池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

2001年 9/18 滝野スズラン丘陵公園にて

9月15日(土)敬老の日、札幌の南、地下鉄真駒内駅から車で約20分の滝野スズラン丘陵公園に秋桜の撮影に行ってきた。

公園は、6月に咲くスズランが美しい事で知られており、約180haの広大な敷地には、オートキャンプ村、釣り堀、ファミリースキーゾーン、渓流ゾーン等もあり、気軽なレジャースポットとして市民に親しまれている。

平成12年7月には、有料区域の中心ゾーン「カントリーガーデン・子供の谷」を新規に開園、秋桜はこのゾーンの一番上に植えられている。

ところで滝野地区は、明治の初期、当時の開拓使が札幌を建設するための木材生産の地としての役割から始まった。当時の記録には「厚別山水車機器所」と言われる水車を使った製材のための施設があった事が記録されている。

それ以降、農地として何度も開拓が試みられたが、苛酷な気候などのため、昭和40年代前半には、開拓地は放棄されてしまった・・・。

その後、滝野地区は、日本の滝100選にも選ばれた「アシリベツの滝」など札幌市民の行楽地として親しまれるとともに、札幌市の野外教育活動の拠点として子供達のキャンプ活動などが行われてきた。

滝野公園は、このように開拓の歴史を持つと同時に、野外教育活動のメッカとして
知られていた滝野の地に計画された公園である。

私が、初めてこの公園を訪れたのは2年前の夏休み。その年の春に初めて札幌に単身赴任し、高校でサッカーをする長男を除く家族5人と愛媛の郷里から母が一緒に訪ねて来た時以来だ。

まず、新しくできた中心ゾーンまで車で行く。緩やかなスキーゲレンデが綺麗な花畑になっている。

但し、北海道の夏は短い。花はゲレンデの頂上部の秋桜など数種類しか残っていない。カメラバックを右肩に担いでSTVラジオ番組の生のイベントを横目で見ながら頂上に。

実は、10日ほど前から、左肩の後ろが痛い。特に寝ている時などに寝返りをうつと痛さで目が覚めるほどだ。

方面隊音楽祭りに空手の演武を出すことが決まり、普段デスクワークばかりしているにも関わらず、若いつもりで急激な運動をしたので筋肉部分が部分断裂を起こしてしまったのだと思う。周りからは「50肩」と言われるが・・・。

それでも、高台まで我慢して登る。周囲は一面太古からの原生林だ。開拓時代の苦労を偲びながら秋桜の写真を撮る。

次に、公園入口の渓流口駐車場に車で移動。アシリベツの滝を撮りに行く。
駐車場から滝まで約1km。2年前家族6人で来た道と同じだ。

途中のマス釣りで、当時4才の悠人と小学4年の聖人が約10匹釣って、その日の夕食で美味しくいただいたものだ。

約400mほど歩いたところでいよいよ肩が痛くなる。
普段は重さなど全く感じないカメラバックがこれほど思いとは・・・思わず引き返そうかなと思う。


立ち止まってショルダーを痛い方の左肩にかけ直す。この方が痛みが少ない。
右肩にかけることによって、上体を捻りかえって痛みが増していたのだ。

そうこうするうちに、横を70代半ばの素敵な老夫婦が仲良く歩いていく。
思わず、田舎の母を思いだし、つられて歩く。

そうだ!今日は敬老の日だ!!


今日も母は、10年前に父の死後親戚から貰った犬の「さき」と、散歩がてら父の墓参りをしていることだろう・・。約1kmの道のりの往復を10年間欠かさず日課としているのだ。

実は、父も母も我が家にとっては養子だ。祖父母に子供がいなかったので、6才でまず母が隣家から養女となった。

昭和15年に海軍に入る父と婚約。

但し、敗戦で海軍での夢が破れて昭和22年にシンガポールから復員する父とは7年間一切会わないまま。戦後の2年間は、無事帰ってくるかさえわからなかった状況らしい。

結婚式の初夜、父は母に「今から生まれ変わって農業人として働く。朝は一人で起きて働く。

起こすな。起こされると気分が悪い」と覚悟を言った。
それから毎朝5時には起きて、先ず朝仕事をするのが父の日課となった。僅かな水田の稲作を主体に、養蚕、ブロイラー、蜜柑作り等。

