池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

2002年 9/18 道南・松前…北海道ふる里ロマン紀行(その三)

柔らかい砂の感触と微かな潮騒の音でぐっすり眠って気持ちいいなあ…と夢うつつに思っている頃、テントを叩いて起こしてくれるものがいる。

「??」。なんとカモメが目覚まし時計代わりに来てくれたのだ。時計を見れば、夜が明けたばかりの5時半。お陰でいつものように朝寝坊して出発が遅れることがなくなった。

テントを出て砂浜に立つと、目の前に開陽丸、丁度鴎島と海岸を繋ぐ堤防の真ん中で寝ていた事を知る。折角の機会なので先ず鴎島をカメラ片手に朝の散策をすることに。

島の台上に上がれば綺麗な芝生のキャンプ場になっており、日本海の群青の海が一望に望め、「日本海眺望10選」という記念碑もある。

島の周囲も綺麗に散策道路が整備されていて、透明な海の水を楽しむことができる。
結局、2時間撮影しながら身近な海を堪能する。


8時過ぎにテントを畳んで車に積み、いよいよ国道228号、松前国道を南下開始。
江差町と上ノ国町の境ぐらいの内郷浜で、伝統的な刺し網漁を行っている場面に遭遇。

砂浜の流木を手前に置いて、刺し網漁をする漁船とそれを手伝う海女、向こう岸に緑の大崎半島に風力発電の風車と、これまた「陸、海、空そして人」の良い構図の写真が撮れる。

次に、その大崎半島の「夷王山」に登る。通りかかった時、入口に案内板が出ていたので、見晴らしがいいだろうという軽い気持ちでハンドルを切ったのだが…。

結果として、今回の撮影の旅で、北海道の歴史を感じる上で一番収穫のあった場所となった。

北海道は今でこそ、札幌や函館、旭川、帯広などが栄えて有名であるが、
いずれにせよこれらは北海道開庁130年の歴史の中でのことに過ぎない。

蝦夷地と呼ばれていた頃、つまり明治維新以前に和人(日本人)が住んでいた地域は、渡島半島の松前町を中心とした海岸部だけである。

主として鰊を追いかけて来た漁師が主体の、時期としては江戸時代の末期以降ぐらいと思っていた。

ところが、この夷王山の「上ノ国勝山館跡」に登って認識を新たにした。
この勝山館自体が、麓の花沢館の客将だった武田信広が、長禄元年(1457年)にコマシャイン(アイヌ)の戦いでコマシャイン軍を打ち破り、上ノ国の守護蛎崎李繁の跡を継いで開いた館である。


と言うことは、この辺り一帯は、もっと以前から日本人が定住していた事になる。
ある本によれば700年前ぐらいから住んでいたらしい。
そう言えば、縄文式の古墳群なども北海道の各地で多く見つかっている。

15世紀後半から16世紀の本州での戦国時代には、戦渦を逃れてかなりの日本人が移住し、先住民族のアイヌ人との確執が高まり、先述のコマシャインの戦いになったに違いない。

いずれにせよ戦いに勝った武田家は後、大館(現松前町)に移り、松前藩が成立した。
それ以降、この勝山館は松前城の副城という位置づけとなった。

やがて松前城下に近江商人が住み、豊富な海産物を売り捌き、松前の栄華時代が訪れる。
近江商人は、弟子等を全て出身地から呼んだ。それに伴って街作りも風俗も上方文化となった。
最も栄えた時代の松前の人口は3万人を越え、江戸以上の賑わい振りとなった。
だから、瀬棚町の集落の並木に京都風の松並木が残っていたのだ。

ちなみに幕末、江戸幕府は蝦夷地を幕府直轄としたが、この松前藩には手出し出来なかった。
それ故、維新の戦いで敗れた幕臣の榎本等は、当時の寒村の函館に入港したのだ。
もし、松前藩が完全に支援していれば、歴史が変わったかも…!?

実際に駐車場から僅か50mぐらい高い夷王山の鳥居目指して登るうちに足下から山全体の力強いエネルギーのようなものを感じる。その頂上の鳥居を手前に江差町の遠望を撮る。

撮りながら700年の歴史を感じた。

次に扇石の旧道の町並みを通る。急峻な一本道に関わらず、道の両方に家並みがある。
普通なら安全な山側の片方にしか家を建てないのに…。これも「上方と同じ町並み」にこだわったのかも知れない。

『どういう人が住んでいるんだろう?』と興味を抱き、小さな商店に入る。
潮焼けしたおばあさんが出て来るに違いないと予想したが…

以外に若い「いらっしゃいませ!!」という声とともに現れたのは・・・
『ワオ!綺麗!!』^^;

