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2006年 8/10 北富士演習場夏の花…その1

次男の高校野球埼玉県予選の始まった7月15日から18日までの間、
北富士演習場に師団主宰の野営訓練にいく。

今回は、連隊創隊3年目にして初めて師団の一員として
即応予備自衛官175名も参加、
連隊として敵後方地域へのへりボーン攻撃を実施した。

7月15日土曜日、本部要員は先行して北富士演習場に入り、前方集結地の準備。

一方、前日のうちに各中隊の常備自衛官は、
北陸・関西・東海にまたがる7カ所の駐屯地に、即応予備自衛官の受け入れに前進。

普段は社会人として働く即応予備自衛官が、
それぞれ自分で決めている出頭駐屯地に訓練招集で集まる。

通常ならそれぞれの駐屯地で年の練成計画に基づき訓練を行うのであるが、
今回は師団の富士野営に参加するため、
全員この日のうちに豊川駐屯地に集結して一泊、行動準備を行う。

即応予備自衛官は年間30日出頭して訓練を受ける事が義務づけられている。
経済情勢の厳しい中で仕事を30日空ける事になるので、
年度の始まる前に職場と調整しながら出頭訓練予定日を計画し、
有給休暇を利用して訓練に参加している。

即応予備自衛官と常備自衛官が、編成表に基づき一体化して豊川駐屯地において、
後方地域における集結地での戦闘準備を始めた頃の午後遅く、
懐かしい北富士演習場に入る。

北富士演習場は、富士山の北側山麓に広がる大草原地帯であるが、
実際は大量の溶岩の上に頭皮のようにススキが覆っているに過ぎない。

所々溶岩が剥き出しになっていて歩くのにも気をつけなければならない。
その溶岩を避けつつ大草原の中を車で進み、
まばらに生える柏の木の下でテントを設営、野営に入る。

あいにく、小雨がぱらつくが、かえって自然が活き活きとしている。
特にススキ野の中の黄色いユースゲが鮮やかだ。

テントの周りをよく見ると、野花菖蒲、コバキボウシ、野桔梗などが、
まるで緑の絨毯の花模様のように咲いている。

『あれ!?北富士ってこんなに花が咲いていたかな!??』

実は、この北富士演習場は生涯忘れられない思い出の地なのである。

現在、北富士演習場には、富士訓練センターが置かれ陸上自衛隊の
訓練のメッカとなっている。
イラクに派遣された隊員もここで実戦的な訓練を受けて
自信を持って現地に赴き任務を無事完遂した。

今から10年前、平成8年夏、富士訓練センターの準備室長として着任した。
当時はスタッフ12名のみ。無からのスタート。

開発期限は3年と決められた厳しい条件の中でとにもかくも完成できたのは、
12名のスタッフの獅子奮迅の活躍のお陰である。

私自身も3年間北富士演習場を駆けめぐりススキ野は見えていたが、
花の存在など一切認識していなかった。

昨年創隊5周年記念日によばれ久し振りに
その12名の一人である松本1尉に会った。
その「思い」をエッセーで書いていたので紹介したい。

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【自衛隊版プロジェクトX】
  …改革の灯りを守り続けた男の物語

先日、富士訓練センターの創隊5周年記念に行ってきた。
準備室長以来初めて訪れ、完成した姿に初めて接し、感慨深いものがあり、
求めに応じて誕生のエピソードの一部を現役センター員に披露した。

その会食場で、苦楽を共にした12名の開拓者の一人である松本1尉に再会、
思わず握手。当時のまま傷つきグローブのようになった手の感触に接し、
奥様に「済まない」と思いつつ心から「ありがとう」と改めて感謝した。

立ち上げ当初、2年間の運用(開発)計画の決裁を受けに校長室に入った。
「センター準備室長が入ります」という副官の取り次ぎに、
中から「富士訓練センター?あんなもの富士学校にはいらないんだよ!!」
という大声を浴びながら「入ります!!!」と気迫で入り、決裁だけは頂いた。

その日から終礼を12名の円陣の形にした。
「今、陸上自衛隊が実戦で戦える、
つまり隊員が死なないで任務遂行しうる組織に改革する最後の手段に、
小さなロウソクの灯火が点った。
しかし厳しい嵐が吹いている。全員が楯となり、この一つの希望の灯りを、
皆の熱い心の火で、大きく全自衛隊に拡げていこう!」

松本1尉は、2年間風雪の中、システムの生命線である、
延べ数十キロに及ぶ光ファイバーの構成・撤収・維持管理を一手に引き受けた。

暫くして彼の手に異変があることに気が付き「霜焼け」かと思った。
実は、光ファイバーには、狐などの食害防止のために
強力な薬が塗られていることが後で解った。

解っても光ファイバーが通じない限りセンターは立ち上げれない。

彼の熱き思いは強く、雨の日も風の日も雪の日も、
炎天下も寒風荒ぶ時も黙々と電柱に或いは木立に登って任務を遂行した。

北富士の廠舎の中で、名古屋の家族から送られてきたパソコンで、
娘さんの結婚式の写真ファイルを見ることを唯一の楽しみにしながら…。

今あるセンターは、彼のような熱き思いの陰の功労者の賜であることを
忘れないで欲しい。

そして、単身赴任の彼を支えた奥様と娘さんにも重ねて感謝したい。


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