2007年 1/22 秋の鳳来寺山散策(改訂版)
新年明けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願いします。
さて、昨年暮れに出した「秋の鳳来寺山散策」に一部文章を加え
今回改訂版として再発行します。
鳳来寺山といえば仏法僧(このはずくの1種)の生息地として有名ですが、
書いていませんでした。
今ではなかなか「ブッポーソー」という鳴き声を聞くことは出来ません。
何故、聞こえなくなったのか・・・これをエッセーの中で明らかに
しました。
又、MSN社のホストコンピュータのトラブルで、写真HP「北海道の四季」の
個々の写真が見れなくなっています。
会社の担当によると今原因解明に鋭意努力しているとの事です。
新春の富士のレンズ雲などを出したいのですが、なおるまで待とうと思います。
皆様も今暫くお待ち下さい。
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秋の鳳来寺山散策(改訂版)
11月25日、紅葉まつりの行われている鳳来寺山の撮影に行く。
鳳来寺山には、この春、8合目付近の駐車場まで一気に車で案内して貰っていた。
駐車場からは屏風のような崖をくりぬき舗装された小道を200mほど真横に歩いて
鳳来寺まで楽に行けた。
その上にある奥の院などには行ってない。
しかし、鳳来寺表参道から1425段をキチンと登った同僚に
「途中の石段沿いにこそ古の風情がある」と言われていたので、
今回は自力!?でJR飯田線、路線バスを使って表参道から鳳来寺を経て
頂上まで登る意志を固めていた。
ちなみに観光パンフレットには、表参道~鳳来寺山まで車で5km15分、
石段徒歩60分と書かれている。
11月1日から30日まで鳳来寺山一帯で紅葉祭りが行われおり、
特に遅れていた紅葉の見盛りの連休と言うこともあり、
鳳来寺山登山の下車駅となるJR飯田線「本長篠駅」からは
電車の時刻表に連結したバスが運行されているものと勝ってに思いこんでいた。
朝、おにぎり等自分で弁当をこしらえていたので出発がやや遅くなり、
10時頃ママチャリで豊川駅に行き飯田行きの電車に乗る。
電車の中には、同じように鳳来寺山の紅葉狩りに行く中高年や
若いカップル等のグループがいた。
昼過ぎぐらいに本長篠駅に着いて、約15人ほど一緒にぞろぞろ下り、
駅員一人で売店もない小さな駅庁舎の中でバス時刻等を確認するうちに
皆「唖然」とする。
電車に連接するどころか2時間に一本しかなく、
もしバスを待っていたらその日のうちに散策して家に帰ることなどできなくなる。
結局皆で割り勘でタクシーに乗り合わせる事にしたがそのタクシーも1台しかなく、
用足しに行ってた私は最後の三往復目に、
老後二人で小旅行を楽しまれているという岐阜からのご夫婦と一緒に
参道入り口まで乗り合わせる。
駅から参道入り口までは5kmなので時間さえあれば歩けない距離ではない。
果敢に歩く若いカップル等もいた。
しかし、頂上散策まで考慮すると時間的にも体力的にも!?麓まではタクシーを
使わざるを得ない。ただ、こういう交通事情をあらかじめ承知していたら
朝もっと早く出ていたのだが…。
何事も事前情報の入手が大切だと反省。
前のグループは頂上駐車場まで行こうとしたらしくタクシーの帰りが遅い。
運転手によると「山道の一本道なので自家用車で混んで2時間はかかるので、
途中から下りて歩いてもらい引き返してきた」とのこと。
麓から眺めるとわかるが鳳来寺山は標高こそ695mしかないが、
岩山で屏風のように切り立っているところもある。
豊川、つまり中央構造帯の断層が渓谷を形成し、山となっているのだ。
もともと二つの島がぶつかって列島本島が形成された
その接触面がこの中央構造帯という新たな異説もある。
山は綺麗に植林等で森林となっているので歩いていてそんなに急峻さを感じさせないが、
もし禿げ山だったら、足がすくんで歩けないような崖が足下に広がっているはずだ。
そのような急峻な山の上に1300年も前にお寺が建立され、
参道は1425段の石段とならざるを得なかった。
そんな修行信仰の岩山に車で一気に上れるように
観光道路「パークウェイ」が造られた。
もともとは有料道路だったが、今は一般道となった。
但し、一本道の最後の駐車場は500円の有料。
この為、一台ごと開いたら入る規制となる。
結果として有料道路時代とお金も車の動きも変わらない。
