2007年 5/10 早春の佐奈川…そして悠人へ遺す言葉
2月17日、土曜日、雨上がりの陽気に誘われて佐奈川の散策に行く。
佐奈川は東三河の名峰本宮山系を源に
豊川市つまり穂の国の中央を南北に走り、
更に豊橋市を抜けて三河湾に注ぐ全長約15kmほどの
よく整備された県の管理するいわゆる2級河川である。
特に今では旧海軍工廠跡地、
現豊川自衛隊駐屯地付近の両岸の桜並木と
河川敷の菜の花の名所として有名である。
大寒の真っ最中だというのに佐奈川の河川敷には、
もう菜の花が咲き始め、水仙や名前も知らない小さな青い花、
黄色い花、白い花、紫の花、タンポポなどが早春の訪れを告げ、
ヒヨドリも気持ちよさそうに日向ぼっこしていて、
久し振りに我が手に戻ったインスタントデジカメで接写を楽しんだ。
以前ライアル・ワトソンの「シークレット・ライフ」を読んで、
物にも心があることを知った。
波動原理からも頭の中で理解していたが、
今回愛用していたデジカメの「紛失騒ぎ」で良く納得できた。
「紛失騒ぎ」というのはこうである。
私は、いつでも感動的な風景等を撮れるように
バックにインスタントデジカメを入れて持ち運んでいる。
(もっともそのカメラも妻用に買ったものだが、
妻がPCに取り込めない事をいいことに「永久貸借」しているが・・・。
但し、妻には、写真コンテストの副賞でゲットしたフィルム用
コンパクト型カメラをプレゼントしている)
普段、撮影に行くときは、
もう生産してないフイルム用のEOS1vHSを使っている。
だが、フイルムの現像代もさることながら、
その場での確認、圧倒的な撮影枚数の多さなどから
セカンドカメラとして一眼のデジカメが欲しいと思いだした。
もし同じEOS1vHSのデジカメタイプだと、レンズは交換して使用できる。
但し、本体だけで49万5千円もする。
そこでいきつけの豊川市内のカメラのキタムラ店にフィルムの現像を出すついでに
「中古品」コーナーをちょくちょく覗くようになった。
そんな折、いつの間にかあるはずのデジカメがバックから消えていた!?
気が付いて職場、単身赴任先官舎、埼玉の自宅等を何回も捜索したが
この半年ばかり出てこない。
可愛がっていた愛犬が主人の心変わりを感じて去るのと同じか…!と思っていた。
しかし、4人の子供の成長に伴い増大する学費、
予算削減に伴い減少する給料などから、
経済的に新たなデジカメの購入は諦めて
心からそのコンパクトデジカメの「出現」を待ち望んでいた。
そしたらこの正月明けに妻から「押し入れから出てきたよ!」。
こういう次第で今回はそのコンパクトデジカメだけを持ち出して
散策を兼ねて佐奈川に来たのだ。
官舎横の桜並木から2キロほど上流に歩くと二股に分かれる。
右は常に水が流れている帯川で、左が普段は枯れ川の佐奈川である
この典型的な二つの小川の交流点が小さな公園になっており、
ちょうど80才ぐらいのご老人が散策途中で体操をしていた。
もう豊川市に移住して60年ぐらいとの事で佐奈川流域の変遷などを教えてもらった。
佐奈川流域も昭和14年に最大職員約6万人を擁した旧海軍工廠ができるまでは、
まばらな灌木の生い茂る荒野だったらしい。
海軍工廠を作ったとき、今のような流れの原型が形成された。
戦後暫くはまだ自然が残り蛍も乱舞していたらしい。
やがて工廠跡地に戦後の日本復興を支えてきた工場群と豊川駐屯地等が入り、
新たに堤などもキチンと整備され今の姿になった。
豊川市役所周辺の有名な桜トンネルは当時の海軍工廠の将校が植樹したものだが、
佐奈川の桜並木は、戦後、この時の護岸工事で新たに整備した時に
植樹したとのことである。
老人によれば
「川を抜き変えた時に佐奈川は雨の時にしか流れない枯れ川になった」との事である。
調べて見ると・・・
川床に砂礫部分が多く、粘土層が深いところにあるため
増水時以外は水が浸透してしまうらしい。
空気道を確保する穴の開いた、七輪の木炭の受け皿を
「さな」(ロストル:火格子)と言うが、
