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2005年 2/1 冬の石垣島

1月24・25日、沖縄~石垣出張を利用し、石垣島そして竹富島の撮影を行う。

石垣島は、那覇から南西へ約430kmの海洋に浮かぶ、亜熱帯の自然と人口約4万人の都市機能がマッチした美しい島である。

周囲は約160km。沖縄本島、西表島についで3番目に大きな島で八重山諸島の主島である。

23日朝、埼玉の家を出る頃にはチラホラ白い雪が降っており、しっかりダウンのコートを着ていた。羽田から那覇そして石垣島に南下する度にコートそして上着を脱いでいき、最後は長袖のポロシャツの袖をまくって回ったが、短パン・Tシャツで丁度いい気候であった。

真冬の石垣島は、平均気温18.5度。25日には最高温度23度まで達し、ヒマワリ・コスモス・ハイビスカス等様々な花が一斉に咲き始めていた。

かって10年程前石垣島には仕事で一度訪れていた。しかし当時は写真に全く興味がなくて、一枚の写真も撮っていなかった。

せっかく様々な離島も回ったのに、今から思えばなんともったいない事をしたと思う。その反省!?も込めて今回はレンタカーを借りて、夜明け前から日没まで最大限時間を活用して回った。

那覇から石垣空港までは、JAL系列のTOL(トランスオーシャン航空)が就航している。座席を一番後ろの窓際に指定する。

亜熱帯の島嶼の周辺は珊瑚礁が発達しており、その部分の海の色は鮮やかなエメラルドグリーンであり、窓から空港に発着する瞬間に二度とないシャッターチャンスとなるのである。

但し、風向きによる航空機の発着経路を確認して左右どちらかを選ばなくてはならない。

今回の石垣島着陸時には勘で「左」を確保して失敗。翌日の離陸時はしっかり前の便がどう旋回しながら上昇するか確認して「左」を再度確保。狙っていた唯一生きた珊瑚礁が残る白保地区をバッチリ撮ることができた。

TOLは離島間の貨物搬送のためか行きの航空機は座席の最後部を外していた。その為安定飛行になったときに、そのスペースで自由に左右に移動しての撮影を乗務員に頼むと快く許可して頂いた。

笑顔が南洋的で可愛く「沖縄出身ですか?」「ええ、乗務員は皆沖縄出身ですよ」「なるほど、、だから皆美しいのですね!」。

僅か40分間であったが、宮古島の見える方向・タイミングなど親切に教えて頂いた。生憎の曇り空で宮古島等他の離島が見えないと解るとTOLの美しい絵はがきに沖縄の美味しい砂糖菓子まで頂いた。

このお菓子は翌日食事抜きで寸暇を惜しんで撮影に回ったときの唯一の活力源になるとともに、夕陽に映えるマンブローブの絵はがきは次回もし再度行く機会があればピンポイントで夕陽を狙う目標となった。

今回の三日間を通じて一番感じたことは、南に行けば行くほど、人の優しさが深まり訪ねる人を癒してくれるという事である。

渡辺京二が「逝きし世の面影」で紹介している明治維新前後に日本に来た西欧人が日本社会に感嘆した日本人本来の「親切」「おもいやり」「心からのもてなし」「こころの美しさ」「自然との共生」等がある。

