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2006年 3/15 穂の国豊川古代時空を超えた旅(その3)

【第三の波】
7世紀後半には、唐軍による百済と高句麗の滅亡に際して、
百済人と高句麗人が亡命。

両国の支配者層・学者・僧侶・医者、ありとあらゆる分野の専門家・技術者など
「今来(イマキ)」と呼ばれた知識階級の集団亡命であった。
これにより言語に百済語、高句麗語の影響が強く出るようになる。

特に、高句麗が滅亡した8世紀初頭には、
高句麗から亡命した貴族や政府要員と家族ら約1800人が
武蔵国に移され高麗郡が置かれている。

2年前に撮影に行った秩父高麗の巾着田は
この時やって来た1800人が伝えたものなのである。

百済が滅び、天智(天皇)朝になると、
百済の高官が倭国の大臣として就任するが、
彼らが通訳を必要としなかった理由が、
倭国の支配層が半島の言語を用いていたからである。

更に壬申の乱(672年)の直前に大海人の援軍として、
多くの高句麗の軍人達が移住している。

日本が単一民族国家でない事が解ったと思う。

英語に見られるように、複数の言語が混合すると発音や文法が単純化する。
古代の列島では、ポリネシア系の基礎言語の上に、
伽耶諸語、高句麗語、百済語、新羅語、アイヌ語などが重なって混合し、
発音と文法の単純化、音声変化などの変遷によって平安時代の大和言葉になった。

日本語が、文法や文章構造の面では、アルタイ語(膠着語)の形態を保ちつつも、
発音はポリネシア語の特徴である開音節(母音で終わる音節)になっているのは
この経緯による。

弥生時代の先住民と渡来民の比率は1:9であり、
ポリネシア系人・縄文人など列島の先住民は、数的に十分の一であり、
言語も政治的に優位な者の言語が特定社会を圧倒するようになる。

今や世界語として不動の地位を占めている英語も、
本来は大小500のイギリス諸島の一つの大ブリテン島の南東部に、
今日の北ドイツやオランダから侵入したアングル族やサクソン族と呼ばれる
少数のゲルマン系の人々の言葉であった。

ちなみに日本語は漢字によって表記されるようになった。
だから言葉の意味をたどる場合は本来の原語を調べる必要がある。

例えば陸奥はシュメールに繋がる中央騎馬民族のmutを漢字表現したもので、
「大陸」を意味する。
広大な日本海を渡って初めて見た東北の陸地は
まさに彼らにとって大陸と見えたに違いない。


③統治者と住民の民族的違い

古代では、王や貴族など支配層が異民族どころか、
外見の全く異なる異種人であることも頻繁であった。

米大陸を征服したスペイン人は、現地人の比率からして驚くほど少数であり、
その後も英国やオランダ人などが現地語の言葉など全く知らずに、
ごく少数の軍人と行政 官だけで、数百年にわたり植民地の数千万人を支配した。

古代の新羅・伽耶・高句麗の建国者もシュメールに繋がる西アジア人であり、
新羅 王族の朴氏・昔氏・金氏も西アジア人であった。

漢の高祖は青龍から生まれたという伝説があり、
高句麗の蓋蘇文(即ち日本の大海人=天武天皇)も、
自ら龍から生まれたと称しており、異民族の出身者で西アジアに縁がある事を示す。

つまり、大海人こと蓋蘇文、後の天武天皇は、高句麗の将軍ながら、
西アジアへの傾倒が強く、莫離子として西アジアの王を自称した。
実際、蓋蘇文は西アジアに人脈があり、
唐に対する戦争や「壬申の乱」にも最大限この人脈を利用した。

当時、ペルシャは、由緒ある文化を誇る先進国であり、
天武天皇も聖徳太子同様、ペルシャ的な「万世一系」「太陽神」の
中央集権国家の建国を急いだ。


④歴史書は、当時の政権等が自己の正当化のために公刊

歴史書は、編纂を命ずる為政者の正当化のために作られる事が多い。
「古事記」「日本書紀」等も、
当時の大和王朝の理論的バッーンとするための
いわばイデオロギー書である。

特に大和政権の天武天皇までの万世一系を「正史」として国造りのために書かれた。

このため編纂者が記録として残したくとも、
政治的な配慮であからさまに書けない事実は隠蔽され、
つじつまを合わせるために前後の事実までもねつ造する事があった。

又、奈良時代や平安時代にかけて改竄された。

「聖徳」太子という名称もはるか後の平安時代に勝手に付けた名前である。
厩戸皇子あるいは上宮太子と呼ばれ、
没後100年後に編纂された「日本書紀」にも聖徳太子の名前はない。

ちなみに太子の誕生と死のエピソードは、
西アジアの死と復活にまつわる行事と密接に関連し、
太子伝説はキリスト教をはじめとする西方文化に繋がる。

その反面、神話・民話等には、
事後の政権の干渉を受けないまま過去の事実を寓話的に末代まで伝える役割がある。

例えば、「やまたのおろち」は、八つの頭と八つの尾を持つ怪物を
タケルノミコトが退治する日本人の誰もが知っている代表的な神話である。
誰もそのような怪物が実在するとは思わない。

ところがこれは史実なのである。
当時の支配者は強い名前を自ら名乗っていた。
「やまたのおろち」とは、伽耶人で
列島に渡来した製鉄業のボスが自ら名乗っていた名前である。

製鉄業は川の上流で行われる。
だから下流域の農耕集落にとっては、その公害に悩まされる事が多い。
出雲の国の上流に住み着いた伽耶人のやまたのおろちは、
製鉄業で地方の強力なボスとなり、
その傲慢な性格で下流の農耕部落民の苦情も全く意に介するどころか、
その地方随一の美女「くしなだひめ」を強引に嫁として奪ってしまった。

そこで、農耕集落の若武者「タケルノミコト」が、結婚式の日に単独侵入し、
やまたのおろちを一撃で倒すとともに
くしなだ姫を救出してきた。

これがヤマトタケルが出雲の国の王になるきっかけになるのである。





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