かのタクシー運転手が「もういい加減無料開放すれば車の流れもよくなるのに」。
『列車と路線バスの連接が一切無いのは、この有料駐車場利用促進のためかなあ?』
という思いが浮かんだが考え過ぎか…^^;
もともと鳳来寺山は、「仏法僧」の生息する霊山として有名であった。
仏法僧とは、コノハズクの一種で5月から7月にかけて「ブッポーソー」と鳴き、
仏教の三宝に似ていることから名付けられ崇められ、
愛知県の鳥にも指定されている。
夜にもなると地元の子供が怖がるほど鳴いていたそうだが、
パークウェイができるとともにどこかに去り今では殆ど聞こえない。
目先のエゴ的商業主義で肝心の自然観光資源を消滅させた典型
ともいえるかも知れない。
いずれにせよ親切な運転手さんに狭くなる麓の集落の細い道を
なるべく入り口近くまで連れていってもらい、
麓だけの散策に切り替えた岐阜のご夫婦と別れていよいよ石段を登り始める。
昔、鳳来寺山に高さが100m以上の桐の大木があったことから、
この山を桐生山と呼んでいた。
この桐には鳳凰が住み、枝跡には竜が住んでいたといわれる。
鳳来寺開祖の利修仙人は、570年(飛鳥時代)山城国に生まれた
役(えん)の行者と言われている。
長じた後、千寿峰(山頂付近)に移り住み、
桐生山山中にあった霊木7本杉の1本を切って、
峯薬師如来を彫ったと言われる。
その後655年頃、百済の国に渡って仙術や仏教を学び鳳凰に乗って帰国し、
鳳来寺山中に住み、三匹の鬼神を自由自在に使っていた。
698年、文武天皇が重い病気になられた時、鳳凰に乗って都に行き、
祈祷によって天皇のご病気を治された。
天皇は大変喜ばれ、お礼に寺を建てることを約束され、
大宝3(703)年、この桐生山に寺を建て、鳳来寺と命名し、
仙人の労に報いられた。
豊川の下流の穂の国(現豊川市)に国分寺と国分尼寺を建立し、
中国経由とは違う当時世界最強最大のペルシャなどの文明にも繋がる新羅仏教を
礎とした大和朝廷が確固たる基盤を築いた頃である。
その後、聖武天皇が病気になられた時、
お后の光明皇后が鳳来寺の薬師如来に祈願されたところ、
まもなく全快されたので、お喜びになり「鳳来寺」とお書きになり、
寺へ贈られた。
現在、仁王門に掲げてある額の字がそれである。
878年(平安時代)利修仙人、309歳で入寂。
この時、仙人に従っていた三匹の鬼神を諭し、
その首を撥ね本堂下に封じ込め鳳来寺を守護させたと言われ、
この三匹の鬼神の霊を慰めるために鳳来寺田楽が始まったと伝えられている。
このように鳳来寺は、利修仙人によって開かれた真言宗の古刹である。
鎌倉時代に源頼朝によって再興され、利修仙人作の本尊薬師如来を祀り、
薬師信仰と山岳修験僧の霊山として古くから信仰を集めてきた。
江戸時代になってからは、松平広忠と夫人於大の方が鳳来寺の峯薬師如来に
子授けを祈願し、家康を授かったという徳川家康誕生の縁起によって、
幕府の厚い保護を受け、三代将軍家光の時代には21院坊、寺領1,350石という
盛大さを誇った。
この鳳来寺に行くまでの1425段の急な石段の途中には、
1651年に東照宮と同時に建立された仁王門や、
樹齢800年と言われ、幹の周囲7.5m、枝下の高さ30m、
樹高60mの現存する杉では日本一高い杉である傘杉などがある。
又、石段には苔がむし、古びた灯籠や石像、かっての宿坊跡などが
静寂な林の中で往時の物語を時を超えて語ってくれる。
観光客の多くは、車を使ってパークウェイから行くので
参道を登る人がまだらなのもいいのかも知れない。
そのせいか、或いは時代の進化なのだろうか石段ですれ違う人、
一緒に登る人達がお互いに知人のように自然に声をかけたり励ましたりするのがいい。
かって5年前このメルマガをはじめて書いた北海道雨竜沼湿原登山の時は、
このように始めから心の壁無く話す人は1割ほどであった。
鳳来寺に登ったところの休憩所で、持参のおにぎり弁当を半分食べる。
紅葉を見透かして遠く陽光に輝く三河湾も眺めながらの自家製弁当は格別美味しい。
ちなみに剥いた柿のデザート付きである^^。
コンクリート製に建て替えられた現在の鳳来寺の裏のやや高台には、
昔ながらの様式の廃寺がまだ残っている。
写真の被写体としてはこちらがお薦めである。
人も木も寺もこの世に存在するありとあらゆる物的なものには寿命がある。
しかし、「意識」或いは「形成の場」が明確に存在する限り
