2006年 3/17 穂の国豊川古代時空を超えた旅(その5)
翌19日は、昨日とは逆に姫街道の南側の散策、撮影に行く。
メインは、佐奈川を河口からさかのぼって帰って来ること、
つまり佐奈川の完全制覇!?である。
まず、姫街道を西進して一気に御油の松並木までママチャリを走らせる。
東海道の松並木は、
1604年に家康の命を受けた奉行の大久保長安が整備したものであるが、
現在では、この御油の600mにわたる約300本の松の大木のみが
唯一当時の面影を残している。
国の天然記念物に指定されたのがなんと戦争末期の昭和19年である。
当時、石油の枯渇した日本では松の樹液から油を採取するようになり、
多くの松並木が失われて行った。
しかし、地元の方々の「これだけは子孫に残しておかなければならない」
という強い思いが、国の指定となり、後世に誇れる記念物となった。
昨日の国分尼寺跡の発掘・ボランティアによる説明なども含み、
穂の国の方々の歴史・文化に対する高い「思い」「風土」を強く感じた。
御油の松並木には入り口に「資料館」もあり、
東海道53次の35番の宿場町「御油宿」の格子をはめた旧家などもある。
有名な「大社神社」「東林寺」等は、次回の課題に残して来る。
御油の松並木からは、音羽川沿いに三河湾を目指す。
音羽川は、宝飯郡音羽町から豊川市の西部、宝飯郡御津町を貫き、
三河湾へ注ぐ二級河川である。放流された錦鯉が水面を彩っていた。
途中、東海道線の手前を右に折れ、御津山に登る。
御津山は海抜94mの独立峰である。
頂上は大東亜戦争時代の高射砲陣地跡であり、
今は子供達の遊具が置かれているが、その一隅に展望台が作られており、
ここからは360度のパノラマが味わえる。
風の寒い日であったが、
京都のお坊さんを地元の方が案内している場面に丁度出くわした。
挨拶して展望台の台上に地図を拡げると、地元の方が一緒に親切に説明して下さった。
生憎曇って見えなかったが、晴れた日には、
三河湾とその中に浮かぶ大島、小島、竹島、日間ヶ島がくっきりみえ、
渥美半島や知多半島などが湾を抱えるように霞むように見えるとのこと。
反対側には、豊橋・豊川平野とこれを囲む本宮山などの山々。
更に富士山も遠望できるとのこと。
頂上には桜も多く、是非、満開の頃の夕陽を撮りに来ようと決意して下山する。
尚、駐車場から車道と反対側に回れば「四季の路」として
自然散策路が頂上まで整備されている。
小さな山ながら希少価値となった四季折々の自然を楽しめる。
麓には、625年に高句麗王の命によって
高句麗僧慧灌が渡来して伝えた三論宗のお寺「浄光院」がそもそもの始まりで、
後に徳川家と深い繋がりができ「大恩寺」と改名された古刹がある。
立派な重層門の山門があり、咲き始めた梅を前に置く構図が絵になった。
大恩寺を後にして、御津町の路地を三河湾まで出て、海岸線を4km程南下、
佐奈川河口に到着。
いよいよ佐奈川の土手沿いに進む。
砂利道が続き、屋敷林沿いなどには道さえないところもあったが、
そこは頑丈なママチャリの威力、難なく乗り切ることができた。
東海道新幹線や東海道線を潜るところでは、菜の花もすでに咲き始めており、
菜の花を手前に置いた構図で電車を撮れば結構いい感じになる。
又、佐奈川の中流付近は、昔からの田園風景がそのまま残っており、
小川の中には、鷺、鵜などの水鳥も多く、
かっての穂の国の静けさを感じるとともに、
郷里一本松町広見の田圃で父母と一緒に農作業をしていた幼い頃を思い出した。
そして当時の大和政権と民との心温まるエピソードを思い出した。
当時の税はお米で払われていたが、
豊作のある年、税であるお米を取りすぎたと思った王朝は余分なお米を民に返した。
喜んだ民は、「君が代」の合唱で祝った。
「君が代」は聖徳天子が自ら執筆、編纂した膨大な文献の中に既に収められている。
メロディはもともと呉、現在の福建省あたりのものらしい。
福建省では、かって若者が、
日本の国歌のメロディとは知らずに様々な歌詞で歌うのが流行した。
流石にまずいと思ってこれは禁止された。
それほど太古の時代から根付いた歌なのである。
明治維新後、
後の津田塾女子大創始者津田梅子等7人の大和撫子が欧米研修に派遣された。
歓待を受けたお礼に米国大統領のレセプションの席で全員が和服に盛装し、
君が代を歌った。
大統領以下全員が大感動して、「我が国にも国歌を」と言うことで、
それまで軍で歌われていた「星条旗」が国歌として制定された。
穂の国の太古のロマンを書き終えた頃、妻からメールが入った。
「悠人、今日の試合でホームラン!勝ったよ!」
三男・小5の悠人が主将になって初めての公式戦が始まった。
5才上の二男聖人の同じ時に比べ10センチほど小さい。
運動能力も聖人の方が群を抜いていた。
しかし小さいときから「兄が取ってない賞を取りたい!」と言ってた。
それは「首位打者」である。
先の単身赴任終了後、一緒に住みだした小3の春から2年9ヶ月、
毎晩トレーニングする事を約束して、
ゴムシャドー、バトミントンシャトルのバッティング等をやり続けた。
ロッテの渡辺投手の下手投げのように、
運動能力はなくとも頭で考えて努力する事により
後天的に才能が付く事を親子で証明したかった。
悠人に携帯で「やったね!」と聞くと、
「2打数2安打1死球、同点ホームランと逆転三塁打だよ」
「次も頑張れよ!」
「トレーニングしてる?」
「してるよ!!」
3年後、悠人がオール草加ボーイズの主力選手として全国大会に出場、
オール豊川ボーイズと再び対戦する事をたのしみに待っていよう。
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