池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

2001年 7/25 究極の心のビタミン(その一)

この連休間、子供4人が待つ、鳩ヶ谷市に帰って来た。
但し、一つだけ心配なことがあった。

それは、単身赴任の夜の友であるシクラメンに一輪花が咲いたことだ。
果たして、4日間いなくなって散るのではないかと・・・・^^;

でも、大丈夫だった。しっかり花は咲き続けている。そればかりか、下から第2、第3の蕾も出てきている。うーーん、、シクラメンって夏の花だったかな??

パソコンで検索すると、やっぱりクリスマス時期の花だ。
じゃ、何故??
と言うわけで、今回はシクラメンの花の写真を先ず、プレゼントしたい。

そう言えば、「花とおじさん」という歌もあった。可哀相な単身赴任の私を
一生懸命咲いて慰めてくれているのだろう・・・。。

ところで、今回の帰宅は、5月の連休以来の帰宅となった。
私には、予備校生の長男、小6の次男、小1の三男、3歳の長女の4人の子供がいる。

間隔がちょうど、7年、5年、3年で、18年にわたり子育てをしている事になる。
調子に乗って、最後に1年の間隔で5人目を!と妻に提案したが、長男は、女の子ならと賛成したが、妻にはピシャ!!と拒否された・・^^;

実は、最初の子と2番目の子は、3回づつの切迫流産を繰り返しながら産んだ子供だ。
それに単身赴任を初めて7年目になる。子供4人を一手に引き受けての子育てと家事、ビジネス、只、感謝するのみ・・・。

私は、愛媛の最南端の一本松町の農家の次男として生まれた。
家は長男が継ぐことが決まっており、「家にいても仕方ない」と15歳で中学卒業ととともに少年自衛隊に入った。

しかし、防大受験直前に、兄嫁が農業は嫌だ!という事で、夫婦で家出、急遽私が跡取りとなってしまった。

やがて、田舎の農家に帰るには、嫁もそちらから貰った方がいい、と言うことで心から信頼しあっていた中学校の恩師に紹介して貰うことにした。

その時は、大学を卒業して千歳に勤めており、恩師に、条件を提示した。

① 健康で素直なこと。
② 小さい頃苦労し、それを克服して生きていること。


忘れもしない。
春休で帰省したとき。いつものように恩師の家に遊びにいくと、恩師が一枚の写真を差し出した。

「わお!可愛い!!いや、綺麗!!

写真は、魔術。最近写真を撮るようになってそれが良くわかった。^^;
その写真は、妻の短大時代の茶道の時の、妻が得意の「写真顔」のものだった…

妻は、生まれて4日目に生母を産褥熱で亡くした。父は、恩師と同じ教師で、直ちに、婚期の遅れていたやはり教師と再婚。しかし、妻が父と一緒に暮らす事はなかった。

とても一緒に暮らせる新しい母ではなかった。
妻は、私の町より更に田舎の小さな漁村で、世間から隠れるように、祖母が13番目の子供として育てた。
親の愛情、母の愛を知らずに育った。

だから、妻に結婚話が舞い込んで来たとき、妻には選択権はなかったのだ…。
「目の上のお荷物が取れる」そういう環境だったのだ。

しかも、私が写真を見た春は、他界した母が残した貯金等で漸く公立の短大を卒業したばかりの時だった。

恩師からそういう生い立ちを聞き、私は「よし、この子に決めよう!」と心で思った。

そして、5月の連休。母代わりの祖母に会い、「この子はやがてよその家に嫁ぐ。そのつもりで厳しく育てました。」という話を聞いて、結婚を決断した。

妻19歳、私23歳の春だった。

実は、私の母も、6歳で子供のいなかった田舎の実家に隣家から養女として入っている。
生母が隣だけに、余計に厳しく他人のように接したらしい。その辛さをじっと我慢して育った。

父は、海軍軍人だったが、夢破れ南方から戦後2年目に復員。母とは婚約して7年間戦争で会えなかったが、何とか結婚。こういう体験もあり、妻を実の子供のように
可愛がってくれた。

結婚前の半年前、勤めを辞めて結婚準備で帰省したときから、妻にとって私の家が実家となっている。
結婚式の日も、皆で実家から一緒に式場に行き、一緒に帰った。
多分、珍しい嫁入り風景だっただろう。

但し、婚約期間は1年間持った。
妻が心から私と結婚しようと思えるまで待つつもりであった。

当時、私は、千歳、妻は、名古屋の会社に勤めはじめており、交換日誌をするとともに、1ヶ月半に1回ぐらいの割合で航空券をおくって北海道に呼んで、北海道を3日間ほどでドライブした。

だから、今、写真を撮りに回るとき、ついその当時の事を思い出す。

費用は当然ながら全て私が出した。
1回呼ぶ毎に15歳から貯めていた定期貯金を10万円づつ下ろした。

いざ、結婚した日、妻に言った。
「貯金は全て旅行で使ってない。これから二人で築いていこう!」
新婚ではじめての妻の料理は、段ボールの蜜柑箱がちゃぶ台だった……。

短大時代、バスケット部の練習で体を壊していたこともあり、決して体は丈夫でなかった。
高校を卒業してから、親からの仕送りも十分でなく、亡き母の貯金で細々と生きてきたせいか食生活が貧弱であったんだろう。結婚して3年間子供無し・・流産3回・・・
冬の夜、誰もいない小学校の雪の校庭で、よく体を鍛えるため一緒に走った。
妻が150mのラインに沿って、私が校庭一杯で同心円で・・^^;

あれから、21年。今では4人の母で、一人で子育てとビジネスも両立。

女性は強い!^^;
そして、ただただ感謝あるのみ!





池田整治のメルマガ・心のビタミン
読者購読規約
powered by まぐまぐトップページへ
 

フィード