしたらこの正月明けに、妻から「押し入れから出てきたよ!」。


こういう次第で、
今回はそのコンパクトデジカメだけを持ち出して、
散策を兼ねて佐奈川に来たのだ。

官舎横の桜並木から2キロほど上流に歩くと二股に分かれる。

右は常に水が流れている帯川で、
左が普段は枯れ川の佐奈川である。

この典型的な二つの小川の合流点は、
小さな公園になっており、
ちょうど80才ぐらいのご老人が散策途中で体操をしていた。

「もう豊川市に移住して60年ぐらい」との事で、
佐奈川流域の変遷などを教えてもらった。


佐奈川流域も、
昭和14年に最大職員約6万人を擁した旧海軍工廠ができるまでは、
まばらな灌木の生い茂る荒野だったらしい。

海軍工廠を作ったとき、
今のような流れの原型が形成された。
戦後暫くはまだ自然が残り蛍も乱舞していたとのことだ。

やがて工廠跡地に戦後の日本復興を支えてきた工場群と豊川駐屯地等が入り、
新たに堤などもキチンと整備され、今の姿になった。

豊川市役所周辺の有名な桜トンネルは、
当時の工廠の海軍将校が植樹したものだが、
佐奈川の桜並木は、護岸を新たに整備したこの時に植樹したらしい。

老人によれば
「川を抜き変えた時に、佐奈川は雨の時にしか流れない枯れ川になった」
とのことである。

調べて見ると・・・

川床に砂礫部分が多く、
粘土層が深いところにあるため、
増水時以外は水が浸透してしまうらしい。

七輪の木炭の受け皿で、空気道を確保するため穴の開いた皿を
「さな」(ロストル:火格子)と言うが、
その原理に似ているところから佐奈川と呼ぶようになったとのことだ。

もっとも古来は、
雨前雨後の水量の違いから「野川」と言われていたらしい。

やがて、
昭和40年代頃から流域の都市化が進み、
生活汚水などで、
昭和53年にはBOD値(生物化学的酸素要求量)が60mg/Lという
汚れた川になってしまった。

しかしながら、昭和48年から佐奈川を含む豊川流域公共下水道工事が着手され、
昭和55年から供用開始されると、
それ以降は下水道の整備が進むにつれて河川水質が改善され、
平成15年には3.3mg/Lまで回復した。

平成12年度には、
下水道の整備により水質が回復した事例として「蘇る水100選」に認定され、
大臣表彰を受けている。

特に、平成13年5月にNPO法人として認証された
「佐奈川の会」の活躍により、
市民・学校・企業・各種団体・行政の一致協力した環境改善、
環境に関する意識の啓蒙啓発、
更には地域コミュニティーの一体感の醸成などが進み、
春には花見を楽しむ家族連れ等で賑わっている。

また、桜祭り、クリスマスの時期には、
豊川自衛隊曹友会がイルミネーションで装飾し、
夜景を楽しませてくれている。

よく見れば公園の一角に「蛍の復活」と書かれた花畑がある。
「佐奈川蛍の里の会」が、
蛍の復活を目指して、
蛍の餌のカワニナの放流や環境整備をしているのだ。

老人によれば、川を整備したときの「堰」と、
大きな鯉などにより蛍の再生は難しいとのこと。

ただ、今でも上流にいけば蛍が見えるらしい。
是非、流域での蛍の復活を信じたい。


老人からこのようなお話を伺った後、
数キロを可憐な花を再度撮りながら帰路につく。

陽が落ち、黄金色に暮れゆく佐奈川のほとりを一人静かに歩いていると、
昨夜見た強烈な夢が思い出された。

                      (その二につづく)





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