英国人のハリス自身が言う「西欧文明という悪しき個人競争主義、エゴ」に汚されてないと言える。だから東京から離れるほど純粋な本来の日本人の人間の心が残っているのだ。

だから沖縄出身者だけのTOLにはJALにない暖かみを機内で感じるのだ。絵はがき、砂糖菓子はその序曲であった。

石垣空港に到着後、予約していたレンタカーを借り、用事を済ませた後、先ず島の東南部の白保地区に行く。

白保地区は、北半球でも唯一の生きた最大の珊瑚礁地域に新空港を設置しようとしたため国際的にも反対運動が起こった地区である。

日本で古代からの自然の残る最後の秘境として北端の北海道知床半島と南端の石垣島の珊瑚礁地帯があげられている。

確かに八重山諸島の島々は珊瑚礁で縁取りされ、その外縁部で大洋の波が白く波打っている。

そこから急に海の色が群青からエメラルドグリーンに変わっているので、単純に「ああ~綺麗!!」と感動する。しかし、その実情を知る人には、哀しい美しさなのである。

珊瑚礁は小さな胞刺状の動物の気の遠くなるような時間をかけた集合体である。生きていればその海面は海洋と同じように暗いのだ。

しかしオニヒトデや人間の陸地での環境破壊などの影響で死滅すると石灰物の白い砂となる。蒼い絵の具に白い絵の具を混ぜるとエメラルドグリーンとなる。

つまり、エメラルドグリーンの海の下は珊瑚礁の墓場なのである。今や沖縄地方の殆どの島々は美しくも哀しいエメラルドグリーンの死の世界なのである。

その中で白保地区は、その地形上からか奇跡的に太古からの珊瑚礁が残っている。珊瑚礁が残れば様々な魚や海草も豊富である。

戦後の食糧難もこの「魚の湧く海」が「命の海」として白保地区の人々を生かすことができた。干潮時期には、数キロ沖の珊瑚礁の縁端の岩礁帯まで歩いて行ける。足下は岩海苔で緑の絨毯のようだ。

所々に大きな黒い岩が忘れられたように点在する。これは約300年前の80mにも及ぶ大津波の時に打ち上げられたものだ。当時約1800人の白保地区の住民で生き残ったのは山に行っていた僅か25人。村の再建のため波照間島などから移住して現在の村ができた。

その再建も豊かな白保の海があったらこそである。そういう山と海と人との共生を一切考慮しない空港建設や土地改良(改悪?)は、一部の土建会社等の利益のためだとしたらとうてい受け入れられないであろう。

結局、この白保地区には、日の出も含み3回行った。最後は干潮で岩海苔を取るお母さん方を撮らせて頂きながらお話を伺う。・・・「マンションを売ってこちらに住まれたらのんびりといいですよ」。只、そこから数キロの海岸でブルドーザーが原生林を切り開き無意味な赤土の畑を造成している横を通ったときには哀しい思いがこみ上げて来た。

一日目は、限られた時間を有効に使うため白保地区から東海岸を玉取崎展望台を経て最北端の平久保崎灯台まで行き、帰りは伊原間から西海岸を走りながら写真を撮った。

夕食に地元情報で、刺身食べ放題と聞いていた具志堅用高記念館前の「あんまー(お母さん)食堂」に行く。

漁師風のご夫婦が簡単な平屋建てで魚屋を兼ねてやっている。

あいにく刺身食べ放題は昼食だけであったが、盛りだくさんの天ぷら定食(ご厚意か刺身も少しついていた)に、針千本汁、刺身盛り合わせで満腹になって勘定が二人で3300円!。「あの、これ一人分じゃないのですか??」。

宿は観音崎灯台傍でトリカブト殺人事件で有名となったフザキリゾートヴィレッジにしていたが、心地よい満腹で時間もまだ8時頃なので喫茶店で珈琲を飲むことにする。

ところが車で回ってもなかなか喫茶店が見つからない。漸く「珈琲」の看板を出している小さなビルの一角の店を見つける。そして一歩入った瞬間・・・《ワオ!場所間違えた!》。床も壁も真っ赤な絨毯布地のそれとわかるスナック風の作りにやり手のママさんが出てきて「どうぞ」。

「あの珈琲でいいですか?」「どうぞどうぞ」と真っ赤なソファーのボックス席に案内される。すぐにカウンターに座っていたがっちりした体系のお兄さんが水を運んで来る。

でも、愛想はいい・・。

人は体験で判断する。実は、大学出たての頃、新宿歌舞伎町でこのようなスナックに入ってしまいビール2本で4万円を請求された。こわいもの知らずで店長らしき男とやり合って結局2万円にまけさせて出た。

その体験から・・《ま、ボックスチャージ代は払わなければならないだろうなあ》と諦める。
「アイス?ホット?」「ホット二つ」。

でも、店の雰囲気は良かった。出された珈琲も本格的で美味しい。カメラを持っているので旅行者とすぐ解る。

ママさんが「取材ですか?」と隣で歓談する。奥のボックスに来ている女性3人を連れた男性が我々を歓迎して持参の三線(しん)を引きながら3曲も歌ってくれる。歓迎の歌に併せて皆が手だけのエイサー踊りで一つになる。