その原理に似ているところから佐奈川と呼ぶようになったとのことだ。
もっとも古来は、雨前雨後の水量の違いから「野川」と言われていたらしい。
やがて、昭和40年代頃から流域の都市化が進み、生活汚水などで、
昭和53年にはBOD値(生物化学的酸素要求量)が
60mg/Lという汚れた川になってしまった。
しかしながら昭和48年から佐奈川を含む豊川流域公共下水道工事が着手され、
昭和55年から供用開始されると、
それ以降は下水道の整備が進むにつれて河川水質が改善され、
平成15年には3.3mg/Lまで回復した。
平成12年度には下水道の整備により水質が回復した事例として
「蘇る水100選」に認定され、大臣表彰を受けている。
特に平成13年5月にNPO法人として認証された「佐奈川の会」の活躍により、
市民・学校・企業・各種団体・行政の一致協力した環境改善、
環境に関する意識の啓蒙啓発、
更には地域コミュニティーの一体感の醸成などが進み、
春には花見を楽しむ家族連れ等で賑わっている。
桜祭り、クリスマスの時期には、豊川自衛隊曹友会がイルミネーションで装飾し、
夜景を楽しませてくれている。
よく見れば公園の一角に「蛍の復活」書かれた花畑がある。
「佐奈川蛍の里の会」が、蛍の復活を目指して、
蛍の餌のカワニナの放流や環境整備をしているのだ。
老人によれば、川を整備したときの「堰」と大きな鯉などにより
蛍の再生は難しいとのこと。
只、今でも上流にいけば蛍が見えるらしい。
是非、蛍の復活を信じたい。
老人からこのようなお話を伺った後、
数キロを可憐な花を再度撮りながら帰路につく。
陽が落ち黄金色に暮れゆく佐奈川のほとりを一人静かに歩いていると、
昨夜見た強烈な夢が思い出された。
その夢とは、死に際して三男悠人に父の最期の思いを言づけるシーンである。
寝る前に、悠人との親子大会の写真などを整理したのでこのような夢を見たのだろう。
場所は、郷里の一本松中学校の正門を入った中庭である。
夢の中で、死に場所としてなぜここが選ばれたのか
…まずそれを説明しなければならないだろう。
大人とは子供の心に大人の体を纏ったものと言われる。
自らそれがわかった夢でもあったからだ。
母校の中学校の上には町の鎮護の社、一本松大社がある。
中学の正門を入ると右手にこの神社を見上げながら
教室やグランドに入るようになっている。
実は、一学年下にこの神社の神主さんの娘さんである狩野五十鈴さんがいた。
スラッとした理知的で心優しい長い黒髪の美しい人だった。
中2の時に愛媛県南予地区の陸上新人戦に中学から男子4名、女子2名が選ばれ、
町から約50キロ北の宇和島市に、一泊で一緒に行った時から密かに思いを抱いた。
田舎の少年のいわゆる初恋である。
決して口に出すこともできず卒業したが、
彼女への思いは決して忘れることはなく、生涯二度手紙を出した。
一度目は、中学卒業後、横須賀の少年工科学校に入った時で、
望郷の念もあったことから「文通して欲しい」と初めて手紙を書いた。
が、返事はなかった。
二度目は防大4年の時。
1年生の時の寮の部屋長の出川さんの結婚式に出たときに、
出川さんと彼女とのなりそめのエピソードを聞いてからだ。
それは、中学校時代の同じ卓球部の彼女に密かに思いを抱き続けていて、
大学卒業後思い切って手紙を出し、
それがきっかけで結婚につながったという素敵な話だ。
私も刺激されて改めて手紙で彼女に思いを伝えた。
だが、無念、返事はなく、諦めた…。
その間、盆・正月の休暇の帰省の度に、
「運動してくる」と2kmの通学路を駈け足で中学校のグランドに行ったものだ。
ひょっとして逢えないかな・・と^^;
最後に彼女を見たのは、
17年前に他界した父を看取っていただいた地元の一本松病院で
元気に薬剤師として働いている姿を遠くから窓越しに眺めた時である。
その暫く後、彼女が男の子3人を残して自殺したと聞いた・・・・。
こういう体験、魂の遍歴が、夢の中で自分の最後の場所として