それぞれの種としての命は未来永劫つながれていく。
鳳来寺からは、右回りに奥の院、山頂、天狗山展望台
そして鷹打揚展望台の尾根伝いのハイキングコースを回る。
陽がかなり西に傾き太陽光線が乱反射となるので被写体の色が繊細になる。
緑の針葉樹の中にポツンポツンとまばらに存在する朱色の鮮やかなもみじなどを
1時間ほどかけて撮りながら、東照宮の裏手に降りてくる。
慶安元年(1648)4月、三代将軍徳川家光は日光東照宮参詣のおり、
「日光東照宮御縁起」を見て、家康の父・広忠が夫人於大の方とともに
鳳来寺の本尊峯薬師如来に祈願して家康が生まれたことにあらためて感銘し、
祖父報恩のため、鳳来寺に東照宮の建設を命じ、
4代将軍家綱が慶安4年(1651)9月に完成させた。
全国には多くの東照宮があるが、鳳来山東照宮は、日光、久能山とともに
三東照宮と称されている。
鳳来寺に帰ったところであらためてかって僧院が建っていただろう見事な石垣と
紅葉とのコントラストを楽しみながら撮影する。
当然ではあるが、パークウェイを使って車で観光的に来ている人たちとの会話は
一切ない。
残りの弁当を全て平らげ荷を軽くしながら、
『ともに1425段の階段を登る苦しみの体験の中から心の邂逅が生まれる』と認識し、
家康公遺訓を思い出した。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、不自由を常と覚えば不足なし、
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、
勝つことばかりを知りて、まくることを知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。
慶長8年1月15日家康
鳳来寺からの帰りに、日没までまだ間に合うと判断し、
右手の馬の背岩展望台に行く。
鳳来寺を谷を隔てて撮影できる。
案内図ではそのまま石段を使わずに馬の背から参道入り口の方に
降りれるようになっているので迷うことなく下りる。
ところが途中で獣道もなくなっている。
帰宅後、他の人のプログを見れば
「石段を使わずに登れる馬の背は、下りるときは道がわからなくなり迷う」と
書かれていた…。
『このまま山の中を勘で降りるか(地図も持ってないのでまさしく山勘だ^^;)…』
『引き返して石段を降りるか・・・』
徐々に暗くなる。
まっすぐ降りた方が楽ではあるが、
山の生い立ちから崖の多い鳳来寺山の特性を考え、
少しまた登ることになるが石段の上まで引き返す。
驚いたことにまだ石段を登ってくる人がいる。
「あとどのくらいですか??」
登ったときにした質問を今度は受ける立場だ。
「いや、もう3分の2は来てますからもう少しですよ。頑張って下さい!!」
黙ってすれ違う人など誰もいない。
土地柄か時代の進化か、
僅か5年で山道を地道に歩く人たちの心は大きく成長している。
ある情報によれば、この地球は、1987から2012年まで
厖大な宇宙エネルギーが注がれて宇宙的な大変革・意識進化の時代に
突入しいると言われている。
そのエネルギーを人間本来の目的である体験を通じて心を成長させるか、
我欲のみの追求で貴重な成長の機会を失うか、
個人だけでなく、種としての人間集団が問われている。
鳳来山周辺の山々を歩いていると利修仙人の石像を置いた小さな祠等によく出会う。
現代人はその祠の存在さえ忘れているが、
1300年の時を超え利修仙人の「思い」は脈々と我々を導いてくれている。
石段を降りきった所で、入り口を「出口」として、
明かり的には最後のワンチャンスで撮影。
願わくば2012年に
人類が新たに進んだ文明の入り口に到達している事を祈りつつ…
利修仙人に感謝して秋の鳳来寺山の撮影を終了する。
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メルマガ:心のビタミン(エッセー)http://www.emaga.com/info/heart21.html
北海道の四季(写真) http://groups.msn.com/jjt8khvnlvgq2ipf5spd2vq9r4
北海道の四季(写真)パート2 http://groups.msn.com/hearthul2006
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