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2001年 12/17 秋の思い出…親子野球試合

札幌は、12月の雪としては観測史上初めての大雪が降った。
路肩に高く盛られた雪は、もう2月になったような感じだ。
仕事から帰ってきたら、車に積もった雪を下ろす除雪が毎日の日課となった。
昨年の長い冬の記憶が蘇り、まるで夏などなかったような感覚で、ずっと冬ばかりの生活をしている感じになる・・・
秋の親子野球試合も遥か彼方のような気さえする・・・

11月23日、連休を利用して家族のもとに帰った時、恒例となっている親子試合を行った。
毎年、6年の卒業を祝い、6年の親主体のチームと子供との真剣な!?試合を行う。単身の私のために連休の日を設定してくれたのだ。


親は、基本的に子供のポジションと打順でチームを作る。
但し、親のチームの守備にはお母さんが常時二人はいること、又お母さんが打席の場合、4ストライク三振、3ボール四球の特別ルール。

更に、打席には、特に6年の親は、両親ともに立つとともに、自分の父親にはその6年生の子供が投げる機会をつくるので、結構、これが盛り上げる。

よって、聖人も私も投手・4番で先発、子供チームの先攻で試合開始。
1回の表、1点をエラーで取られワンアウト3塁で、先ず聖人と最初の対決。
流石に肩に力が入ったが、2-3のフルカウントから真ん中低めボール気味の速球で三振!

その裏、逆にツーアウトランナー3塁のチャンスで打席に入る。ツーツーから真芯に聖人の球を捉えるが、ピッチャーの真っ正面・・。
しかし、打球が早く、聖人のグローブをはじいて内野安打。1対1の同点・・。

3回で投手を代わるつもりが・・結局、5回まで老骨に鞭打って投げる。
その5回。聖人と2度目の対決。これは綺麗に左中間を抜かれた・・・。
もう抑える力は残っていない^^;

聖人は、代わった若いお父さんからも左中間を抜くライナーを打って、途中から捕手を楽しむ。投手ゴロか三振でないと親チームの守備力ではなかなかアウトにならない^^;
一方、6年の親が、自分の息子の投球で三振して、その成長を確認^^;

我が家も、塾に行くはずの長男英人も試合に来て、投手聖人と対決、見事三振。妻は軽く投げてもらい内野ゴロ。守備も長男と交代で一塁を楽しむ。


点数は、確か、、5-5ぐらいか・・・・これはどうでも良くなる。
最終回に聖人が再びマウンドに上がり、お世話になった監督とコーチ二人と最後の対決。
監督には軽く投げていたが、若いコーチにはやや真剣か・・・それでも三振で三人を討ち取る。
圧巻は、チームの出身で地元の中学校の野球部に入っている先輩が来ていて、彼等3人との対決。
一人は昨年の主将。この時は、聖人も全力で投げ、なんと中学生を全員、投手フライトとキャッチャーフライで打ち取ってしまった!^^

そして、最後に私が、再度聖人と対決。
1球目をライトオーバーのライナーヒットで・・・親子試合を終える。
結局、聖人も満足、私も親の面目を保ち、皆満足。

この試合で、悠人も途中、1回セカンドに入り、初めて打席にも立つ。
キャチャーフライで本人は悔しがっていたが、小学1年で試合に出て、これからが楽しみ。

と言うことで、親子試合も楽しく終わった。

思えば、アッという間の4年間だった。
聖人が2年の秋、翌3月からの単身赴任が決まっていたので、もう親子でキャッチボールで教えることができないので、グランドに練習を見に行った。

監督の話を聞く横から「おとうさん、早く入ると言って!」と聖人。

人生は、人との出会いの積み重ね。偶然はなく、すべて「必然、必要、ベスト」。

実は、地区には少年野球クラブが二つある。
転居してきたマンションは、実はもう一つのチームに殆どの子供が入っている、、とは後で知ったこと。

マンションの空き地で聖人とキャッチボールしてると、その夜玄関に、翌年の主将のお母さんが来て、「是非、うちのチームに入って欲しい。明日、グランドで練習があるので見に来てください」。それがすべての始まりであった。

翌、3月、単身赴任でいく前、聖人の机の前に、「1日50球壁投げ、素振り」と書いた
紙を貼った。
聖人は、9時に寝て、自分で6時には起き、黙々と壁投げを繰り返した・・・。

実は、私も小学6年の時、中学の野球部に入る前、愛媛の田舎で相手がいないので、池の壁投げでの一人練習をしたのだ・・・。

休日で帰った時は、臨時コーチとして少年野球につき合うのが私の日課となった。

これには、子育ての反省もある。
7つ上の長男の時は、土日も仕事に追われる時もあり、また長男がサッカークラブに入ったため、傍で見るだけになってしまった・・・。親子で、子供の好きなものに、同じ気持ちで入って行くことの重要性が後で気が付いたのだ・・・。

さて、これからは、悠人が聖人のように頑張るだろう。いや、聖人という目標があるだけにもっと頑張ると思う。子供に目標を持たせること。それを無条件で応援すること。。

聖人は、地元の野球部でなく、自転車で15km離れたシニアで硬式をやるという。
妻の負担が増えるが、これもやりたいことをやらせることが親の務め。
妻も覚悟している。悠人と聖人と、更に3才の真菜の世話・・・。

実は、私は、中学卒業時に、野球を止めるという一大決心をした。
当時、サードで4番、高校からも誘いがあったが、
「野球だけの人生は面白くない」と、中学卒業後、自衛隊に入ったのだ。

同じチームに、後に南海ホエールズにドラフト1位で指名され、新人王を取った投手の藤田君がいた。その藤田君との最後の対決が、ライトオーバーの2塁打だった・・・。

でも、やはり、少年工科学校で野球部に入った。2年連続全国優勝したが、定時制・通信制大会・・・・
本当は、全日制の野球がやりたかった。同じ野球するなら甲子園を目指したかった・・

防大では流石に野球の思いを断ち切って、空手道部に入ったが・・・・。
こころの中で、地元で野球をやってたら、どこまで行ってたかな・・という思いもあったのは確かだ・・・。

果たして、聖人がどこまで野球をやるのか。プロを目指すのなら、どこまでもそれを応援しよう。
もし、途中で、他の道に行きたくなったら、それも喜んで応援しよう。

親が、自分のできなかったこと、夢を、子供に重ねてはならない。
親子、夫婦、皆別人格で、縁あって、ともに何かを得るために出会い生きている。

子供のやりたいことを、子供の気持ちと同じになって、無償の愛で、無条件で応援する。

それが、長径15年にわたって子育てを続けている、今の結論だ。

さしずめ、この冬休みの仕事は、悠人とのキャッチボール、聖人とシニアのチーム見学か・・。
おっと、長男の大学受験成功の神頼みも・・・・・^^;

ということで、今回、親子試合の様子と、試合後、マンションの家から撮った都会の夕陽をフォットアルバムに出しておいた。





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