ちなみに島の6割以上の男性が三線を引くという。《・・島では、三線(そして歌)がもてる男の最低条件だな・・。》

気持ちよく飲んだ後・・・「あのお勘定?」「400円二つで800円です」「え!!」。
席を立って帰る途中で歌って頂いた人にお礼を述べる。ママさんが玄関の外で見送ってくれる。ボックスチャージ代まで考えていた自分が恥ずかしくなる・・・。

二日目に白保地区で日の出を撮った後、効率よく回るためツアーで竹富島を回った。沖縄(八重山)の島々はそのでき方で2種類に区分される。

一つは約1500万年前まで中国大陸の先端山地が氷河期の終わりと共に水没して島となったもので、沖縄本島、石垣島、西表島などがこれである。もう一つは、珊瑚礁が隆起してできた平らな島で宮古島がその代表格である。

竹富島は石垣島から僅か船で10分、周囲約9kmの小さな珊瑚礁の島である。1億3千万年前、たった一つの珊瑚礁の胞子が岩に漂着して、気の遠くなるような悠久の時を経て今の竹富島が形成された。


その岩が島の中央部で確認されている。・・・珊瑚礁が生きている限り島は成長するのである。

その竹富島で先ず、珊瑚礁を見るグラスボートに乗った。元気な中高年のおばさんグループと一緒だ。船長が位置を確認しながらポイントに船を進める。

生きた珊瑚礁のあるポイントに行くまでは真っ白な死の世界。「あ!魚だ!」「綺麗ね!」。更に観光のためだけに生き残っているかのような僅かな小さな珊瑚礁を見て「わあ!凄いねえ!」・・・。

実は、今は更地になっている妻の生家は、同じく珊瑚礁と熱帯魚をグラスボートで見せる愛媛県の宇和海海底公園の目の前にある。

その珊瑚礁もオニヒトデの食害で激減し、見せるポイントにかろうじて残った珊瑚礁を人為的に集めていると言われている。だから、標識の無い海の上でその集められた珊瑚礁にピンポイントで船を持ってかなければならないのだ。

竹富島のグラスボートでも、船長のすぐ前に座ったお客さんに「そこに座られると見えませんから空けておいてください」と乗り込む時に言っていた。そうとも知らずに賑やかにはしゃぐ中高年おばさんグループの脇で、墓場となった南の太古の秘境を哀しい思いで眺めた。

グラスボートを下りると、すぐ目の前に次のコースの「水牛車遊覧」のための輸送車が来ている。観光で生きるだけに極めて機能よく需要に応じ各コースが組織化されている。

只、竹富島は現在は人口僅か300名足らずで高齢化が極端に進んでおり、観光業で働いている人達は夜は石垣島に帰る島外人だ。

その竹富町の役場も石垣市(島)の市役所の近くに設置されている。


水牛車で竹富島の古い集落を回るのはいわば観光の定番といえる。思ったより小さな水牛が20人近く載せた牛車を、車でも角を擦りそうな石垣の狭い交差点を内輪差を考えながら一度もぶつけずによく引っ張って回るものだと感心する。

人間の歳で50歳になるという我が牛車の牛若丸は、悠々自適に自分の速度で決められた村落を案内してくれた。午前か午後半日で3回引いているとのこと。

彼らも本当は、かって竹富島の人々が西表島などで水田耕作していたように、水の中で鋤などを引きたいに違いない。顔の表情を撮った時の目が、何か失われた遠くの水田風景を眺めているように、焦点が「今」・「目の前」にないように感じた。


村の長のような御者が、そのような憂いを一切見せることなく、さも自分が今ここで牛車を操る事自体が人生の一つのあるがままの生き方のように集落の様々な話をしてくれた。

その人生を達観したような静かな島の語らいに悠久の安堵感を覚えた。案内の最後に、例の三線を引きながら昔聞いた懐かしい歌を歌って頂いた。

牛車の頭には確かに「新田観光」という会社の名前の看板が入っているが、この島では、そのような名前も意味のないような、皆が時間と自然と島に熔けて一つになるような癒しが確かに存在していた。

