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2006年 6/17 春の北陸紀行…その3

金沢では、豊川に帰る前に有名な兼六園に寄って来た。

兼六園は、江戸時代の代表的な林泉廻遊式大庭園であり、
もともと金沢城の外郭として城に属した庭であった。

加賀藩5代藩主・前田綱紀が1676年、この地にあった作事所を城内に移し、
蓮池御亭を建て、その周辺を作庭、これが本園の始まりで、当時、蓮池庭などと呼ばれていた。

1822年には12代藩主・斉広が豪壮な隠居所の竹沢御殿を完成させ、
奥州白川藩主・白川楽翁に庭園の命名を依頼した。

楽翁は、中国宋の時代の詩人・李格非の書いた洛陽名園記の文中から
宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備するという意味で「兼六園」と命名した。

廃藩後、1874年(明治7年)5月7日、兼六園は一般開放され、
1922年(大正11年)3月8日に「史跡名勝天然記念物保存法」の規定により
「名勝」の指定を受ける。

1950年(昭和25年)現「文化保護法」により、改めて「名勝」の指定を受け、
更に1985年(昭和60年)3月20日「特別名勝」となり現在に至っている。

新緑の鮮やかな庭園に入ると、
相変わらず元気なおばさんグループが多いなと思っていたら、
なんと中国からの団体客が殆どであった。

案内版も英語、韓国語の下に二通りの中国語で書かれている。
北京語と福建省あたりの言葉なんだろうなあと勝手に想像する。

帰路は、普段使う高速道路を一気に帰ってくる。
時間短縮の便利さと引き替えに人間的な感動も味わえなくなったなあとつくづく思う。

今回、三つの特徴的な町を行ったわけだが、高山市の印象が一番強く残った。

それは単に一過性の旅人として鑑賞するのではなく、
「もし、これから生涯住んでみたら」という生活、すなわち人生という物差で
測った場合の感銘度の違いである。

その尺度から言えば、白川郷は、
これからもずっと今の集落のまま如何に残るかがポイントで新たに住みたくとも住めず、
名画を見る感動と同じである。

兼六園は、代表的な観光名所であり、お茶する感覚で四季を味わいに訪れる場所である。

その点、高山は、日本的な情緒を体感しながらともに生きる町である。
実は、高山市では、古い町並みを残すために、
コンビニ、量販店などを一切禁止したのである。

便利、経済性を追求すれば、コンビニや量販店は当たり前と思われている。
ところが、この便利さとともに日本本来の美しい心も失われて来たことも事実である。

例えば、今住んでる豊川市には、官舎の隣にワーナー映画館もある巨大なサティがある。
生活日用品全てが買え、他の店に一切行く必要が無いのでまさに便利な町と当初は思っていた。

しかし考えてみれば、このサティのお陰で、豊川市の地元の商店が消えたか、
或いは育たなかったに違いない。

町に商店の女将さんなどとわいわい言いなが
日々の生鮮食品などを買う場というものがなければ、
単に経済の場だけでなく、
活き活きとした生活の場、
心の交流の場もなくなると言うことで、
すなわち町の心、日本人の心の場が亡くなるのではないだろうか。

共同組合長をしていた父が、
生前よく、「地域の人全員が儲かる農業をしないと町は栄えない」
と言っていた。

商いも一軒一軒が儲かることが経済上大切で、
そのための町でないと、やがて日本的な心の町は消えるだろう。

人間にとって本当に大事な町作りは何かを改めて教えてくれた高山であった。

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