観音様を若くしたような面持ちの20代前半(多分^^;)の美人である。
「スミマセン、ご先祖はどちらですか?」と聞くと、彼女が首を傾げる。


札幌など北海道の他の地域なら殆どの家族が明治以降の開拓で来ているので、3代か4代前に本州のどこからか来ている。だからすぐ先祖を答えてくれる。

ところが松前地方は、700年も前から住んでいる。しかも上方文化である。
地元の人と話していると、北海道の町というより我が四国の田舎町にいるような錯覚さえ覚えるのだ。

そう言う意味で、ここ松前地方は、北海道のふる里、文化発祥の地と言えるであろう。
道東・道北の「原始の大自然と開拓」とは違い、「海の自然と人間文化のロマン」を感じさせてくれる。

その商店は、道路から海側にあるので、窓の外は青い日本海が綺麗に見渡すことができる。
四季折々、日々刻々変わる大きな写実派の絵を掛けているようなものだ。

思わず、「スミマセン、窓をバックにあなたの写真を撮らせてください!」と言いたいところであったが…。その勇気は、アマチュアの私にはない^^;

その後、コマシャインの戦いで敗れたという館野の古城跡の小さな漁村で、その古城跡をバックに、おばあさんが孫の子守をしながら昆布を干す別の「陸、海、空そして人」を撮影。


ここから一気に新しく作り替えたいざり火ライン(国道228号)を松前城に向かう。
海抜100m付近を橋を架けながら新たに崖の中腹を走っている。だから橋の途中で止まって見ると眼下に群青の海の底が綺麗に透けて見える。

但し、海の底が見えるのは、太陽光線の関係で山側から光線の射す午前中のみ。
午後になると西日となり太陽光線が海面に反射して海水そのものの色は見えなくなる。
群青の海を見たければ是非午前中のドライブをお薦めする。

松前城で栄華を忍びながら数枚写真を撮った後、北海道の最南端の白神岬で遠く下北半島を望みながら沖のタンカーを狙っていると、下の方から子供のはしゃぐ声が聞こえる。
小さな兄妹が、磯遊びをしていおり、構図の中に入れる。

その後更に、福島町の岩部海岸を女郎ヶ岬の奥の行き止まりまで行く。
よくこんなところに集落を作ったものだと感嘆。ここから先は、海岸沿いの道はない。
船で秘境の岬を撮影と思っていたが、あいにく船の観覧は夏休みしかやっていないようだ。

車を止めたところに展望台入口の看板があり、登ってみると使われなくなったコンクリート製の展望台がうっそうとした繁みの中で時の流れを感じさせていた。

諦めて国道に帰り、内陸部を知内町の海岸に出る。

海の色が流れ込む川の水のせいか明るい水色だ。珍しいので写真に撮ろうと海岸に出れば、家族連れが4駆のモーターサイクルで遊んでいる。最後まで「陸、海、空そして人」……^^;

木古内町まで国道を進んだところで、時間は午後3時半。
札幌からの走行距離約470km。

函館まで出て一気に国道5号線を帰るのが一番早いが、夕暮れの日本海岸を最後に見ようと決心。

左折して道道5号線を稲穂峠越えに渡島半島を横切り、再度上ノ国町の海岸に出て、朝と逆に北上することにする。

後は一気に走るのみとなるので、木古内町の交差点のガソリンスタンドに燃料補給に入る。
そこでまたまた女性店員の綺麗な事!!思わず、何故かガソリンスタンドで売っていた自家製のアイスクリームを注文する^^;

後で教えてもらったが、この地方は美人の里としても有名らしい。
700年前も前から京都美人の血が流れているに違いない…^^。

上ノ国の海岸に出れば、かなりの西日となっていて群青の海は見えない。

しかも雲が出ており夕陽も望めない。昨夜思い切って鴎島まで足を伸ばし、更にカモメに早朝起こして貰ったことに感謝しつつ、熊石から長万部に出て、道央自動車道を一気に札幌に帰る。

こういう時の高速道路はありがたい。

札幌到着22時。全走行距離約820km。撮ったフィルム36枚撮り6本。
北海道の歴史のロマンを感じた記憶に残る良き撮影紀行であった。

これらの写真を80枚選び、「北海道の四季」に2部に分けて載せた。
北海道の歴史のロマンを「陸、海、空そして人」の写真で感じて欲しい……。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
北海道の四季 http://communities.jp.msn.com/jjt8khvnlvgq2ipf5spd2vq9r4
心のビタミン http://www.emaga.com/info/heart21.html
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

フィード