集落には空き地となった不在者地主所有地が4,5カ所あった。でも、新たに石垣を作り直している人もいた。

御者の老人が「リターンズ」と説明してくれた。ストレスの多い都会生活から人間本来の生き方を目指して移り住むのであろう。そう言えば、例の白保地区での網漁などは役割に関係なく全て平等に配られるのだ。エゴ・競争のない島・・。

数年前、この島に少年工科学校の16歳の生徒が自殺にやってきた。でも、一泊2000円の島の民宿で過ごすうちに自殺の馬鹿らしさが解り元気に帰っていったと言う。

竹富島から石垣島に帰島後は、石垣島の観光の定番とも言える川平湾の撮影に行く。流石にここの美しさは群を抜いている。

これが太陽光線の強い真夏に来ていれば、鮮やかな紺碧空に群青色の大洋、エメラルドグリーンの珊瑚海、真っ白い砂浜に、深緑の熱帯樹と真紅のハイビスカス・・・。よし、、思いは通じる。念じて次回の楽しみとしよう。

そして、更に於茂登岳トンネルから島の内陸部を通って、朝日を撮った白保地区に再々度訪れる。大潮の干潮で干潟になるところを数キロ先の環礁縁端まで歩いて、本当の珊瑚礁を上からでも写真に撮りたかったのだ。

でも、20kmに及ぶ海岸線でその渡り瀬にピンポイントで事前偵察無く行くことが無理なことを理解して、望遠レンズで地元の人がまるで海の上に浮くように歩いているのを確認する。

岩海苔を取っているお母さんと話しながら、岩海苔を少し食べてみる。純粋な香しい塩味が無意識の中の遙かな記憶を蘇えさせるように美味しい。

そうか!ここは川平湾のように観光化されることなく、静かに、太古からの珊瑚礁の命の海と共生して生きていく日本最後の集落として生かし続けること、未来に残す事の重要性をしみじみ感じる。

更に最後に玉崎展望台に行き、その全貌を瞼に収めた。観光客の歩く通路から少し高台になった撮影ポイントで地元の若いカップルが缶ビールを飲みながら気持ち良さそうに眺めていた。

「デートに最高の場所ですね!」と声かけると「これ美味しいですよ!是非一つ如何ですか?」とサーターアンタギー(小麦粉の天ぷら砂糖菓子)を隣の人にあげるように差し出す。

「ありがとう!」朝から例の砂糖菓子しか食べて無く掛け値なしで美味しかった!!

今、こうして都会の生活に復帰!?したが、僅か二日間の石垣島の旅であったにも関わらず私の心に一つ大きな変化をもたらせた。

それは普段の挨拶、人との出会いという事に関してだ。都会生活ではすれ違う人とは挨拶などしない。でも、毎日同じパターンで生活していると毎日会う人もいる。

そういう人に皆さんはどうしてるだろうか?お互い挨拶した方が気持ちよいと内心思いながら、無視されたら嫌な思いをするなどと考え毎日挨拶せずに黙って通り過ぎていないだろうか。

でも、何故か石垣島から帰ってからは、なんのわだかまりもなく心から声をかけれるようになった。無視されても全く気にならないのだ。

自然にあるがままに楽しく今を生きる・・。
そんな人の生き方の原点を思い出させてくれた石垣島の旅であった。

そして、TOLの乗務員、スナックで三線で歌って歓迎してくれた人、水牛車の御者の老人、展望台でお菓子をくれたカップル・・・人としていろいろな事を気づかせてくれてありがとう。

今度からは、ちゃんとカメラで撮って記念写真をプレゼントとして送れます。自然の振る舞いで・・・。


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メルマガ:心のビタミン(エッセー) http://www.emaga.com/info/heart21.html
北海道の四季(写真) http://communities.jp.msn.com/jjt8khvnlvgq2ipf5spd2vq9r4
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追記・・・
このエッセーとエッセーを一部纏めて、新風舎から「心の旅路」として出版することになりました。
これから編集に入り、来月中には出したいと思います。
500部なので、置いて欲しい本屋さんがあれば連絡を・・・。





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