この中学校の中庭に選んだのである。
夢の事で今となっては一緒に誰といたか忘れたが、
この中庭を歩いているときに、
急に周辺の景色が黄金色に見え始め、
直観で自分の死を自覚した。
そして、最後に三男悠人にしっかり伝えなければならないと思い、
横たわりながら遺言を頼んだ。
妻と長男、次男はもう大人なので言わなくてもわかっている。
長女真菜はまだ子供で言ってもわからず、
その分逆に父が亡くなってもやがて忘れて元気に生きれる。
小六の悠人には、是非父の思いを伝えなくてはならないと、
とっさに頭に浮かんだのである。
「悠人へ。
お父さんは今から肉体上はいなくなるけど、
これは決してお父さんが死んでいなくなるわけじゃないよ。
人は肉体という船に乗っている旅人だよ。
旅の目的、つまり今生での目的を達成したら全ての人は船を下りて、
次の旅に進むんだよ。
ただ、船に乗ってる普通の人、悠人には見えなくなるだけだよ。
悠人も含めて全ての人が、肉体という物理的な制約の中で、
その制約を一生懸命克服しながら、
いろんなことを達成しようと努力することにより、
魂という乗船者、つまり心を成長させているんだよ。
お父さんの肉体という船はもう十分に役割を果たしてくれたので自然に帰して、
お父さんは船を下りるだけだよ。
単なる船である亡骸は分子に分解して自然に還って、
またいろんなものの材料になるだけだよ。
だから亡骸の前でいつまでも泣き哀しんでも無意味だよ。
そこにお父さんはいないよ。
悠人がお父さんの亡骸を見る頃には、
お父さんは今生の目的を達成したおおきな充実感と満足感の喜びに溢れて
次のステップを歩んでいるよ。
その満足感の大きな一つが
悠人がお父さんを父親として選んで生まれてきてくれて、
一緒に野球をやったこと。
そして、これから悠人が素晴らしい人間に成長するであろうと、
確信を持ちながら船を下りれた事だよ。
まだ悠人には見えないかもしれないけど、
今もお父さんは悠人の傍に同じ姿で立ってるよ。
心だけになったから思った瞬間に光のようになってどこへでもいけるんだ。
悠人が、心でお父さんを思い出す時には、悠人の心の中にいるよ。
だから哀しまなくていいよ。
もし、これからつらいことや寂しいことがあってお父さんに逢いたいときは、
心でお父さんを呼んでごらん。
思い出した時には、もうお父さんは悠人の心の中に来ていて、
思い出として悠人に話しかけているよ。
あるいは、ちょっとしたいたずら心で、
悠人の周りで風のように飛んで雲を動かしたり、
林の枝を揺すったり、
大きな波で悠人に知らせようとするかもしれないよ。
その時お父さんを思い出したらそこにお父さんがいるんだとわかってね。
悠人とこれからもいつも一緒だよ。
悠人の成長を応援しているよ。
そして、いつか、悠人が成長し、
悠人自身の人生の目的を達成して、
直接お父さんを見て話せる時になるのを楽しみに待ってるよ。
日々、明るく、楽しく、元気よく生きて欲しい。
好きな野球を一生懸命やりなさい。
お父さんも雲のように漂いながら楽しくいつも応援してるよ。」
そう言いながら、自分自身が亡き母を思った時は、
母が自分の心に来てくれていたんだと直観で理解した。
そして、看取ってくれた人に
「この言葉を悠人にお伝え下さい。ありがとう」
と言いながら肉体を離れ光の源に旅立った。
思えば、夢の中で自分の最期の地を一本松中学校の中庭を選んだのは、
心の中でいつまでも残る狩野五十鈴さんへの思慕である。
このようなリアルな夢を思い出しながら、
「大人は子供の心を纏った大人」という言葉を実感した。
様々な二度とない今生の体験を心に刻んで人は魂を成長させ、やがてこの世から旅立つ…。
悔い無き人生を送ろう。
こういう思いを浮かべさせてくれた
早春の佐奈川の可憐な名も知らぬ小さな花達に、
感謝を込めて写真をアルバムに出しました。ご笑覧下さい。
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