父の口癖は「イネと話ができなければいいイネはできない」。

また、養蚕の生産者共同組合を作って効率的な斬新な養蚕法を指導する等で功績をあげ、県知事賞等まで貰うまでになった。

戦後30年、父が愛媛県代表として全国農業功労者賞を受賞しに行った東京の全国大会でのこと。

名誉会長の今は亡き高松殿下との記念写真で、殿下が「君はどこかで見たね?」
「ハイ、戦艦榛名で殿下の当番をしておりました・・」「おう!あの時の岡原か!生きててよかった!!」

父は、働いては少しづつ水田等を買い増ししては、また働いた。
創意工夫して収益があがると良いことは全て周りの人に教え広めた。
「みんなが儲けなければ幸せにはなれない」曲がったことの嫌いな父の信条であった。

晩年は、町の教育委員長に推薦されたが、まさに、《最後の篤農家》と思っている。

母も小さな身体でよく従って働いた。結婚当時、嫌みな親戚から「貧しさ」を揶揄され、母も6才からの悔しさをバネにともに頑張った。

だから、私も父母と楽しく物心付く頃から農作業をした。小学5年生の頃からは、耕耘機で水田をかいたものだ。父も労働の尊さを教えるつもりであったのだろう。中学で野球部に入っても、日曜日などは、先ず父の農作業を少し手伝ってから練習に行かせてた。

そして、隣町での郡大会などには、約1Okmの道のりをカブに乗って必ず応援に来てくれた。若い頃から海軍時代も相撲の代表選手で野球はほとんどわからなかっただろうに。

思うに、家庭教育など全く難しくない。父母とともに汗して働くだけで完全な教育となる。

一生懸命働く父母ほど尊く心に残るものはない。百獣の王、ライオンの子供が親に反抗するなど聞いたことがない。親を尊敬して育つのは自然の摂理だ。

反抗するのは、親とともに働き労働の尊さを分かち合うということがなくなってからだ。

夫婦でともに頑張って子供3人を社会に巣立て、今は父が亡くなって母一人、現在80才を過ぎても、水田を貸しながら好きなEM有機農法で野菜を作る等、母は悠々自適の生活が送れている。


そればかりか、食べ盛りの男の子が3人いる我が家に、お米や安全で美味しい手作りの野菜を送ってくれている。

母が毎日墓参りするのは、そういう数々の思い出と、父への感謝の気持ちで溢れているからであろう。

翻って、我が身を思わざるをえない。北海道防衛の公務とはいえ、子供4人の育児を文字通り100%妻に任せて、ここ北の大地で気ままな一人暮らし・・・。


長女の真菜とは、生まれた時から一度も一緒に暮らしたことさえない。
せめて土日には帰りたいが、北海道はちょっと遠すぎ、経済的にも不可能だ。

うーーん、、俺が親父のように先に死んだら、妻は毎日墓参りに来るだろうか・・・?

それだけ感謝されることをやっているだろうか・・・?


せめて、歳取って二人だけの生活になった時、
前を行く老夫婦のように労りながら歩きたいものだ・・・。

夜、悠人から電話がかかってきた。
「お父さん、今日僕トロフィー貰ったよ!」

今、学校別の少年野球大会が行われている。
聖人達小学校のチームは準決勝で敗れ、来週3位決定戦を行うらしい。

同じ小学校で1チームが作られ、投手は一人2回までしか投げられないようにするお祭り的な大会らしい。


その大会の途中で、悠人が、この夏の大会でのボールボーイの働きが認められてトロフィーが贈られたらしい。こういう表彰は十数年前にもあったらしい。


悠人の声が活き活きしている。大会関係者の配慮にただただ感謝。

その悠人が、「お父さん、今度いつ帰るの??」

「うーーん、お父さん、30日の運動会に帰るよ!!」

「お父さん、僕ねリレーの選手になったよ!!」

「そうか、凄いね!お父さん楽しみに帰るよ!」


5年前の聖人と同じだ。これから楽しみな5年間が続く。長径15年の子育ても楽しいものだ。


肩の痛みなどにかまう暇などない!?

と言うことで、今回は「滝野スズラン丘陵公園にて」の秋桜を主体としたアルバムを追加。

一足早い北海道の秋を味わって欲しい。





池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

フィード