2001年 9/3 有珠山噴火火口撮影・・・
土曜日、1年ぶりに有珠山の噴火火口の撮影に行って来た。
本当は、もっと噴煙が上がっているときにも撮影したかったが、噴火当時、現地対策本部を立ち上げ、その活動に携わったいただけに、未だ約1500人の家を失った避難所生活の人を思うと、写真を撮りに行けなかった。
噴火当時から北大岡田教授が「噴火痕を新たな観光資源として共生」することを言っておられた。今回の西口火口散策路はそれを実現したものだ。
西口火口散策路の入口には地元の人の出店も出ていた。
散策路横にも急場の家とその庭を利用した出店があった。
簡単な家なので「この家に住んでるのですか?」と聞くと、ご主人が、家は完全に壊れていたが、何とかその跡に今の家を建てて家族で暮らしているという。
その出店で、トマトを100円で買って、ジュースとともに食べた。
美味しい!^^
噴火口からはまだ噴煙が上がっている。
ここがかって国道230号だったとはとても思えない。
そういえば、23年前の噴火以前は、今の有珠山の頂上部が小さな湖と自然林の山小屋もあったオアシスだったことは、訪れる人は誰もしらないだろう。
今回も、噴火は山頂部と思われていた。だから前日から7師団の偵察部隊も山頂を中心に円形の監視態勢を作り、噴火直前も頂上部を避け、国道230号の真上を方面航空隊のヘリが監視のために飛んでいた。
そして、若狭芋工場の上を飛んだ10秒後に、その国道から噴火が始まった!!
その前の深夜1時頃、伊達市役所の現地連絡班の床の上で仮眠してると、震度5の激震で全員眼が醒めた。無線に、偵察隊から「山頂にオレンジ色!」と急報が・・・!!
これは、地殻が割れて、自由電子が空気中に放電されたものらしい・・・
いよいよ噴火か・・・と予期はしていたが・・
まさか、国道230号上とは・・・よくヘリが巻き添えを喰わなかったと安心・・
だが、急遽、約1万人を緊急避難しなければ・・・
急いで4階から3階の7師団司令部に駆け足で「緊急避難輸送!!!!」
全員が無事避難したと安心していたら、何と「兄が残ってます。。
電話連絡ができません」
噴火したその夜には、偵察員が、コンクリートに約20cmもめり込んでいたと直径約20cmの小さな溶岩を持ってきた。
岡田教授によれば、鉄と同じで装甲車の装甲もぶち抜くと・・!
そんな中、任務とはいえ、偵察隊員は裸同然のオートバイで周り、監視態勢も敷いているのか「無理するなよ・・!」そういう中でも救助には、2台の装甲車が使われることになった。
連隊長や中隊長が自ら装甲車の指揮官として陣頭指揮。
命を落とすときはまず指揮官が・・
「指揮官は常に指揮の要点に立つ!」
「隊員を先に死なせるわけにはいかない」
幹部としての当然の行動であろう。
その装甲車が待機位置を出発した途端に無線で「経路上異常なし!」の偵察隊からの無線。
何と、火山弾が落ちる中、オートバイで目的地まで先行、経路上が無事通れることを偵察してきたのだ。。
任務上当然の行為とはいえ、、、、
とにかく無事救助できることを祈った・・。。
無事救出のニュースが流れたが、、
この陰で働く偵察隊員等が脚光をあびたことはない・・
神戸地震、地下鉄サリン事件、上九一色村オーム事件、カンボジアPKO等々、、、
部隊活躍の陰には、名も知れず命を賭けて任務を完遂した陰で支えるものがいるのだ・・・。
あれから1年余り。その装甲車の通った跡を歩きながら、
1日も早い洞爺湖町の復興を祈った・・・。
そして、なるべく多くの人が訪ねて欲しい。噴火口の近くの出店で食事し
「頑張って!」と励まして欲しい。。
帰りは国道432号沿い大滝の三段滝、支笏湖に映える満月を撮って今回の撮影を終了。但し、満月は、愛用のバカちょんデジタルカメラでは撮れず、、、一眼レフで撮る。
その一眼レフで撮った分は後で追加することにして、
取りあえず「有珠山噴火火口撮影・・・」を「北海道の四季」に追加。。
睡眠をとることはとても大事です。






